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osayanの取材日記

osayanの取材日記 宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 その2

宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 ②

前回の続きです。

いただいたヒントは『宇和島藩蔵屋敷の長屋門などが堺市内に移築された』ことを取り上げた新聞記事が見つかった事です。

昭和54年(1979)1月25日木曜日の朝日新聞(東京版)朝刊第22面。

この日は朝日新聞創刊100周年にあたります。(明治12年(1879)1月25日創刊第1号の発行)

朝日新聞創刊の地は、かつてご紹介しました。内容はこちら。

夏目漱石や石川啄木が朝日新聞社で働いていた事もご紹介しました。

宇和島藩の蔵屋敷があった場所に移転したときは、蔵屋敷の遺構を社屋として使っていました。

大阪で無料配布されている「月刊島民 中之島」のVol.39(2011年10月1日発行)には蔵屋敷の遺構=朝日新聞社の古写真が紹介されていました。

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さて、本題に戻ります。

昭和54年(1979)1月25日木曜日の朝日新聞(東京版)朝刊第22面。

そこには次のような文面が見られました。

「創刊百周年を迎える前日に飛ぶ込んだ思いがけないトピックに社員一同もびっくり。」

この記事には「現存している場所として堺市諏訪森町西三丁。」

と紹介し、遺構の持ち主と実際に住んでいる方の実名が紹介されています。

捕虜交換が済んだのちに、官舎は出版社に払い下げられ、更に昭和3年(1928)、現在の持ち主である方の手に渡ったこと等詳細な説明が書かれていました。

さて、現在個人宅なので長屋門遺構のある場所を明記するのは差し控えたいと思います。

しかし、新聞の内容を読んだうえで、現地周辺を歩きますとすぐにわかると思います。

私が、早朝、その場所の向かいにある家の方にお聞きしても「どこでしょうねぇ。初めて聞きました。」とおっしゃっていました。

周辺の方にも知られていない遺構。

多くの方に知っていただきたい反面、そこには住居としてお住みになる方がいらっしゃるのでそっとしておくほうが良いのか困惑します。

遺構の写真だけアップさせていただきます。

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その1

このブログの「検索フレーズランキング」に宇和島藩蔵屋敷が項目としてランキングに入っていました。

「宇和島藩蔵屋敷」で検索しますと、中之島にある朝日新聞大阪本社が明治初期、蔵屋敷の遺構を社屋として使用していた事がしるされていたほか、福岡藩蔵屋敷長屋門などが項目として上がりました。

そのなかで注目したのが、たった一つのブログのみ「宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構を訪れた。」という記載を見つけました。

明治30年代、現在の浜寺公園にあったロシア兵捕虜収容所の管理のために移築されたらしいとのことでした。

家の事情で午前中しか時間が開いていなかったのですが、早速、12月11日の日曜日、早朝、その現場付近を捜し歩きました。

朝の散歩をしている方、家の庭を掃除している方を見つけては「このあたりに宇和島藩蔵屋敷長屋門が移築されているのですが、どこにあるかご存じないでしょうか?」とお伺いしましたが、全員が「長年住んでるけど聞いた事無いなぁ~」でした。

それらしき家屋がありましたので、その向かいの方が、丁度外に出てこられ、同じ質問をしましたが、やはりご存知ありませんでした。

その後、朝日新聞社、堺市などに問い合わせをしましたが、わからないとのことでした。

しかしあるところに調べてもらい、1週間後にヒントとなるお答えをいただき、解決に至りました。

osayanの取材日記 宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 その1

宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 ①

このブログの「検索フレーズランキング」に宇和島藩蔵屋敷が項目としてランキングに入っていました。

「宇和島藩蔵屋敷」で検索しますと、中之島にある朝日新聞大阪本社が明治初期、蔵屋敷の遺構を社屋として使用していた事がしるされていたほか、福岡藩蔵屋敷長屋門などが項目として上がりました。

そのなかで注目したのが、たった一つのブログのみ「宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構を訪れた。」という記載を見つけました。

明治30年代、現在の浜寺公園にあったロシア兵捕虜収容所の管理のために移築されたらしいとのことでした。

家の事情で午前中しか時間が開いていなかったのですが、早速、12月11日の日曜日、早朝、その現場付近を捜し歩きました。

朝の散歩をしている方、家の庭を掃除している方を見つけては「このあたりに宇和島藩蔵屋敷長屋門が移築されているのですが、どこにあるかご存じないでしょうか?」とお伺いしましたが、全員が「長年住んでるけど聞いた事無いなぁ~」でした。

それらしき家屋がありましたので、その向かいの方が、丁度外に出てこられ、同じ質問をしましたが、やはりご存知ありませんでした。

その後、朝日新聞社、堺市などに問い合わせをしましたが、わからないとのことでした。

しかしあるところに調べてもらい、1週間後にヒントとなるお答えをいただき、解決に至りました。

続きはその2でご紹介します。

捜し歩いているとこの附近は松の名所で知られており、「三光松跡」の石碑がありました。

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osayanの取材日記 桂小五郎潜伏の地 出石

桂小五郎潜伏の地 出石

禁門の変で敗戦後、長州藩は朝敵に。京都で朝廷や各藩との折衝役だった桂小五郎も身の危険を感じ、京都から但馬へ身を隠しました。

特に出石城下町に居た期間が長く、出石の各所でその潜伏跡の石碑が建っています。

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osayanの取材日記 大久保利通「惜松碑」

大久保利通「惜松碑」

浜寺公園にはたくさんの松の木があります。

一時期伐採の計画がありましたが、この地を訪れた大久保利通は堺県知事の税所 篤に松の木は残すよう切望。それにより今日に至ります。

公園内には大久保利通が詠んだ句とともに「惜松碑」が明治31年に建てられました。

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osayanの取材日記 日露友好之像

日露友好之像

堺市浜寺公園内に小泉首相とロシアのプチャーチン大統領による両国友好之像や碑が建立されています。

日露戦争で日本軍によって捕虜となったロシア兵の収容所が、現在の浜寺公園にありました。

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osayanの取材日記 大阪にある宇和島藩出身者の銅像

大阪にある宇和島藩出身者の銅像

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左:児島惟謙  右:土居通夫

osayanの取材日記 大阪城 多聞櫓・千貫櫓

大阪城 多聞櫓・千貫櫓

大阪城の入り口は4箇所あります。大手口、京橋口、青屋口、玉造口。

これらの入り口にはいずれも枡形の多聞櫓がありましたが、現在は大手口にしか残っていません。当時の造りを知る重要な史跡となっています。

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osayanの取材日記 大阪城 乾櫓

大阪城 乾櫓

乾櫓は大阪城の南西角にある櫓で、L字の形で1階と2階がいずれも同じ広さになっている珍しい造りになっていて重要文化財に指定されています。

「inuiyagura.pdf」をダウンロード

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osayanの取材日記 野口英世像

野口英世像

毎日、財布の中に入っているお札。

千円札に描かれている野口英世。

大阪府内に銅像があるのはご存知でしょうか?

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osayanの取材日記 旧第四師団司令庁舎跡

大阪城天守閣と共に建てられた旧第四師団司令庁舎

大阪城天守閣の復興80周年として、旧大阪市立博物館であるとともに旧第四師団司令庁舎の建物の中が特別公開されました。

建築費は大阪城天守閣よりも費用がかかりました。

「daiyonnsidannsireibutyousya.pdf」をダウンロード

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