お龍

2016 春の史跡探訪 その1

2016 春の史跡探訪

春の史跡探訪の日程が決まりました。
ご都合が合う方はぜひご参加ください。

1.幕末:祇園・東山
  3月27日(日) 13:00~ 京阪電鉄祇園四条駅南改札口前に集合。
 祇園・八坂・清水周辺の幕末史跡めぐりです。

 江戸時代の人々は必ず寺の宗派に属しなければならなかったのですが、勤皇を唱える志士たちはあえて(神道による葬儀にて)霊山に葬られることを望みました。その霊明神社を訪れます。

 坂本龍馬と中岡慎太郎の遺体が運ばれた維新葬送の道、明治初期、先立たれた夫の墓守のため、居住していた坂本龍馬の妻 お龍の住居跡をご案内。

 慶応3年11月15日、軍鶏を買いに行ったM。近江屋に帰ってきたら坂本龍馬と中岡慎太郎が賊徒に襲撃された後だった。Mとは誰か? 家に伝わる当時のMの体感をお伝えします。

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2.神戸史跡探訪

 4月2日(土) 13:00~ 阪急電鉄神戸三宮駅東改札口前

 神戸のガイドブックに記載のない箇所を含めた史跡を巡ります。
 兵庫県初代知事は誰か? その知事の神戸寓居跡を訪れる。

 神戸にあった勝海舟邸跡は現在のどの地に該当するか。意外な場所だった。
 勝海舟が、一大共有の海局、幕臣だけでなく各藩から訓練生を募り、日本の海軍を増強し、西洋の強国に屈しないための訓練所を神戸に定め、14代将軍徳川家茂に直談判を行い許可を得た「神戸海軍操練所」跡を巡る。兵庫が開港されたのは1868年1月1日(慶応3年12月7日)。明治新政府初外交の場、神戸税関発祥の地を訪れる。勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文、東郷平八郎、荒木村重などのゆかりの地を訪れます。

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3.大阪史跡探訪Vol.19 

 4月17日(日) 二部制

 午前午後、午前のみ、午後のみ の参加が可能

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4.高槻

日時:4月29日(祝) 

集合場所:JR高槻駅中央改札口前

 10世紀末からあったとされる高槻城。戦国期以降高槻城の城主が次のように頻繁に入れ替わり統治してきました。入江春継、織田信長、和田惟政、高山友照・右近父子、新庄直頼、青山忠成、内藤信正、土岐定義、松平家信、岡部宣勝、松平康信、永井直清。高槻城とその城下町にある史跡をご案内します。
キリシタン大名高山右近ゆかりの地、江戸期は普代大名が治めた地、高槻を城下町中心にめぐります。

 JR高槻駅~山崎の合戦羽柴秀吉本陣跡~西国街道芥川宿~松永久秀鼓塚~高槻城出丸の門跡~高槻城三の丸・外堀跡~藤井竹外邸跡~高山右近像~高槻天主教会跡~陸軍工兵第四聯隊跡~高槻城跡~司馬遼太郎勉学の地~蔵屋敷跡~高槻藩校「菁莪堂」跡~森田無紘の生家、小倉邸跡~高槻城北大手門跡

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幕末:祇園・東山

幕末:祇園・東山

2015年3月29日、京阪三条駅からスタートをして、祇園・東山エリアの幕末史跡を訪ねます。定員があとわずかとなっております。ご都合の合う方はぜひ下記サイトをアクセスのうえお申し込みください。

ガイドブックに載っていない案内場所は次の場所です。

・英国公使ハリー・パークス襲撃の地

・高杉晋作寓居跡

・池田屋事件ゆかりの地 新選組集合の場所「祇園会所跡」

・芝居発祥の地

・西郷吉之助 馴染みの茶屋跡

・伊藤博文宿泊の地

・勤王僧月照寓居跡

・坂本龍馬墓所の墓守をした頃の妻 坂本龍の居住跡

・京都名所の地

・復元された彦根藩京都藩邸門(井伊美術館)

などをご案内いたします。申し込みはこちら

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京都の幕末を歩く Vol.1 を実施します

京都の幕末を歩く Vol.1

JASS(会員制)から今年も史跡ガイドの依頼を頂戴しました。

これまで大阪市を中心に実施してきましたが。今年は京都の史跡ガイドを行います。

京都はガイドブックも豊富ですし、参加希望者が少ない可能性があります。

そこで、募集状況が芳しくない場合、会員以外の方にも募集をしたいと思います。

私が行う以上、他のガイドさんがたったことのない案内をしたいと思っています。

日時は2014年10月5日(日)10:00~16:00(昼食付)

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大坂の幕末を歩く 北浜~本町

大坂の幕末を歩く 天満橋~北浜

今春は、4月5日(土)に行います。

見どころは下記の通りです。こちらです。

<勝海舟 寓居(専稱寺)跡>

文久2年(1862)閏8月17日、軍艦奉行並に就任した勝 海舟は、同年12月、軍艦順動丸で大坂天保山に投錨し来坂しました。
その後、大坂を基盤に兵庫、泉州、紀州などを訪れ、砲台の設置場所を吟味しています。
坂本龍馬の幼馴染だった望月亀弥太(のちに「池田屋の変」で闘死)の手紙には、次のような記載があります。

(前文省略)
私も今七日京都出足その夜伏見より船に乗り、八日朝7ツ半(五時)頃大坂八軒家に着き申し、御屋敷(藩邸)の近へ宿をとり、夕方勝先生(海舟)の御旅宿へ参り候処先生にはいまだ御用之有る趣にて船出延引、同九日本町三丁目先生の御旅宿に逗留、住吉の陣屋に行き申し候。同十一日大坂より船にて兵庫に参り申し候。(以下省略)
(望月亀弥太が母に送った手紙) 
                   文久三年正月廿一日

勝 海舟の日記にも文久3年(1863)正月九日、土州の数輩、わが門に入り、坂本龍馬と時勢を論じたことが書かれています。
文久3年(1863)1月の段階では「本町三丁目」に逗留していたと思われますが、正確な場所は不明です。

「海舟日記」によりますと、次のような記載があります。

文久3年2月27日
朝、上陸。
安治川一丁目順正寺旅館に到る。(以下省略)

日記にあるように同年2月には「順正寺」を大坂の寓居先にしていました。順正寺の場所は、現在の大阪市福島区野田1丁目、中央卸売市場のあたりにありました。勝 海舟は寓居先をすぐに別の場所に変更しています。
「海舟日記」の文久3年(1863)3月朔日には、次のような記載があります。

(前文省略)
大坂へ船行。此日、旅宿を北溜屋町 真正寺に定む。
坂下[本](坂本龍馬)、新宮(新宮馬之助)、京師より来る。

この日より、元治元年(1864)11月10日、軍艦奉行を罷免され、江戸にて蟄居を命ぜられるまでの間、この場所を大坂の寓居先としていました。
一時期、文久3年(1863)6月13日より、約3ヶ月間江戸へ帰っていました。しかし、すぐに大坂へ呼び戻されます。
文久3年(1863)9月9日の「海舟日記」には、次のような記載があります。

朝、上陸。天保山沖へ入津。
同日、雅楽頭(姫路藩主 大老 酒井忠(ただ)惇(あつ))殿はじめ役々、上陸、専修寺旅宿へ入る。

「海舟日記」にある「北溜屋町」や「真正寺」は実際に存在しませんでした。
「専修寺」は此花区酉島3丁目に同名のお寺が存在しますが、幕末当時、この「専修寺」は堺にあり、明治になってから此花区に移っています。
従って、勝 海舟の寓居先とはまったく関係ないことがわかりました。
勝 海舟は、寺名や町名を誤って日記に記載したのではないかと考えられます。
 「順正寺」は誤記ではなく、実際に存在していました。
「慶応四年目録」(川口居留地開設直後の外国人との応対や外国事務局の動静を記す資料)に次のような記載があります。

(慶応4年)九月二日 亥 晴 (途中省略)安治川上壱丁目 順正寺へ丸亀人数旅宿申付置候処、
(以下省略)

他の資料においても実存が確認されています。
「順正寺」はその後、大阪市西区京町堀、さらに東淀川区と移転し、昭和34年(1959)廃寺になりました。

勝 海舟の順正寺の次の寓居先は、当時の北鍋屋町にあった「浄土真宗 専稱寺」です。
北鍋屋町はその後の町名変更で、淡路町3丁目になり、区画整理などで更に変更し、現在の淡路町2丁目5~6、同3丁目1~2あたりが、北鍋屋町に該当します。
専稱寺があった場所の確証が取れる資料はなかったのですが、大阪市史を研究されている先生に助言をいただいたところ、「北鍋屋町水帳」(安政3年作成)と「大阪地籍地図」(明治44年作成の大阪市地図)の2つの資料を照らして判断すると、現在の淡路町3丁目2-13(スワン大阪第一ビル)及び、2-14(ノリタケビル)あたりだという結論にいたりました。
「北鍋屋町水帳」は北鍋屋町にあった全ての建物の横幅・奥行きの寸法、及び持ち主が記載されており、それらの建物一つ一つの寸法と地図を見比べますと、この場所だということになります。
「専稱寺」は、「東区史」において北鍋屋町にあったことが記載されています。また、専稱寺は神戸市葺合区吾妻町に移転したことも確認することができました。
葺合区は今の神戸市中央区で、ちょうど葺合警察署がある付近となります。
平成12年(2002)2月、現在の専稱寺を訪れてみました。ご住職のお話によりますと、勝 海舟や坂本龍馬の話が語り継がれているとの事で、それを裏付ける資料も残っていたそうです。
その資料の中には、坂本龍馬が専稱寺でお世話になった記念に、絵のようなものを残していたそうです。
しかし、昭和20年(1945)の空襲による戦災で、貴重な資料は全て焼失してしまいました。
「専稱寺」は、浄土真宗本派本願寺門下で、慶長13年(1608)12月28日、祐性という僧が、北鍋屋町にて開山します。
明治31年(1898)10月に、同じ大阪市内で旧東区中本大字森(現、中央区森之宮中央)に移転します。明治33年(1900)9月3日に、神戸市葺合区吾妻町(現、葺合警察署付近)に移転します。戦災により更に、現在の場所である中央区南本町通4丁目5に移転し、今日に至ります。
勝 海舟は文久3年(1863)3月より9月24日までの約半年間、大坂の寓居先である専稱寺にて海舟の私塾である海軍塾を開いていました。
その後、神戸海軍操練所開設に向け、海軍塾も神戸へ移転しています。
大坂海軍塾だった専稱寺の現在の場所と、神戸海軍操練所ならびに神戸海軍塾(勝塾)の跡地との距離が、目と鼻の先というのも不思議なものを感じます。

第14代将軍 徳川家茂の江戸東帰に伴い、勝 海舟は供として、文久3年(1863)6月13日に大坂を出発し、16日に江戸に到着します。
同年6月26日の「海舟日記」には次のような記載があります。

大坂より、俵次郎、半兵衛、来る。聞く、大坂の塾へ、長藩五十人程来たり、図書殿を打つ企を告げ同志を募ると云う。龍馬子、これを説解し、敢えて同ずる者なし。

文中に「大坂の塾」という文字が出てきます。
勝 海舟は、大坂の寓居先である専稱寺に海軍塾を開いていました。
門地に拘らず、能力のある人材の発掘、海軍士官の養成を目的として「日本の海軍」いわゆる「一大共有の海局」を目指し、自身の私塾として海軍塾を開塾したのでした。
塾生には坂本龍馬をはじめとした土佐脱藩浪士、各藩から教育の要請を受けた紀州藩士、鳥取藩士、福井藩士などがいました。
塾頭は、海舟の片腕として活躍した庄内藩出身の佐藤与之助でした。
文久3年(1863)9月24日、勝 海舟は神戸海軍操練所の開所準備のため神戸に移り、私塾も大坂から神戸の海舟邸に移します。

勝 海舟は同年10月に上京し、福井藩松平春嶽を訪ね、次のように述べたと「海舟日記」にあります。

神戸操練所の事、并びに天下の海軍を立て、普ねく諸藩と士民とを論ぜず、人物を集め、その器に応じ将となし、士となし、門地の旧弊を止め、学術を以て募り、皇国興起の一大海局と成さんことを申す。

勝 海舟の門下生 坂本龍馬も専稱寺へ頻繁に訪ねています。
坂本龍馬と勝 海舟との出会いについて、同じく門下生だった杉 亨二が、勝 海舟の亡くなった後、追憶談で次のように語っています。

その頃、勝は大坂に出張していまして、帰ってきた時、見舞に行ってどうで御座いましたと尋ねますと、ウム 色々浪人などを取締っておった所が、旅館に菰(こも)を被って会いたいという者があるから、遇って、己を斬りに来たかと申しますと、斬りに来たと答えたそうで、それからどうしてか懇意になったそうですが、確か、これは坂本龍馬であったと承りました。

この場所が大坂で正しければ、専稱寺、或は前記の順正寺のどちらかだと思われます。
  しかし、勝 海舟日記に初めて龍馬の名が出たのは、海舟が神戸の寓居先である生島四郎別邸に居る文久2年(1862)12月29日でした。初めて会ったのは神戸の寓居先という説もあります。

文久二年十二月二十九日
千葉十(重)太郎来る。同時、坂下(本)龍馬子来る。
京師の事を聞く。(以下省略)

そのほかに同年12月9日、江戸の勝 海舟邸の説もあります。

十二月九日
此夜、有志、両三輩来訪。形勢の議論あり

海舟の門下生になった坂本龍馬は、文久3年(1863)2月25日に1回目の脱藩罪赦免を受け、京都の土佐藩邸にて7日間もの謹慎処分を受けますが、謹慎を終えた3月朔日(1日)に来坂し、寓居先を移したばかりの専稱寺に居る勝 海舟を訪ねています。

三月朔日
陸行、御願村に到る。同所より、西宮海岸に到り、地所を定む。即日、大坂へ船行。此日、旅宿を北溜屋町 真正寺に定む。坂下[本](坂本龍馬)、新宮(新宮馬之助)、京師より来る。

次の手紙は坂本龍馬が姉の乙女に宛てた有名な手紙で、この時期に書かれています。

扠もさても 人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事、うんのわるいものハふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。
夫とくらべてハ私などハうんがつよくなにほど死ぬるバへでゝもしなれず、じぶんでしのふと思ふても又いきねばならん事ニなり、今にてハ日本第一の人物勝憐(麟)太郎殿という人にでしになり、日々兼而思付所をせいといたしおり申候。
其故に私年四十歳になるころまでハ、うちにハかへらんよふニいたし申つもりにて、あにさんにもそふだん(相談)いたし候所、このごろハおゝきに御きげんよろしくなり、そのおゆるしがいで申候。

どふぞおんよろこびねがいあげ、かしこ。
 (文久三年)三月廿日          龍
 乙様
御つきあいの人ニも、極(ごく)御心安き人ニハ内ゝ御見せ、かしこ。

此頃は天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かはいがられ候て、先(まず)きやくぶんのよふなものになり申候。ちかきうちにハ大坂より十里あまりの地ニて、兵庫という所ニて、お々きに海軍ををしへ候所をこしらへ、又四十間、五十間もある船をこしらへ、でしどもニも四五百人も諸方よりあつまり候事、私((マ)初(マ))栄太郎(高松太郎)なども其海軍所に稽古学問いたし、時々船乗のけいこもいたし、けいこ船の蒸気船をもつて近々のうち、土佐の方へも参り申候。そのせつ御見(目)にかゝり可申候。
私の存じ付きハ、このせつ兄上にもおゝきに御どふい(同意)なされ、それわおもしろい、やれやれと御もふしのつがふ((都合))ニて候あいだ、いぜんももふし候とふり軍サでもはじまり候時ハ夫までの命ことし命あれバ私四十歳になり候を、むかしいゝし事を御引合なされたまへ。すこしエヘンがをしてひそかにおり申候。達人の見るまなこハおそろしきものとや、つれづれニもこれあり。
猶エヘンエヘン
                                    かしこ。
(文久三年)五月十七日         龍馬
乙大姉御本


                                    かしこ。

右の事ハ、まづまづあいだがらへも、すこしもいうては、見込のちがうひとあるからは、をひとりニて御聞おき、
                                    かしこ。



 

大坂海軍塾跡をはじめとした北浜~本町史跡ツアーのご案内

北浜~本町史跡ツアー

2014年4月5日に北浜~本町の史跡案内を行います。

お申し込みはかきURLへ

http://www.osaka-asobo.jp/course49.html

見どころは、勝海舟の大坂旅宿だった専稱寺跡。

ここは文久3年3月1日から勝海舟が大坂の寓居先と定めました。

その日に偶然、脱藩の罪が許され京都土佐藩邸にて謹慎が解け、晴れて大坂にいる勝海舟のいる専稱寺に訪ねてきたのが坂本龍馬でした。

この年の秋、勝塾は神戸に移転しますが、依然として大坂の旅宿先が専稱寺でした。

元治元年9月11日、勝海舟をぎゃふんと言わせるために乗り込んだ大物が大島吉之助。

昨年の大河ドラマでは、舞台セットが組まれ放映されました。

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そのほか、大阪慶應義塾跡。五代友厚座像。適塾などをご案内します。

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ご都合が合えばぜひご参加ください。

中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 24

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 24

新選組定宿 船宿 京屋忠兵衛跡
                         中央区天満橋京町3-6(福助ビル~フロマージュ天満橋店)

「八軒家船着場」は、古くから「窪の津」「渡辺の津」といわれ、平安時代から四天王寺や熊野詣の人々の上陸地であった。
江戸期にはこの辺りに船宿が8軒あったことから八軒家と呼ばれた。京・大坂を淀川で結ぶ場として非常に賑わっていた。
新選組定宿「京屋忠兵衛」は、現在の土佐堀通南側フロマージュ満橋店から福助ビルに該当する。間口は「京橋弐街目」の水帳によると11間(11×1.8182=20.002m)ほどあった。
文久3年(1863)4月21日、将軍徳川家茂護衛のため新選組(当時は壬生浪士組)が下坂し京屋に宿泊した。
6月2日にも芹沢鴨、近藤勇、山南敬助、沖田総司、平山五郎、野口健司、永倉新八、斎藤一、島田魁、井上源三郎が宿泊した。このとき大坂相撲力士との乱闘事件を起こす。9月にも宿泊。元治元年(1864)7月に
は禁門の変後の大坂で残党狩りのため23日より宿泊した。
慶応2年(1866)1月19日には龍馬の護衛をしていた三吉慎蔵が八軒家で検問している新選組を目撃している。
鳥羽伏見の戦後、慶応4年(1868)1月6日、京屋へ投宿し、翌日大坂城へ入城したが、火災のため再度京屋へ戻ってくる。「京橋弐街目」の水帳(江戸期の土地台帳)には、船宿 京屋忠兵衛並びに船宿 堺屋源兵衛が記載されており、京屋忠兵衛の次の代が、京屋小次郎。そして明治期になって転売された。水帳は道主が変わればその上に紙が貼り付けられる仕組みである。
京屋の表口が11間(約20m)。奥野氏が、近年、フロマージュ天満橋店の許可を得て「京屋忠兵衛跡」の銘板を実費で建てられた。

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【楢崎龍ゆかりの地 天満八軒屋 船屋 京屋忠兵衛跡】
明治期に発刊されたお龍の回顧録では、大坂の女郎に売り飛ばされた妹の光枝の救出劇が語られている。
お龍の回顧録『続反魂香(四)』で次のような記録がある。
『お良は還って見ると、妹の光枝が居ませむから、如何したのかと母に聞くと、これこれと訳を話しましたので、そりゃ大変です。(途中省略)お良は、宜しいお母さん、御心配なさいますな、妾(わた)しが行って取り返して来ますからと、金子を調へて、先ずお吉(光枝をさらって売り飛ばそうとする狼婆)の家へゆき、此処で亭主と言ひ争った末に、愈大坂の居処が知れて、お良は大坂へ渡り、ドブ池といふ処に、お吉と他に男が三人無頼漢(ごろつき)風の奴が、光枝を取りかこむで何か言って居ります処へ、突然坐りこむで白眼(にら)み廻すと、流石の四人も不意にお良が来たので、唯、呆然と仕て居りました。軈(やが)て口を開き、おいお前さん方は、何たつて妹をこんな処へ連れてきたんです。母に聞けば大家へ小間使ひにやるとかいふそうですが、妾(わた)し眼の黒い内は、めつたに妹を他処へは遣りませむよ、さあ、妾(わた)しが妹を連れて帰りますから、其積りで居て下さいと、立上がって妹の手を執ると、一人の男が、矢庭にお良の腕を捉へて、やい阿魔(あま)、何でい、此女を如何するといふんでい、と眼を怒らせて今にも飛かゝらむ勢ひ。お良は平気で、何だとい、此女を如何する、フン自分の妹を自分が連れてゆくに何が如何したとお言ひだい、ふざけた事を言ひなさむな。(途中省略) 傍らにあった火鉢を執って投げつけますと、ぱつと上る灰神楽。即意即妙の目つぶしに、三人とも目をやられて、言ひ合したやうに台所へ馳せゆく隙を窺ひ、光枝の手を執って表へ出ますと、お吉婆が、背後から帯を捉えて引戻そうとするやつを、エイッと蹴飛ばして逃げ出し、八軒家の京屋といふ船宿に飛び込むで、三十石船に乗り京都へ帰って我が家へ着きました。帰ると妹の君江も連れて行かれたと聞き、母を叱咤し急いで連れ帰りました。』

京都史跡ガイド 初体験

京都史跡ガイド

2013年10月27日。私のとって記念すべき日となりました。

これまで、大阪史跡探訪、神戸史跡探訪のガイドを担当したことがありますが、ご縁があり、初めて「京都史跡探訪」のガイドを体験させていただきました。

10:00~13:00の3時間。四条河原町をスタートして池田屋騒動之址地までご案内いたしました。

最初の案内地からマニアックな史跡をご案内。

土方楠佐衛門寓居跡。鳥新跡。中村半次郎寓居跡。

半次郎と村田さととの経緯を説明。

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いずれも石碑がないのが残念ですね。

そのような中で、一番時間を割いたのは坂本龍馬について。

今回の史跡探訪のレジュメは、知野文哉さんのレジュメページ数には届きませんでしたが、30ページとなりました。

そのうち坂本龍馬の案内は6ページ。

その内容を紹介したいと思います。

明日のこの時間にアップいたします。

幕末の大坂を歩く 2013 秋

幕末の大坂を歩く 2013 秋

10月より「幕末の大坂を歩く」を行います。

最初は6日(日)13時~

北浜から本町までオフィス街を歩きますが、歴史ネタが豊富にあります。ガイドブックに載っていない箇所をご案内いたします。

ご面倒ですが受付はこちらまで

大阪の歴史は京都よりも古い。

歴史のある大坂をぜひ知っていただきたく存じます。

勝海舟寓居跡=大坂海軍塾のあった場所が最大の案内箇所だと思います。文久3年3月1日、海舟が専稱寺というお寺を大坂の宿所と定めた日に坂本龍馬が専稱寺を訪れました。

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大坂の幕末を歩く 北浜コース 11月11日

大坂の幕末を歩く 北浜コース 11月11日

11月11日、14時に大阪証券取引所五代友厚銅像前に集合(14時までに)。

2012年最後の「大坂幕末を歩く」の史跡案内を行います。案内箇所は下記のとおりです。

大阪慶応義塾跡

五代友厚座像

大坂海軍塾跡

坂本龍馬訪問の地

勝海舟・西郷吉之助 初めての会見の地

明治天皇御在所 北御堂

来年の大河ドラマゆかりの地

今年発刊した「大坂の史跡探訪 Vol.1」を販売いたします!

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(20)新選組定宿 船宿 京屋忠兵衛跡

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(20)

新選組定宿 船宿 京屋忠兵衛跡 

「八軒家船着場」は、古くから「窪の津」「渡辺の津」といわれ、平安時代から四天王寺や熊野詣の人々の上陸地であった。江戸期にはこの辺りに船宿が8軒あったことから八軒家と呼ばれた。

京・大坂を淀川で結ぶ場として非常に賑わっていた。

新選組定宿「京屋忠兵衛」は、現在の土佐堀通南側フロマージュ満橋店から福助ビルに該当する。
間口は「京橋弐街目」の水帳によると11間(11×1.8182=20.002m)ほどあった。

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文久3年(1863)4月21日、将軍徳川家茂護衛のため新選組(当時は壬生浪士組)が下坂し京屋に宿泊した。

6月2日にも芹沢鴨、近藤勇、山南敬助、沖田総司、平山五郎、野口健司、永倉新八、斎藤一、島田魁、井上源三郎が宿泊した。このとき大坂相撲力士との乱闘事件を起こす。

9月にも宿泊。元治元年(1864)7月には禁門の変後の大坂で残党狩りのため23日より宿泊した。
慶応2年(1866)1月19日には龍馬の護衛をしていた三吉慎蔵が八軒家で検問している新選組を目撃している。
鳥羽伏見の戦後、慶応4年(1868)1月6日、京屋へ投宿し、翌日大坂城へ入城したが、火災のため再度京屋へ戻ってくる。
「京橋弐街目」の水帳を見つけ、京屋並びに堺屋の跡地を見つけ出すのに貢献された奥野氏が、近年、フロマージュ天満橋店の許可を得て「京屋忠兵衛跡」の銘板を実費で建てられた。

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