坂本龍馬の豆知識

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12)

大阪銀座跡 -大阪にも銀座があった!-

高麗橋(東海道57次の起点)から徒歩2分の場所に「大阪銀座」が幕末期まで存在していました。銀座といえば東京をイメージしがちですが、大阪にもありました。

ガイドをした際、坂本龍馬の「銀座移転論」をご紹介しました。

坂本龍馬が後藤象二郎にあてた手紙は下記のとおりです。

龍馬は「大政奉還」が駄目だった場合の次の策を後藤象二郎に指示していました。

去ル頃御建言書ニ国躰を一定し政度ヲ一新シ云々の御論被行候時ハ、先ヅ将軍職云云の御論は兼而も承り候。此余幕中の人情に不被行もの一ケ条在之候。其儀は江戸の銀座を京師ニうつし候事なり。此一ケ条さへ行被候得バ、かへりて将軍職は其まゝにても、名ありて実なけれバ恐るゝにたらずと奉存候。此所に能ゝ眼を御そゝぎ被成、不行と御見とめ被成候時は、義論中ニ於て何か証とすべき事を御認被成、けして破談とはならざるうち御国より兵をめし、御自身は早々御引取老候様に御報じ可然奉存候。破談とならざる内ニ云云は、兵を用御座候。   
                                 謹言
十月
                               楳 拝首
後藤先生

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坂本龍馬定宿 伏見「日野屋孫兵衛」ゆかりの地

坂本龍馬定宿 伏見「日野屋孫兵衛」ゆかりの地

e-よこ会発行の「東横堀水辺新聞」の2012年5月号に私が寄稿文を掲載いただきました。

e-よこ会には毎年お世話になり感謝申しあげます。

「news10.pdf」をダウンロード

また、同会主催「e-よこ逍遥」のイベントにて、6月9日に「大阪会議」の経緯と舞台地となった「花外楼」「専崎楼」「三橋楼」に的を絞りご案内いたします。特に、深く掘り下げるほど湧き水のように出てくる「三橋楼」について触れたいと思います。

演題「歴史の舞台地となった大坂」

○内容

 会場となる「大阪産業創造館」は、明治期に「三橋楼」という料亭がありました。この料亭は江戸期には天満橋にあり、大坂三大橋「天満橋」「天神橋」「難波橋」が見れることからお店の名前がつきました。この三橋楼で行われた「大阪会議」の話を講演の半分お話をし、残り半分は、大阪にあってあまり知られていない歴史の舞台地を紹介したいと思っています。

日時:2012年6月9日 13時30分~15時00分

場所:大阪産業創造館 15階B室

申し込み・詳細はこちら

坂本龍馬の豆知識 ⑦

坂本龍馬の豆知識 ⑦

「JIN~仁~」が大変な好評で、大阪龍馬会での恒例「今年の10大ニュース」では1位を飾りました。

書店でも大河ドラマにあわせて坂本龍馬の関連する本が発売されてきています。

(私がみたところ間違った箇所もあるので、1冊だけでは信じ込まないようにしてくださいね)

もう一度いいます。

「竜馬」は存在しません。「龍馬」です。

さて、大阪龍馬会でこれも恒例のクイズ。

難問ばかりでしたが、変名について出題がありました。

幕末の志士は本名のほかに変名を用いていました。

さて龍馬はいくつ変名を用いましたでしょうか?

我々のグループは正解することができませんでした。

そこでクイズです。よかったら解答してください。

もしよければ、その名前もコメント欄に記入いただけるとうれしいです。

http://blog.with2.net/vote/?m=v&id=26732

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坂本龍馬の豆知識 6

坂本龍馬の豆知識 6

勝 海舟への弟子入り

勝 海舟が明治期に入り、自身の回顧談「海舟余波」などに

「龍馬が俺を斬りに来たよ」と記載されているので、信じられているのですが、

この頃、勝 海舟も晩年を迎えており幕末維新から20年~30年経過しています。

ほら吹きで大袈裟にもの云う人物でしたので、すべて信用できない面があります。

龍馬が剣術で世話になった千葉道場の千葉重太郎(当時は鳥取松平藩の指南役を務める)と龍馬が、江戸の勝 海舟邸に斬りに行き、海舟の話を聞き龍馬がその場で弟子になりたいと願い出る、というのが一般的に知られているところで、ドラマでもよくこのシーンを見かけます。

勝 海舟日記などを読むと、龍馬と出会う時期は、海舟が大坂・神戸に来ていて、海舟が神戸の寓居先「生島四郎別邸」にいる文久2年(1862)12月29日に、千葉重太郎と龍馬が海舟を訪れ、京都での世情を聞いているとあります。

海舟と龍馬は、生島邸にて文久3年の元旦を迎えています。この日にはじめてあったのではないかと思われます。

ただし、12月5日に龍馬は福井藩主松平春嶽と謁見していて、そのときに海舟訪問の紹介状を書いてもらったと思われます。海舟日記に12月9日に名前は伏せていて「此夜、有志、両三輩来訪。形成の議論あり。」とあり、この日である可能性もあります。

いずれにしても斬りに行ったというのは可能性が極めて低いと思います。

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坂本龍馬の豆知識5

 慶応3年12月7日(西暦では1868年元旦にあたり、この日兵庫港が開港しています)、龍馬暗殺から約1ヶ月を迎えようかという時期に、暗殺者の黒幕は「いろは丸事件」の交渉で敗退した紀州藩三浦休太郎であるという噂をキャッチした海援隊士ならびに陸援隊士が、坂本龍馬および中岡慎太郎の仇討ちをするため、三浦と警護にあたる新選組がいる京都「天満屋」へ襲撃します。

 海援隊・陸援隊側では真っ先に討ち入った十津川郷士中井庄五郎、新選組側では宮川信吉、舟津釜太郎が闘死。

 その報告を聞いた新選組近藤勇は救援隊として永倉新八、原田左之助ら14名を派遣し、途中、紀州藩の救援隊と遭遇し、互いに敵と勘違いをして斬りあったそうです。

 この事件を天満屋騒動(事件)といわれています。

坂本龍馬の豆知識 その4

坂本龍馬の変名

 幕末期は佐幕派、勤皇派などさまざまな思想があり、自分の身を守るため変名を使っていました。

 龍馬の変名は、「才谷梅太郎」が有名で、京都の「酢屋」さん(海援隊京都詰所跡・龍馬寓居跡)では、未だに当時の龍馬を説明する際、「才谷さんは・・・」とおっしゃっています。

 そのほかにも龍馬は次のような変名を用いていました。

 「西郷伊三郎」「高阪龍次郎」「大濱濤次郎(なみじろう)」「取巻抜六」。

坂本龍馬の豆知識その3

<神戸海軍操練所と神戸海軍塾>
よく坂本龍馬関連の本で龍馬は「神戸海軍操練所の塾頭だった」というのを見かけます。

神戸海軍操練所は、勝 海舟が第14代将軍徳川家茂に摂海を蒸気船で案内している時、直談判で「海軍創設の必要性とその人材を育てるため、神戸に操練所を開設すべき」と訴え、家茂は即答にて承諾します。

つまり「神戸海軍操練所」は幕府によって創設されたものですので、脱藩浪士は入所できません。勝 海舟は大坂の寓居先である専稱寺に「大坂海軍塾〔勝塾)」を開塾。龍馬は勝塾に入塾。

勝 海舟が神戸に拠点を移した際、自邸を設けます。勝塾も神戸に移転。勝 海舟邸で「神戸海軍塾(勝塾)」が開かれた可能性が高いと思われます。

大坂海軍塾より塾頭だった佐藤与之助〔庄内藩士)が、神戸海軍操練所の教授役に抜擢。勝塾では、塾頭が空席になり、坂本龍馬が勝塾の塾頭を継ぎました。

0650001 「神戸海軍操練所」と「神戸海軍塾」は別物で、ご存知の方が意外に少なく、著名な歴史作家でも誤記があるケースが多々あります。写真は神戸の勝海舟邸跡です。現在の阪急三宮駅に該当します。

坂本龍馬の豆知識その2

坂本龍馬の出身である土佐藩の当主は山内家。さて四賢候の一人、山内容堂は「やまのうち」?「やまうち」?
山内家本家は「やまうち」と名乗り、分家は「やまのうち」と名乗っています。分家から本家に入った山内容堂(元は豊信)は「やまのうち」と名乗っていましたが、藩主となるや「やまうち」に変わっています。エピソードがあり上京した際、公家から「やまのうち殿」と呼びかけられて無視した逸話が残っています。
正解は「やまうちようどう」です。

坂本龍馬の豆知識その1

龍馬と竜馬の違い

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」があまりにも有名になったためこのような現象がおこっているのですが、名前に略字を使用しても実際の公文書などは正式な文字を使います。例えば小浜さん→小濱さん、斉藤さん→齋藤さん、渡辺さん→渡邉さん。龍馬に関する史料で龍馬という字はあっても竜という字は使われていません。「龍谷大学」も「竜谷大学」とは標記していません。司馬さんが「龍馬」とせず「竜馬」にしたのは実像の龍馬に司馬さんの創作が入るため「竜馬」で表現したといわれています。武田鉄也氏の「お~い竜馬」も「竜馬がゆく」に影響を受けたからだと思います。正式には坂本龍馬です。

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