茶川一郎

幕末 大村益次郎

幕末 大村益次郎

今春の新コースです。5月18日(日)堺筋本町駅中北改札口を出たところに13時です。

NHK大河ドラマ「花神」の主人公だった大村益次郎をメインとして、堺筋本町から谷町四丁目までの史跡ガイドを行います。

戦前、大阪市内に大村益次郎寓居跡の石碑が2か所建立されました。空襲により、現在は大阪市西区の1か所のみとなりましたが、大阪城近くにあった「大村益次郎寓居(漏月庵)跡をご案内します。

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そして、大村益次郎終焉の地。

「花神」の著者である司馬遼太郎氏も偶然同じ場所で永眠することとなった。

病院内には「花神賞」という銘板が掲げられている。

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅲ レポート(番外編)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅲ レポート(番外編)

国立病院機構大阪医療センター(旧 国立大阪病院)

 国立病院機構大阪医療センターがある地で大村益次郎は明治2年11月5日に息を引き取りました。

 大村益次郎を主人公に「花神」という歴史小説を書いた司馬遼太郎氏もこの病院で亡くなっておられます。

 たくさんの著名な方々がこの病院で亡なっておられます。

 豊臣期の話にはまったくそれましたが、案内時に次の紹介をさせていただきました。

 茶川一郎さんの役者魂

 2000年11月9日、肝細胞がんのため国立大阪病院でお亡くなりになりました。

 当時、私が所属していた劇団の公演ならびに公演前の通し稽古にご指導のため足を運んでくださっておられ、面識がありました。

 個人的には初めて茶川さんを知ったのは小学生の頃。

「どてらい男(ヤツ)」というドラマ(主演:西郷輝彦)の脇役で出演されており、そのときに大変印象に残りました。

 同劇団が、初めて放送作家で有名な山路洋平さんの作・演出による作品「うらにし」を公演した際、会場に茶川さんが観に来られていました。

 最後の舞台挨拶のときに山路先生が、「今日はこの会場に、茶川一郎さんがお見えになっておられます。茶川さん!よろしければ舞台までお願いできませんでしょうか」と声をかけられ、最初は遠慮されておられましたが、舞台に上がり講評をいただきました。

 それ以来、同劇団は、毎年、山路先生の作品を公演するようになり、茶川さんは稽古まで足を運んでいただくようになりました。

 同劇団を退団したT氏が、茶川さんの付き人を務める事になりました。

 2000年10月19日、「茶川さん入院」という連絡が入りました。

 その後、T氏の奥さんからの電話で「肝機能障害による大手術で、大量の鮮血輸血が必要! A型の人を探している。A型なら是非駆けつけて!」とわらをもつかむ悲壮な声でした。

 私はたまたまA型だったので、その日の午後11時頃、病院に駆けつけました。

 すると、A型の青年たちが20人くらい(山路先生が産経新聞のコラムにこの1件を書かれていますが、27人だったそうです)すでに駆けつけいていました。

 その日の朝からおこなった大手術は、鮮血提供者により何とか助かりました。

 私は提供できなかったのですが、後日、山路先生にお会いするとすかさず声をかけてくださいました。

「おさ!病院に来てくれたそうやな。ありがとうな。」

 

 さて、後日、T氏から聞いたのですが、茶川さんは1ヶ月公演の前か途中からかご自身の体調が思わしくないことをすでに察知されておられながらも、弱音を一切言わず、本番中は苦しいそぶりも一切見せなかったそうです。

 千秋楽、幕が降りて控え室に戻った茶川さんが

「勝ったぞ! 俺は、俺は勝ったんだ~!」

 その後、入院となりました。

 

 自分自身が苦しいとき、茶川さんの言葉をつい思い出します。

 同時期、私の父も肝臓がんで入院中でした。年内持つかどうかと主治医から聞かされ、覚悟を決めていました。そんななか、父の見舞いに行った病院の待合室にテレビが放映されていて「茶川さん死去」という訃報でした。

 改めてご冥福をお祈りいたします。

 2000年11月12日発行の産経新聞 朝刊(大阪版)をご参照ください。

 

「大坂の史跡探訪 vol.3」

「大坂の史跡探訪 vol.3」

今年、発刊するシリーズものの「大坂の史跡探訪 vol.3」の原稿ができました。

発刊まで大阪龍馬会の編集スタッフにより、ページの校正や写真の配置、地図などを工夫していただき、5月25日の「大阪史跡探訪Vol.16」にあわせて発刊いたします。

史跡案内箇所は下記の写真のとおりです。

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