小松帯刀

海上王 濱﨑太平次

海上王 濱﨑太平次

平成21年(2009)3月29日、大阪史跡探訪Vol.8(大阪検定連携事業)を実施した際、有名でありながら現在においては忘れられている人物が、大坂にかかわりがあった事を紹介いたしました。

「vol.8 コース.pdf」をダウンロード

昨年、「太平次の旅立ち」という映画が上映されましたが、ついに観る機会がありませんでした。

私が大阪龍馬会の会報「龍馬速報」の第127号で執筆した内容をアップいたします。

薩摩藩御用商人 濱﨑太平次墓所跡  (竹林寺)
大阪市西区本田1-9-3 

鹿児島県にある指宿市において「指宿まるごと博物館構想推進実行委員会」が発足され、2012年秋から制作を進めていた、薩摩藩の財政立て直しに貢献した指宿出身の海運商・濱﨑太平次を紹介する映画「太平次旅立ち」を完成させました。

2013年8月より上映されました。
濱﨑太平次は、薩摩の指宿で商売を行い、屋号を「ヤマキ」と呼ぶ船問屋で、日本の豪商、年商ベストテンに入るぐらいの豪商でした。

当時財政難だった薩摩藩は、藩の家老に調所広郷を起用し、財政再建を命じました。
調所は濱﨑太平次(八代目)を鹿児島に呼び、薩摩藩御用商人に任命し、唐物の密輸入や琉球・奄美の砂糖を大坂方面に売りさばき、膨大な利益を上げることに成功しました。
濱﨑太平次の店「ヤマキ」は、藩の財政に貢献しながら店の事業拡大を図り、持ち船が34隻以上を保有いたしました。

店が繁盛し、函館、琉球、長崎、大坂、薩摩の甑島、鹿児島、指宿港に店を構えました。

書物「海上王 濱﨑太平次傳」によると、大阪市西区立売堀北通6丁目(現在は西区立売堀6-5-6、立売堀6-6-15~17、立売堀5-8-25・27周辺)に店を構えていました。大坂店には肥後孫左衛門を支配人として起用しました。
また、「濱﨑太平次翁之略伝」には、店の所在地は、同じことが書かれていますが、更に、立売堀川と木津川の交差点のあたりに店を構え、「薩摩藩邸」すぐ隣に居を構えたと記されています。

この薩摩藩邸は、薩摩藩蔵屋敷の下屋敷(西区新町4-12-19)に該当いたします。
文久3年(1863)、濱﨑太平次は用務で大坂の店に来ましたが滞在中に病で倒れました。
薩摩藩士 小松帯刀の働きかけで孝明天皇の耳に入り、天皇の侍医を派遣させ治療に当たりましたが、その甲斐もなく、同年6月15日、50歳で亡くなりました。
遺骸は荼毘にふされ、近くにあった竹林寺に密葬されました。
その1ヵ月後、従兄弟の清八郎も大坂で亡くなっています。

清八郎の曾孫にあたる、俳優の浜畑賢吉氏は、自身の祖父から「太平次と清八郎は暗殺されたと思う」と聞かされたようです。

その後、遺骨は指宿に送られ現在の墓所に永眠。その場所からおよそ六百メートルの地に太平次公園があり、八代目の濱﨑太平次の銅像が建立されています。

竹林寺は、江戸期に十二回に及ぶ朝鮮通信使のゆかりの寺でも有名である。十一回目の通信使で客死した 金 漢重(キム ハンジュン)、崔 天宗(チェ チョンジョン)の墓(韓人墳)がある。

幕末 大村益次郎

幕末 大村益次郎

今春の新コースです。5月18日(日)堺筋本町駅中北改札口を出たところに13時です。

NHK大河ドラマ「花神」の主人公だった大村益次郎をメインとして、堺筋本町から谷町四丁目までの史跡ガイドを行います。

戦前、大阪市内に大村益次郎寓居跡の石碑が2か所建立されました。空襲により、現在は大阪市西区の1か所のみとなりましたが、大阪城近くにあった「大村益次郎寓居(漏月庵)跡をご案内します。

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そして、大村益次郎終焉の地。

「花神」の著者である司馬遼太郎氏も偶然同じ場所で永眠することとなった。

病院内には「花神賞」という銘板が掲げられている。

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大坂の幕末を歩く 2014年 春 夕陽丘

大坂の幕末を歩く

4月20日、幕末をテーマに夕陽丘の史跡をご案内します。

地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅に13時集合です。

詳細はこちら

案内箇所は下記の通りです。

土佐藩士遭難の地、土浦藩蔵屋敷、ボードウィン寓居跡、アーネスト・サトウ宿泊の地、アーネスト・サトウと西郷吉之助対談の地跡、水戸藩士ゆかりの地、新選組旅宿跡、司馬遼太郎「燃えよ剣」ゆかりの地、陸奥宗光墓所跡、小松帯刀墓所跡

など、非常に盛りだくさんです。すでに定員に達しているため、予約状況が×になっていますが、キャンセルが出るかもしれません。

この日は、13時に地下鉄松屋町駅改札出たところに集合です。

ぜひ、この機会をお見逃しなく!

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大坂の幕末を歩く 天満橋~北浜

大坂の幕末を歩く 天満橋~北浜

今春は、3月23日に行います。

見どころは下記の通りです。詳しくはこちら

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・復帰した八軒家船着場の常夜燈

・大阪市の史跡に顕彰された「三橋楼跡」(大阪会議ゆかりの地)

・新選組の定宿「京屋忠兵衛」跡

・坂本龍馬ゆかりの船宿「堺屋源兵衛」跡

・新選組ゆかりの地 平野屋跡、岩城升屋跡

・花外楼

・大坂銀座跡

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などなど。

ぜひ、ご参加ください!

続きを読む "大坂の幕末を歩く 天満橋~北浜" »

「大坂の史跡探訪 vol.3」

「大坂の史跡探訪 vol.3」

今年、発刊するシリーズものの「大坂の史跡探訪 vol.3」の原稿ができました。

発刊まで大阪龍馬会の編集スタッフにより、ページの校正や写真の配置、地図などを工夫していただき、5月25日の「大阪史跡探訪Vol.16」にあわせて発刊いたします。

史跡案内箇所は下記の写真のとおりです。

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三橋楼その7

三橋楼 その7

三橋楼についての続報です。

ついに大阪市により史跡として顕彰されました。

近日中に石碑が建立されるそうですが、説明板ができました。Resize0482 Resize0477 Resize0478 Resize0479

JASS秋のイベント 大坂の幕末を歩くシリーズ3 

JASS秋のイベント 大坂の幕末を歩くシリーズ3

夕陽丘周辺

JASS主催の秋のイベントに夕陽丘をご案内いたします。

JASS会員の皆様へのご案内が主となりますが、定員に余裕があるため、一般の方も参加できます。

ご都合の合う方は下記の日時に集合場所へお越しください。

地下鉄谷町線四天王寺夕陽丘駅 北西改札出て2番出口上がったところに13時集合です。
参加費は2000円です。
行程は次の通りです。

・陸奥宗光の父 伊達宗広隠居(自在庵)跡/稱念寺 

・夕陽岡阡表(せんぴょう)(陸奥宗光 先考 伊達宗広を弔う碑)/稱念寺 

・陸奥宗光及び陸奥家墓所跡(稱念寺) 

・陸奥宗光 最初の妻 蓮子の墓碑(稱念寺) 

・原敬 陸奥宗光に追慕の意を表す碑(稱念寺) 

・陸奥家墓所に常夜燈の寄贈したおもな人物 岡崎邦輔、鍋島桂次郎、竹越与三郎、星 亨、アーネスト・サトウ 

・薩摩藩家老 小松帯刀墓所跡 

・加賀藩大坂蔵屋敷ゆかりの石鳥居(太平寺) 

・小説「燃えよ剣」ゆかりの地 料亭 西照庵(さいしょうあん)跡 

・赤穂藩主 浅野内匠頭長矩墓所/吉祥寺 

・赤穂義士四十七士墓所/吉祥寺 

・大石内蔵助良雄像と赤穂義士四十七士像/吉祥寺 

・<兵庫県加東市にある赤穂義士の墓/観音寺 加東市家原(いえはら)14-4>  

・戦国武将 蜂須賀小六(正勝)顕彰之碑/吉祥寺 

・幕末期 関白太政大臣 二條斉敬邸 遺構/鳳林寺 

・上島鬼貫墓所/鳳林寺 

・赤松家の墓所/鳳林寺 

・大坂城代米倉丹後守種継父子墓碑/鳳林寺 

・米倉丹後守昌尹墓碑/鳳林寺 

・安部摂津守信勝墓碑/鳳林寺 

・松本重太郎墓所/鳳林寺 

・柴田勝家・お市供養墓碑/天鷲寺 

・愛染かつら/勝鬘院  

・多宝塔/勝鬘院 

・愛染坂 

・舊山口藩殉難諸士招魂之碑/大江護国神社 

<残念さん(山本文之助)と無念柳> 

<長州藩士切腹の地(東本願寺難波別院=南御堂)> 

・料亭 浮瀬(うかむせ)跡 

・蕉蕪園(しょうぶえん)  

・大江岸水記念碑 

・天王寺七名水 金 龍 水  

・天王寺七坂 清 水 坂  

・天王寺七名水 有栖の清水(土州御用水)跡  

<土佐藩専用の浴室 三橋楼>
・清 水 寺  

・天王寺七名水 増井の清水(増井弁財天)  

・天王寺七坂 天 神 坂 

・真田幸村戦死地跡(安居神社)  

<大坂冬の陣ゆかりの地 真田丸(真田の出丸)跡/真田山 心眼寺> 

<真田丸(真田の出丸)跡> 

・安井の清水(癇鎮めの井戸) 

・天王寺七坂 逢坂  

・大坂夏の陣 徳川家康陣所跡/一心寺   

・本多忠朝(ただとも)墓所/一心寺  

・明治戊辰戦役 会津藩士墓所/一心寺   

・明治戊辰戦役 東軍戦死者招魂碑/一心寺  

・水戸藩士 高橋多一郎・庄左衛門墓所/四天王寺  

・乾 十郎君之碑/四天王寺

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 8

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 8

 薩摩藩家老 小松帯刀墓所跡    天王寺区夕陽丘町5-14

地名を「夕日岡」と創名した伊達宗広(陸奥宗光の父)が、「自在庵」に在住中、維新の功労者 薩摩藩元家老の小松帯刀が、明治3年(1870)大阪で病死し、夕陽丘に埋葬された。
【明治維新の國士小松帯刀の碣(いしぶみ)も此處(ここ)にあった】と田中吉太郎著「夕陽丘の回顧」に記載があり、伊達宗広の敷地一角に小松帯刀と帯刀の側室 琴 仙子(ことせんこ)の墓があった。

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両者の墓は明治9年(1876)10月3日、鹿児島県吉利村園林寺にある小松家墓地に改葬された。
小松帯刀は明治に入り、徴士参与と外国事務局判事に任命され、主に外交を主として新政府に出仕したが、従来の過労で体調が芳しくなかった。
明治2年(1869)7月、大阪にて蘭医ボードウィンの治療を受けた。
明治天皇は2度にわたり、小松に菓子・肴の見舞い品を贈り、病気全快次第に東京在住するよう示達されている。
昨今、脚気により病死したと思われていたが、死因は結核である可能性が高いといわれている。
息を引き取ったのは、小松家では代々「大阪病院・医学校」と伝わっているが、歴史作家・研究家の桐野作人氏による「さつま人国誌 幕末・明治編2」では、大阪大宝寺町にあった側室 琴 仙子の家と紹介されている。小松の同友だった「五代友厚秘史」が出典。
正室 近(ちか)や五代友厚などの薩摩藩関係者に看取られて静かに永眠した。(明治3年7月19日深夜1時頃)
小松の葬儀は21日、神葬祭で行われた。費用は800両かかった。
同年12月13日。小松の墓参りのため、大久保利通と五代友厚がここを訪れている。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 4

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 4

陸奥宗光及び陸奥家墓所跡(稱念寺)
                                                                       天王寺区夕陽丘町5-14

宗光は幼少期、父と兄が勤王活動をしたことで蟄居の刑を受け不遇な時期を過ごした。単身、大坂に出て藤沢東畡の泊園書院にて漢学を学ぶ。元治元年、師である藤沢東畡の死により、やむなく方向転換させられる。大坂在住時に懇意があった勝海舟の門をたたき、神戸海軍塾の塾生となる。しかしそれもつかの間、勝海舟が江戸蟄居の刑を受け、神戸海軍操練所ならびに神戸海軍塾は解散となる。彼はまた途方に暮れることになる。海舟の口利きで薩摩藩が塾生の面倒を見ることとなり、坂本龍馬らとともに長崎で社中の隊士となる。隊長は薩摩藩の小松帯刀。このとき小松と陸奥との出会いが、ここ夕陽丘の同じ場所で永眠することになることとなる。

のちに社中は土佐海援隊となる。

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隊長は坂本龍馬。大政奉還により明治新政府ができた直後、隊長の坂本龍馬が暗殺されてしまう。

彼は、再度途方に暮れる。1か月後、当時暗殺したのは紀州藩士および新選組と考えられており、新選組と紀州藩士がいる「天満屋」を襲撃する事件を起こす。新選組が襲撃された珍しい事件である。

これが失敗に終わり、宗光は一時消息不明となる。

ところが大阪開市により川口に税関が置かれる際、ひょっこりと現れ、海援隊に尽力を尽くしたことのある五代友厚の側近として外国事務掛として活躍する。小松帯刀も大阪にいたので、陸奥の才能を見込んで抜擢されたと思われる。

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彼は、大阪府の北部にある摂津県の初代知事に就任する。その後豊崎県と改称され、さらに兵庫県と統合。陸奥は第4代兵庫県知事に就任する。

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そののち、政界の道を彼は進む。ところが、西南戦争時に「立志社陰謀事件」に加担し、その罪で明治11年から4年間牢獄生活を送る。

特赦で釈放後、留学し外国の事情を視察する。帰国後、外務省在勤弁理公使に任命される。

アメリカの公使を務め、明治23年、山県有朋内閣の農商務大臣に任命される。明治25年、第二次伊藤博文内閣で外務大臣に就任。

幕末期に各国と結んだ不平等条約の改正に尽力した。

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陸奥宗光は、明治30年(1897)、8月24日死去。享年54歳。

葬儀は浅草海善寺で執り行われ、11月、ここ夕陽丘に埋葬された。

その後、この地は伊達宗広と陸奥宗光をはじめとした陸奥家墓所となった。

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墓所には菩提樹や献納された常夜燈があり、現在の墓所跡にもそれらは残されている。昭和28年(1953)、陸奥家の遺族が墓所を寿福寺(神奈川県鎌倉市)に移葬した。しかし、現在でも稱念寺内には当時の面影が残されている。

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中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 10

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 10

大阪府庁跡   

        中央区本町橋2-5(マイドーム大阪)
明治新政府になると、慶応4年(1868)2月、西町奉行所の跡地に大阪府庁が設置された。その後府庁は、明治7年(1874)江之子島庁舎に移転した。
初代大阪府知事は、醍醐大納言忠順が就任したが、僅か22日で退任。
醍醐忠順の退任後、参与として薩摩藩家老 小松帯刀、土佐藩参政 後藤象二郎が府事管理(副知事)に就任。この時、五代友厚が大阪府権判事に、陸奥陽之助が会計官権判事大阪府在勤に任命されている。
同年7月12日、第2代知事として後藤象二郎が就任。翌年の明治2年2月4日に退任。同日後任に由利公正(福井藩)が「知事御用取扱」という役職名で後藤の後を引き継いだ。
いずれも坂本龍馬ゆかりの人物が、大阪府の政治に関わった。
第3代大阪府知事の西四辻公業が、明治4年11月20日退任。
22日より渡邊 昇が権知事に就任。明治10年1月12日からは正式に知事に就任し明治13年5月4日まで務めた。渡邊は大村藩出身で江戸の斎藤弥九郎によって開かれた神道無念流「練兵館」の塾頭の経験者である。明治8年、新島襄が大阪に学校を設立したいと考え大阪府に申し出るが、当時の権知事だった渡邊に許可がもらえず、京都に開設することとなった。開設した学校が現在の同志社大学である。

歴代の知事

初代:醍醐忠順→府事管理:小松帯刀・後藤象二郎→2代:後藤象二郎→知事御用取扱:三岡八郎(由利公正)→3代:西四辻公業→権知事:渡邊昇→4代:渡邊昇→5代:建野郷三→6代:西村捨三→7代:山田信道→8代:内海忠勝→9代:時任為基→10代:沖守固→代理(書記官):吉原三郎→11代:菊池侃二→12代:高崎親章→13代:犬塚勝太郎→14代:大久保利武)→
15代:林市蔵→16代:池松時和→17代:井上孝哉→18代:土岐嘉平→19代:中川望→20代:田邊治通→21代:力石雄一郎→22代:柴田善三郎→23代:齋藤宗宜→24代:縣 忍→25代:安井英二→26代:池田清→27代:半井清→28代:三邊長治→29代:河原田 稼吉→30代:池田清(再任)→31代:安井英二(再任)→32代:新居善太郎→33代:松井春生→34代:田中廣太郎→代理:大塚兼紀→35代:高辻武邦
※以降公選知事36代:赤間文三→37代:左藤義詮→38代:黒田了一 →39代:岸 昌→40代:中川和雄→41代:横山ノック(山田勇)→代理:木村良樹→42代:太田房江→43代:橋下徹→代理:小河保之→44代:松井一郎

大大阪府庁跡            中央区本町橋2-5(マイドーム大阪)
明治新政府になると、慶応4年(1868)2月、西町奉行所の跡地に大阪府庁が設置された。その後府庁は、明治7年(1874)江之子島庁舎に移転した。
初代大阪府知事は、醍醐大納言忠順が就任したが、僅か22日で退任。
醍醐忠順の退任後、参与として薩摩藩家老 小松帯刀、土佐藩参政 後藤象二郎が府事管理(副知事)に就任。この時、五代友厚が大阪府権判事に、陸奥陽之助が会計官権判事大阪府在勤に任命されている。
同年7月12日、第2代知事として後藤象二郎が就任。翌年の明治2年2月4日に退任。同日後任に由利公正(福井藩)が「知事御用取扱」という役職名で後藤の後を引き継いだ。
いずれも坂本龍馬ゆかりの人物が、大阪府の政治に関わった。
第3代大阪府知事の西四辻公業が、明治4年11月20日退任。
22日より渡邊 昇が権知事に就任。明治10年1月12日からは正式に知事に就任し明治13年5月4日まで務めた。渡邊は大村藩出身で江戸の斎藤弥九郎によって開かれた神道無念流「練兵館」の塾頭の経験者である。明治8年、新島襄が大阪に学校を設立したいと考え大阪府に申し出るが、当時の権知事だった渡邊に許可がもらえず、京都に開設することとなった。開設した学校が現在の同志社大学である。
坂には

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