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プリンセストヨトミ

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

2015年6月14日に発刊。大阪龍馬会発刊の史跡ガイドブック連載のVol.4は「大坂城」です。

これまで以上にページ数が増え、115ページと史跡コースMAPの付録でついています。

詳しくは次のサイトへ  クリック

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大阪城について 1

1. 大阪城公園駅                      中央区大阪城3-3

大坂城築城400年祭り開催に合わせて、昭和58年(1983)10月1日、JR(当時は国鉄)大阪環状線の森ノ宮駅と京橋駅の間に大阪城公園駅が開業した。
大阪環状線では唯一この駅のみが地平駅となっている(天王寺駅は上町台地の掘割部分にホームがあるため厳密には地平駅とはいえない)。
昭和7年に桃谷駅と猫間信号場間が高架化されているが、大阪砲兵工廠(現在の大阪城公園東部、大阪ビジネスパーク、吹田総合車両所森ノ宮支所など)の付近には線路を横断する道路はなく、砲兵工廠へ入る側線(廠内鉄道)との兼ね合いもあって高架化されなかった。なお、高架化されなかった理由に防諜説があるが、砲兵工廠の南端に開業した森ノ宮駅が開業当初から高架駅であることや、昭和17年9月に防諜の観点から大坂城内への一般の立入が禁止されるまで、大坂城天守から工廠内が丸見えであったことを考えると、防諜説はやや無理が生じると考えられる。

大阪史跡探訪Vol.18 

大阪史跡探訪Vol.18

2015年6月14日、大阪龍馬会主催の「大阪史跡探訪Vo.18」を開催することとなりました。

今回は、大坂夏の陣400年の舞台となった大坂城。豊臣秀頼が亡くなって400年です。

また、来年は第14代将軍徳川家茂が大坂城で亡くなって150年となります。

政治の行方を左右した重要拠点である大坂城に注目し、歴史散策を行います。

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現存する豊臣期大坂城石垣を見学できるツアーのご案内

現存する豊臣期大坂城石垣を見学できるツアーのご案内

大阪史跡探訪Vol.16

通常公開はお断りをされている一般非公開の箇所。

私が企画するツアーのコンセプト「地下に眠る豊臣期の大坂城石垣」にご賛同いただき、一般非公開である箇所に見学の許可をいただきました。

2回チャンスがありましたが、1回目は定員超過率1.67で満足していただきました。また、怪我なく無事終了することができました。

残すところあと1回(5/25)となりました。

恐らく、5月25日で、私として今回限りとしたいと思っています。

→2014年5月25日 大阪史跡探訪Vol.16 大阪龍馬会主催イベント

申し込みはこちら   

行程は次の通り

1. 復活した八軒家船着場常夜燈→2. 渡辺の津跡→3. 三橋楼跡→4. 大阪ハリストス正教会跡→5. 豊臣期大坂城三の丸の石垣→6. 大阪衛戍病院跡→7. 大阪偕行社跡→8. 明治紀念標跡→9. 大阪偕行社附属小学校(追手門学院小学校)→10. 大坂東町奉行所址→11.明治新政府外国事務局跡→12.キリシタン寺跡→13. 石田三成邸跡→14. 大阪英語学校跡→15. 舎密局跡→16. K・W・ハラタマ博士像→17. 大阪憲兵隊本部跡→18. 難波宮跡の遺跡→19. 5世紀後期の高床式倉庫→20. 豊臣秀次邸跡→21. 難波宮大極殿跡→22. 歩兵第八聨隊跡→23. 歩兵第三十七聨隊跡→24. 大村益次郎終焉の地→25. 司馬遼太郎終焉の地→26. 兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑→27. 安国寺恵瓊邸跡→28. 忠臣蔵長屋跡推定地→29. 井原西鶴終焉の地→30. 月山貞一旧居跡→31. 大村益次郎寓居(漏月庵)跡→32. 五代友厚像→33. 土居通夫像→34. 稲畑勝太郎像→35. 英照皇太后・昭憲皇太后 行啓之所→36. 大坂西町奉行所跡→37. 大阪府庁跡→38. 牢屋跡→39.大阪活版所跡→40.義侠 天野屋利兵衛之碑→41.本町橋→42. 三橋楼跡→43. 曲り淵地蔵尊

ご希望の方は、定員オーバーになる前に常にチェックくださいますようお願いいたします。

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大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト

http://www.toyotomi-ishigaki.com/

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「大坂の史跡探訪 vol.3」

「大坂の史跡探訪 vol.3」

今年、発刊するシリーズものの「大坂の史跡探訪 vol.3」の原稿ができました。

発刊まで大阪龍馬会の編集スタッフにより、ページの校正や写真の配置、地図などを工夫していただき、5月25日の「大阪史跡探訪Vol.16」にあわせて発刊いたします。

史跡案内箇所は下記の写真のとおりです。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その6

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その6

6回目のレポートです。

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

心眼寺を後にして、地下鉄で松屋町まで移動し、「練(御屋敷再生複合ショップ)」 を訪れました。

この付近は瓦に適する土があり、瓦の生産地でした。瓦の製造過程で「土練」という過程(採った土を練り上げ土の中にある空気を抜き取る作業)から「練」と名づけられたようです。

瓦職人として有名になった寺島籐右衛門を紹介。

寺島家は、紀州の出身。

豊臣秀吉に認められ豊臣家の御用瓦師になります。

その後、徳川の御用瓦師にもなり、豊臣家の内偵と成ったため、豊臣家滅亡後、広大な土地を請地として得ます。しかしそれは4代も経ってからのことだったようです。

それまでも江戸城の瓦も大坂で焼いて納め、京都禁裏の瓦も請け負うなど徳川家の独占的瓦事業者だったようですが、4代目の寺島籐右衛門の時に広大な土地を与えられます。これを瓦屋藤右衛門請地といいます。以後何代かこの名が続きました。

また、、「練(御屋敷再生複合ショップ)」 の建物は、大正期に建てられた建物。

一説には、神戸の舞子にあった有栖川宮別邸の一部が移築されたものと言われています。複合ショップの2階にあるお店「ありす」でお茶の休憩。

主催者の方が用意された映画「プリンセストヨトミ」のDVDを部分的に鑑賞。

参加者にはエキストラで出演された方もおられ、撮影時のエピソードを聞くことができました。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その5

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その5

遅くなりましたが、5回目のレポートです。

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

旧陸軍真田山墓地を後にして、心眼寺を訪れました。

心眼寺は、元和8年(1622)4月、真田幸村(信繁)とその子 大助の冥福を祈るため、真田幸村が築いた「真田の出丸」と呼ばれる砦の跡地に、白牟和尚によって創建されました。

心眼寺の定紋は真田家の六文銭に定められ、山号は真田山となっています。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その4

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その4

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

遅くなりましたが、4回目のレポートです。

真田山の真田幸村ゆかりの地を後にして、旧陸軍真田山墓地を訪れました。

入り口には未だに「陸軍省管轄地」の石碑が建っています。

ここは、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦で尊い命を国にささげた方々の墓地です。

清国、ドイツの捕虜の墓碑を案内。「俘虜」と刻まれた箇所が現在は削り取られています。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その2

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その2

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

遅くなりましたが、2回目のレポートです。

JR大阪環状線玉造駅の改札出たところ午前10時に集合。

申込者21名がドタキャン無しで21名の方が来られました。

「プリンセストヨトミ舞台地ツアーだよ 全員集合!」

欠席者無しにガイド担当者の私は重圧・・・

皆さん、期待をして来られたのだと推察。

主催者からご挨拶。

そのあと、一言自己紹介。

皆さんの自己紹介を聞いて驚いたのは、大阪府以外からの参加者が多いこと!

京都府、兵庫県(三田市や篠山市を含む)、三重県。

全員の自己紹介が終わり、私の自己紹介。

今回、行うきっかけとなったのは以下のとおり。

OSAKA旅めがねのI氏が担当する「新世界ツアー」に参加した主催者のTさんが、大阪城に詳しい人を紹介してほしいということから、私に連絡がありました。

ご存知のとおり「プリンセストヨトミ」は、私の勤務している某学校法人の小学校を卒業された万城目 学 さんの作品。以前からやってみたいツアーでした。

万城目さんが、6年間通った学校のグランドから見える天守閣が大阪城。

この依頼に対して、絶対満足したいただきたいことから、奥の手、つまり「豊臣期の石垣」が間近で見れる同学院の小学校のある場所をツアーの中に盛り込むことでした。

2012年の某学院の新年会で、見学させていただきたいことを申し込みますと、数分後に(校長先生の承諾が得られ)「いいですよ」との回答をいただきました。

私がその場所を知ったきっかけは、同学院の教職員で、現在はご退職された宮本直和先生のご教示によるものです。

この場を借りまして、宮本先生に感謝申しあげます。

宮本先生の著作「大阪偕行社附属小学校物語」(東洋出版)をお薦いたします。

宮本先生が、私の取材を取り上げてくださった某学院創設者の史跡の写真をアップいたします。

某学院とは追手門学院。

創設者も雲の上で驚嘆されたと思いますが、ご自身が創設された学校が、死後数十年経てから大学が大阪府の茨木市に創設されました。

明治天皇が陸軍の演習を検分された二箇所の地にその石碑が建てられています。

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(28) 豊臣期大坂城三の丸の石垣 追手門学院小学校 

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(28)

豊臣期大坂城三の丸の石垣  大阪市中央区大手前1-3-20 (追手門学院小学校)

 追手門学院小学校では、改築工事の際、地下から当時の石垣が発掘された。

 発掘された石垣は「京橋口曲輪(篠の丸)」と推測され、ドーンセンターで発見された石垣とつながっていたと考えられる。

 そのままの状態の石垣は、地下にある職員駐車場とその下にあるボイラー室に見ることができる。(一般非公開)

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 フジテレビによる全国ネットで、同校の非公開である石垣がオンエアされて以降有名となった。 

 今回は、職員地下駐車場にある石垣をご案内した。

 さらに下に眠る石垣を同校のボイラー室で見ることは可能だが、見るための設備が整っておらず万一怪我があってはならないと思い写真による紹介にとどめた。

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<万城目学氏出身の小学校> 

 明治21年(1888)、薩摩藩出身 陸軍第四師団司令長官だった高島鞆之助(1844-1916)が「国家有為の人物の育成」を目指し、「将来の日本発展の原動力となる人材は小学校時代から育成すべきである」という思想をもって設立されたのが大阪偕行社附属小学校(現在の追手門学院小学校)。

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 卒業生にはたくさんの堺屋太一氏ほか著名人が多数いるが、2011年に公開された映画「プリンセストヨトミ」の原作者 万城目学氏もその一人である。

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 文庫本化された「プリンセストヨトミ」のあとがきに万城目氏は次のように記載している。

 私が通った小学校は、まさに大阪城の外堀と道路一本を隔てた場所にあった。

 ゆえに毎日、大阪城の外堀に沿って学校に向かい、六年間、天守閣をグランドから見上げ続けた。

 私は大阪城が好きだった。(途中略)

 校歌の中に「錦城のいらかは高く」という表現で、大阪城が堂々登場し、さらに校舎の建て替えの際、豊臣時代の金箔が残った瓦や城の石垣が、グランドの下から出土するような、まさしくお膝元に位置する小学校だったゆえ、子どもたち潜在的な秀吉支持率が高かったと思う。
「なんだ坂、こんな坂、ときどき大阪」 (P538)より

 なお「錦城」と「金城」でどちらが正しいかを後に調査された結果、「金城」が正しく、以後「金城」で統一されている。

 

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