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夕陽丘

幕末:夕陽丘Vol.2

幕末:夕陽丘Vol.2

実施日:2014年11月23日(日)
集合場所 大阪市地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」2番出口上がったところ
集合時間 13時00分
案内箇所
・司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の舞台地 料亭「西照庵」跡

・赤穂藩主 浅野内匠頭長矩墓所

・赤穂義士の墓所と石像(吉祥寺)

・幕末期二條斉敬関白太政大臣の紫宸殿の遺構(鳳林寺)

・柴田勝家・お市の方の墓碑(天鷲寺)

・料亭 浮(うか)瀬(むせ)跡

・天王寺七坂 清水坂

・天王寺七名水 有栖の清水(土州御用水)跡

・真田幸村戦死地跡(安居神社)

・真田幸村像

・明治戊辰戦役 会津藩士墓所、東軍戦死者招魂碑(一心寺)

・水戸藩士 高橋多一郎・庄左衛門墓所(四天王寺)

・乾 十郎君之碑(四天王寺)

・徳川家康ゆかりの茶臼山稲荷神社

・藤井藍田墓所、藤井藍田贈位記念碑、間 長涯(重富)墓所、ベルリンの壁(統国寺)

・福岡藩大坂蔵屋敷長屋門

・第6代大阪市長 池上四郎像

解散場所 大阪市地下鉄・JR「天王寺駅」周辺

詳細はこちら

大坂の幕末を歩く 2014年 春 夕陽丘

大坂の幕末を歩く

4月20日、幕末をテーマに夕陽丘の史跡をご案内します。

地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅に13時集合です。

詳細はこちら

案内箇所は下記の通りです。

土佐藩士遭難の地、土浦藩蔵屋敷、ボードウィン寓居跡、アーネスト・サトウ宿泊の地、アーネスト・サトウと西郷吉之助対談の地跡、水戸藩士ゆかりの地、新選組旅宿跡、司馬遼太郎「燃えよ剣」ゆかりの地、陸奥宗光墓所跡、小松帯刀墓所跡

など、非常に盛りだくさんです。すでに定員に達しているため、予約状況が×になっていますが、キャンセルが出るかもしれません。

この日は、13時に地下鉄松屋町駅改札出たところに集合です。

ぜひ、この機会をお見逃しなく!

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2013年を振り返って

2013年を振り返って

今年もオファーをいただき、大阪の史跡案内を実施することができました。

昨年より半減しましたが、13回の史跡ガイドを実施することができました。

Ⅰ.大阪龍馬会

  大阪龍馬会主催の「大阪史跡探訪」Vol.13、Vol.14の2回、ガイドを実施させていただきました。2000年のVol.1から継続中です。

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 Vol.14は、今年発刊の「大坂の史跡探訪 vol.2」をテキストとして実施し、肥後橋から淀屋橋まで中之島周辺にかつてあった各諸藩の蔵屋敷跡をご紹介しました。佐賀藩蔵屋敷跡ではこの地が舞台となったドラマの1シーンを音声でご紹介させていただきました。

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ガイドブックすべてをご紹介できなかったため、2014年4月に続編(大阪史跡探訪Vol.15)を実施させていただく予定です。

また、2014年に「大坂の史跡探訪 vol.3」を発刊する予定です。その本をテキストにして「大阪史跡探訪Vol.16」を5月に実施する予定です。

日程は、大阪龍馬会のHPで公表されます。一般参加も可能ですので是非ご参加ください。HPはこちら

Ⅱ.大阪あそ歩

大阪あそ歩の「幕末天満橋」「幕末北浜」「幕末夕陽丘」を各2回、計6回実施いたしました。

男性より女性の参加者数が多く感じました。また、関西地区以外からも多数ご参加いただけました。毎回、新ネタを提供できるよう努めています。

この大阪あそ歩コースについては、私と結城詩さんとのダブルガイドです。

2014年の春は実施日時がすでに決まりました。

①幕末天満(天満橋)コース:3月23日(日)13時~(集合は地下鉄谷町線天満橋駅北改札口出たところ)

②幕末北浜コース:4月5日(土)13時~(集合は北浜駅から地上に上がり、大阪証券取引所1階)

③幕末夕陽丘:4月20日(日)13時~(集合は地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅改札口出たところ)

④戦国・幕末大阪城コース:5月3日(祝)13時~(集合は地下鉄谷町線天満橋駅北改札口出たところ)

⑤幕末大村益次郎コース:5月18日(日)13時~(集合は地下鉄先筋本町中北改札口出たところ)

⑥戦国・幕末森ノ宮・玉造コース:6月1日13時~(集合は地下鉄森ノ宮駅西改札口出たところ)

既存の3コースに加え、新コースが3コース採択されました。

①~⑥はいずれも参加費用は1,500円、定員は15名です。

案内箇所の詳細および申し込みは、大阪あそ歩のHPをご覧ください。

※現在はまだ2013年秋のままですが、そのうち2014年春(上記を含み100コース)が公開されます。

HPはこちら

Ⅲ.大阪歴史散歩の会

  10月と12月の例会にガイドとしてお声かけいただき、2回実施させていただきました。2011年より、年に1~2回ガイドを務めさせていただいております。

  大阪歴史散歩の会は永年活動されている会で、毎月1回、関西地区を中心に歴史散策のイベントを開催されておられます。毎回、35名から45名の参加があり、9割以上が女性です。

 10月のイベントでは、大阪商工会議所にある3名の銅像のうち稲畑勝太郎氏のご子孫とおっしゃる方の参加がありました。その方は銅像があることをご存じなく、案内した甲斐がありました。

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 また、12月のイベントでは、八軒家船着場にかつてあった船宿「京屋忠兵衛」。新選組の定宿だったことで有名です。明治期になり、京屋があった土地を購入された牧野氏。その姪にあたる方が参加されておられました。今回は、坂本龍馬の妻 お龍の武勇伝を音声入りでご案内させせていただきました。

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Ⅳ.JASS(日本セカンドライフ協会)

 4月と11月2回にわたり「大坂の幕末を歩く」夕陽丘周辺を実施させていただきました。

 1回目の4月は谷町九丁目駅~四天王寺前夕陽丘駅。2回目の11月は、四天王寺前夕陽丘駅~一心寺~四天王寺。

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 昨年からJASSの運営委員であるS氏からのお声かけで、2010年より年1~2回ガイドを務めさせていただいております。

 参加いただく方のほとんどがリピーターで、これほどうれしいことはありません。また、参加される方皆様の知識が豊富で、私の知らない点をいつもご教示いただいております。

 めぐりあわせかもしれませんが、これまで実施していない個所をガイドさせていただいています。

 例:天下茶屋、阿部野神社、心斎橋、新町など

JASSについてはこちら

Ⅴ.長崎県立長崎西高等学校同窓会

  関西地区の同窓会のイベントの一つとして、散策時の歴史ガイドとして昨年からお声かけいただき、今年も10月に1回実施をさせていただきました。

  昨年は、天満橋から大阪城。今年は四条河原町~三条河原町で自身初となる京都の史跡ガイドをさせていただきました。

  京都は、ガイドブックに掲載されている箇所が多く、容易に務めることができるため、京都でもガイドブックに載っていない、真説を披露いたしました。皆さん、興味深く聞いていただいたの印象的です。坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地の石碑、池田屋騒動址の石碑。いずれも該当箇所からずれている点を強調させていただきました。

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<その他>

Ⅰ.リーディング

  大阪龍馬会25周年記念式典で、いくつかあるうち「リーディング」を行うこととなり、稽古3回実施のうえ、本番に臨みました。

  演出・指導は劇団潮流の代表であり大阪龍馬会会長でもある藤本先生。10周年の折、お芝居の際も藤本先生に稽古をつけていただきました。あの時の緊張感を思い出しました。

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Ⅱ.「大阪歴史塾」出演

  テレビというより動画 Urstream (動画共有サービ)です。

  FBで親しくしていただいたK氏から、出演依頼がありました。

  「Sweet Osaka.tv」の第2回目の配信でした。

  K氏を中心に私とユキミさん(女性)が大阪の歴史スポットを紹介するという「大阪歴史塾」というコーナーでした。

  ほんのわずか10分程度の出演でしたが、スタジオ入りから本番まで待っていると、久しぶりに味わうおおきな緊張感でした。

  3回目も依頼があったのですが、仕事と重なってしまい残念ながら辞退となってしまい、コーナーもそれっきりとなってしまいました。

   今は、You Tubeで観ることができます。

  http://www.youtube.com/watch?v=gCKndQ1Q9IY

  私は50分過ぎからの出演となります。

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Ⅲ.恋するフォーチュンクッキー追手門学院大学Ver.

  AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の歌に合わせて踊り、You Tube に配信する取り組みが、宣伝やイメージアップのために企業や自治体で行われています。

  勤務先も行うことになり、大変躊躇しましたが、所属する課が出演すると決まったたため、何度か練習して本番に臨みました。

  こちらから

  You Tubeはこちら

Ⅳ.知野文哉氏の講演

  「坂本龍馬の誕生」の著者である知野氏の講演会が2回関西で実施され、2回とも拝聴することができました。

 1回目は、歴史地理学者 中村武生 先生 主催による京都の霊明神社で講演。2回目は大阪龍馬会主催の龍馬大学校で市内の某会議室で行われました。

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 なんといいましても、坂本龍馬の船中八策は明治以降に創作されたものであることを、史料にもとづきながら実証されたことです。

 また、TBSにご勤務されていることから「倍返し饅頭」をいただきました。

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来年もよろしくお願いします。

2013年12月31日   osayan

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 23

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 23

明治戊辰戦役 会津藩士墓所/一心寺       

                                                 天王寺区逢阪2丁目8-69

一心寺に白井五郎太夫ほか12名の会津藩士の墓がある。
白井五郎太夫(胤忠)は、林 権助とともに会津藩砲術師範である山本覚馬から砲術を学んだ。鳥羽伏見の戦いに大砲隊頭として鳥羽街道を進み、勝ちに乗じて前進してくる西軍に対し弾丸の下をくぐって戦い、別選隊の援助を得て西軍を撃退した。
翌日、白井は隊を率いて戦ったが銃弾に当たって負傷、診療先の淀で死去。享年37歳。一心寺にある白井五郎太夫の墓は、子の白井新太郎によって建立された。白井五郎太夫のほかには、白井隊の小池勝吉、林 権助隊の高橋金兵衛、大本左門など鳥羽伏見の戦いでの死者の墓碑がある。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 22

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 22

天王寺七名水 有栖の清水(土州御用水)跡  

 

                   天王寺七名水 有栖の清水(土州御用水)跡  

摂津名所図会の「浮瀬」が紹介されている絵の中に井戸の柵が描かれている。
この井戸が「有栖清水」である。
「有栖清水」は、土佐藩主(山内氏)が大坂に滞在した時の用水として使用された井戸で「土佐清水」とも呼ばれ、清水寺の北西下にあった。
土佐藩がこの井戸のある地面を購入し、柵を設け「土州御用水」の標札を掲げていた。場所は清水寺の北西あたりに該当し、昭和初期には、民家の床下に残っていたそうであるが、現在は存在しない。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 21

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 21

料亭 浮瀬(うかむせ)跡   

          天王寺区伶人町1-6(大阪星光学院内)

「浮瀬」は、「西照庵」と並び江戸時代の大坂を代表する料亭だった。
明治20年(1887)頃まで店があった。大阪星光学院の西南隅に該当する。
2階建てだった「浮瀬」の座敷からは、瀬戸内海の往き交う船の白帆や、淡路島などが眺望できた。松尾芭蕉、与謝蕪村、滝沢馬琴などがここを訪れている。
「浮瀬」という名称は、この楼にあった杯の銘「浮瀬」に因んだものである。
7合半の酒が入るアワビの貝殻でできた巨大な大杯「浮瀬」に酒を満たして、それを飲み干した人は、「暢酣帳(ちょうかんちょう)」という名簿に記帳された。

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・蕉蕪園(しょうぶえん)               (大阪星光学院内)
<大阪星光学院内にある史跡>
現在、大阪星光学院がある西南隅には、江戸期に料亭「浮瀬」があり、近松門左衛門、松尾芭蕉、与謝蕪村、滝沢馬琴、十返舎一九など著名人が訪れた。
料亭「浮瀬」はいくつかの浄瑠璃や物語に登場するほどの有名な店だった。
これを記念して「大阪星光学院」では松尾芭蕉を中心とする句碑を整備し、「蕉蕪園」とした。見学は可能であるが、大阪星光学院に事前予約が必要である。

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・大江岸水記念碑                 (大阪星光学院内)
「蕉蕪園」と同様に大阪星光学院内にある史跡。
「大江岸水」は、明治24年(1891)、山本佐兵衛が開削した井戸で、茶の湯、酒の元水、ラムネ用水などに使用され評判があった。
現在では、上水道の普及で井戸の活用がほとんどなくなってしまった。
ここにある石碑の石は井戸に使用していた石で造られている。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 20

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 20

舊山口藩殉難諸士招魂之碑/大江護国神社        

                                   天王寺区夕陽丘町5

元治元年(1864)7月18日「蛤御門の変」が起こり、敗戦した長州藩兵 宍戸久之進ら62名の兵士たちは伏見から舟で淀川を下り逃げた。
大坂の桜宮付近で高松藩に捕えられ、千日前刑場の獄舎へ投獄された。
幕府による極めて残酷な扱いを受け、半年以内に刑死者6名、牢死者39名を数え、一説には一人ずつ毒殺したともいわれている。
亡くなった45名の死骸は、犬猫同様無造作に刑場片隅に埋められた。
明治期に入り、賊として扱われたこの長州兵士らは、勤王の志士として評価される。
明治2年(1869)夏、夕陽丘にある大江神社一角に招魂社を建て慰霊・顕彰が行われた。同じく蛤御門の変で敗走中、尼崎で捕えられ、自刃した山本文之進と薩摩藩御用船を焼き討ちした事件で、大坂南御堂前で切腹した水井精一、山本誠一郎の3名と千日前でなくなった45名の計48名が祀られることとなった。
その後、千日前で眠っていた45名の遺骨を掘り起こし、前記3名とともに阿倍野墓地に改葬された。
「舊山口藩殉難諸士招魂之碑」は、明治23年(1890)11月に建立され、裏面に48名の名が5段にわたり記載されている。

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<残念さん(山本文之助)と無念柳>
元治元年(1864)7月19日に勃発した「禁門の変」で長州藩は大敗し、参戦していた長州藩士 山本文之助は京都を脱出し、西国街道を通って西へ水路を使い敗走した。
尼崎藩は幕府の親藩にあたりながらも尊王派であったため、尼崎藩領にある大物北ノ口で上陸。しかし、山本は期待に反して尼崎藩に捕えられ投獄された。
山本は裏切られた思いで「残念、残念」を繰り返し、その日のうちに自害。
元治元年7月20日、山本文之助 享年29歳だった。
翌年の元治2年(1865)2月(※同年の4月8日から慶応元年に変更)頃から山本文之助の墓が「残念さん」と呼ばれるようになり、大坂の町人に信仰が深まった。
参拝し願いをかけると叶えられるという噂が広まる。それも同年の5月にはピークになり、大坂から尼崎の道には参列者の列が続いたそうである。
長州征伐のため将軍(第14代将軍 徳川家茂)自ら大坂城に入城する予定になっていたため、幕府は5月17日以降残念さん参りを禁じた。
大坂町人平野屋武兵衛の書いた諸記録のうち「日加栄」の慶応元年5月16日に次のような記載がある。

五月一六日、未明より尼ヶ崎町家之墓所ニ、昨年京都より長州江之落武者、尼ヶ崎入口ニて横死の霊魂残り、いつとなく此墓所江立願すれバ、病氣にかきらず、残念なることさへ立願すれバ、願成就のよしにて、諸方より大くんじゅのよし、珍ら敷、忰駿七召連見物に参り候處、野里の渡しにて早くも日光御上りに、最早六拾人の余も渡り候よし、渡し守の咄しに、朝五ツ時よりハ所より番人出候よし、始め青竹にて誠にていねひきれいにかきいたし、土墓にいたし有之候へとも、あまり多人数参詣にて、かきを取のけ、セいし候へとも、中ゝ左様いたすほどさかんに相成り、塚もなく、少々おぼひ候上、土砂の高ふに相成候土砂を持帰り、
(途中省略)
長州の横死の人の名前わかり不申候、年比ハ弐拾三四才位のよし  
(途中省略)
人こぞりて、残念様 唱へて立願のよし、
(以下省略)

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<無念柳参り>
残念さん参りが禁じられても、大坂町人は次の手を考えた。いずれも幕府に対する反感からくるものである。
慶応元年(1865)5月25日に将軍徳川家茂が大坂城に入城。その日の夜から禁門の変直後に取り壊された長州藩大坂蔵屋敷跡にある柳の木が信仰の対象となり、「無念柳」と呼ばれるようになった。
柳の葉を煎じて飲むとどんな病でも治ると広まったのである。しかし、残念さんと同様に、すぐに幕府から禁止令が出された。
この柳の木は、昭和期まで残っていた。

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阿倍野墓地にも長州藩士48人の墓がある。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 19

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 19

柴田勝家・お市供養墓碑/天鷲寺

                                 天王寺区六万体町3-18


柴田勝家は尾張に生まれ、織田信長の弟信行に仕えるが、織田信長排斥に失敗。のちに謝罪し許されて信長の臣となった。
天正3年(1575)越前北庄城の城主となり、北陸の統治にあたった。
天正10年、本能寺の変が起こる。勝家はその悲報を受け、明智光秀追討に赴こうとしたが、北陸の形勢が不安定なため様子をうかがっていた。
羽柴秀吉に先んじられ、以後、秀吉の名声が高まるにつれて秀吉と対立するようになった。
天正11年、越前にて秀吉討伐の兵を挙げたが、賤ヶ岳の戦に敗れ、居城北庄城で自刃した。お市の方は、織田信長の妹にあたり、永禄10年(1567)、21歳で近江の浅井長政に嫁いだ。長男、万福丸をはじめ、長女茶々(のちの淀君)、二女初、三女小督(のちの徳川秀忠正妻お江与)を生んだ。浅井長政と織田信長の同盟が崩れ、浅井長政は織田信長に敗れる。
お市の方と茶々、初、小督は救助された。
本能寺の変後、羽柴秀吉が清須会議にて織田家後継者を信長の孫、三法師を立て、自身も盛り役として勢力を拡大した。
お市の方は、織田信長の三男信孝の勧めを受け、柴田勝家と再婚。柴田勝家の居城 北ノ庄城が秀吉軍に包囲され落城。柴田勝家とお市の方は自害した。
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福井県にある両者の銅像

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 18

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 18

松本重太郎墓所/鳳林寺
                              天王寺区六万体町2-10


松本重太郎は、京都府丹後半島間人(たいざ)の出身。
京都・大坂の呉服問屋に奉公後、24歳で独立し明治元年(1868)、今橋に洋反物雑貨店「丹重」を創業した。明治10年におこった西南の役で巨利を得、高麗橋に第百三十銀行を創立する。
明治18年、日本最初の私鉄である阪堺電鉄(後の南海電鉄)を設立し初代社長となる。
その他大阪紡績(現東洋紡績)・大阪麦酒(現アサヒビール)・山陽鉄道(現JR西日本)・(日本火災保険(現 日本興亜損害保険))等多くの企業の設立・経営に参画し、明治期大阪財界の重鎮として、日本の近代産業興起に多大な役割を果たした。
またミナミの宗右衛門の料亭「大和屋」の良き庇護者としても知られ、城山三郎の伝記小説「気張る男」のモデルである。
 大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区本町1ー4ー5 大阪産業創造館B1)が発行するガイドブックは大阪で活躍した実業界105人を紹介しているが、松本重太郎は、TOPの五代友厚の次に紹介されている。

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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 17

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 17

安部摂津守信勝墓碑/鳳林寺

                              天王寺区六万体町2-10


安部信勝は武蔵国岡部藩主。
戦国時代徳川家康に仕え軍功のあった武将。慶長5年(1600)大坂に没した。
この石塔は、その子摂津豊島藩22,000石藩主摂津守信盛が大坂定番であった慶安年間(1650)、父信勝の菩提を弔って建立したものである。

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