「幕末 大村益次郎」ツアー
「幕末 大村益次郎」ツアー
2014年5月18日(日)に大阪にある大村益次郎の史跡を中心としたツアーのガイドを行います。
周防の鋳銭司村で生まれた村田良庵。百姓医者の息子として生まれ、青年期に大坂の緒方洪庵の適塾に入門します。大阪には非常に縁のある人物。大阪市内には適塾時代に下宿先だった場所2か所に石碑が建てられました。1か所は大空襲により消滅いたしました。
明治新政府樹立後、木戸孝允から刺客に襲われる危険があるため自嘲するようにという注意を受けながら、明治2年、京都・大阪を巡回し、のちの陸軍の要所を築きました。
京都で賊徒の襲撃に遭い、大阪病院に入院。
右足を切断する手術を受け、切断した右足は緒方先生のお墓の傍らに埋葬してほしいと言い残す。
手術の甲斐なく、大阪で永眠することになった。
第二次世界大戦に入り、大村益次郎が急に崇められることとなり、終焉の地や寓居跡の史跡が顕彰されることとなった。
東京の靖国神社に銅像が建てられていて、陸軍の父と称されているが、彼は適塾で蘭語を体得し、蘭書から兵法を学んだにすぎなかった。
大阪に陸軍の拠点を置いたのも、明治新政府に対する反乱軍が、西から現れるのを予想していたためといわれる。
大村益次郎は、NHK大河ドラマの主人公として抜擢された。
司馬遼太郎の作品「花神」である。
司馬遼太郎が亡くなった場所は大村益次郎が亡くなった場所でもある。
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