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岩崎彌太郎

大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)

平成22年(2010)10月9日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第117号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)」をアップいたします。

・岩崎彌太郎ゆかりの地 岩崎彌太郎旧居跡

・勝 海舟の父 勝 小吉の来坂

・勝 小吉 訪問の地 御願塚村 代官 岡野新右衛門邸跡

・勝 小吉 訪問の地 能勢妙見山

・勝 小吉 訪問の地 多田権現、牛頭天王

  勝 海舟も御願塚村に訪問!

をご紹介します。詳細は下記

をクリックしてください。

「451.pdf」をダウンロード

「452.pdf」をダウンロード

三橋楼 その5

三橋楼 その5

三橋楼から大阪ハリストス正教会に変わっていった経緯はすでに触れましたが、土地購入後、名義は大阪地籍台帳によると石町一丁目九番地・十番地は「日本ハリストス正教会維持財団エビスコフ・尼格頼(ニコライ)」となります。名義人の所在地は「東京市神田区東紅梅町が記載されています。

エビスコフ・ニコライ氏は幕末期(文久元年)に来日し、ロシア正教を広めた人で、日本ハリストス正教会の聖人として祀られています。

御茶ノ水駅の近くで東京都千代田区駿河台にある有名な「ニコライ堂(正式名称:東京復活大聖堂教会)」の建物は、明治24年(1891)2月に竣工されたものでした。皇居を見下ろすのは不敬だという右翼による妨害があったそうですが、信徒の沢辺琢磨(山本数馬)がこれに対応したそうです。

沢辺琢磨は知る人ぞ知る土佐藩郷士の出身の人で、坂本龍馬や武市半平太とは姻戚関係にあり、共に江戸で剣術修行に励んでいました。昨年の「龍馬伝」でも登場していましたね。ちょっとした過ちから切腹をしなければならないところを、龍馬が密かに逃がしたという話は有名です。

このニコライ堂の道を挟んで東隣に後藤象二郎が居を構えていました。その後、岩崎彌太郎の実弟 彌之助(正妻が後藤象二郎の長女 早苗)が居を構えました。

「三橋楼」をクローズアップするといろいろなつながりが見えてきました。

日本ハリストス正教会が編纂した書籍に「三橋楼」は、「天満橋」「天神橋」「難波橋」が三大橋、さらには北区の市街、北摂の山が眺望できる景勝地と紹介されています。

大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~

大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~

大阪龍馬会から発刊の「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」

発刊のあと、史跡案内のたびに何冊かお買い求められる方がいらっしゃいます。

6月11日の「大坂の幕末を歩く」に参加いただいたお客様は、大阪府以外からの参加者もおられ、静岡県からお越しいただいた方もいらっしゃいました。本当に感謝申しあげます。6月4日の講演会で6冊もお買い求められた方がいらっしゃったのですが、偶然、6月11日にお会いしました。緒方洪庵の「除痘館跡」資料館の館長さんでした。たまたま6月11日、通常開いていない時間帯に開いていたので案内した際、館長さんから6月4日の件を教えていただきました。「ありがたい」の一言です。

8月5日の「大阪桜会」8月定例会に招かれまして、30分強「大坂海軍塾」を主に大坂にある史跡をご紹介させていただきました。「大阪会議」の話をしたかったのですが、時間切れでした。このとき参集されておられた多くの皆さんにお買い求めいただきました。

改めてお礼申しあげます。大阪桜会での講演にお声かけくださいましたT氏のブログ

「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」の通信販売情報はこちら

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大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その2

大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その2

平成15年(2003)5月18日に発行した大阪龍馬会会報「龍馬速報第88号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)の2回目をアップいたします。

今回は下記のとおりです。

・岩崎家舊邸跡

・三菱発祥の地

・司馬遼太郎旧住居の地

・「竜馬がゆく」執筆の地

・鰹座発祥の地

・鰹節問屋 山田屋跡

・「大阪史跡探訪Vol.4」を終えて

「182.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その1

大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その1

平成15年(2003)5月18日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報第88号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)を2回に分けてアップいたします。

1回目は下記のとおりです。

・土佐藩蔵屋敷跡

・堺事件 土佐藩11烈士ゆかりの地

「181.pdf」をダウンロード

大阪史跡探訪Vol.3 その2

大阪史跡探訪Vol.3 その2

「平和を祈る記念像」「土佐藩蔵屋敷跡」「土佐藩11烈士ゆかりの地」「岩崎家舊邸跡」「西長堀と鰹座の跡」「西区にある道標」「鰹座発祥の地」「鰹節問屋山田屋跡地」「薩摩藩蔵屋敷(下屋敷跡)」「島津公園」「薩摩堀川跡」「薩摩堀公園」「イギリス公使オール・コック宿泊の地」を紹介します。

「vol.3(2002-03-21)-2.pdf」をダウンロード

JASS「イベント」大坂の龍馬2 幕末の志士が歩いた西区周辺巡り

JASS「イベント」大坂の龍馬2 幕末の志士が歩いた西区周辺巡り

7月2日、昨年に続き「大坂の龍馬」の第2回目となる史跡案内を行いました。

これまで大阪の史跡案内を行ってきましたが、初めて「小松帯刀終焉の地」を案内することができました。

大河ドラマ「篤姫」では病院で息を引き取ったシーンがありましたが、それを覆す内容のものです。

大宝寺町にあった小松帯刀の愛妾 お琴の家のあった場所をご案内し、小松帯刀と主治医のA・ボードウィンとの関係を披露しました。

その後、昔の赤線地域「新町花街」をご案内。

夕霧太夫ゆかりの扇屋跡、吉田屋跡、石碑のある場所でなく実際にはここにあったと説明した「新町九軒堤跡」など、古地図を照らし合わせながら皆さんを誘導。

信号待ちするたびに、「今、この地図ではどこに該当しますか?」が頻繁に聞かれ、皆さんも熱心な様子が伺えタイムスリップを楽しまれているようでした。

コースの途中にある某自動車販売会社で「新車1万台を販売した営業スタッフ」を紹介。

営業経験年数27年で生涯累計販売台数が10,018台。

1日平均1.5台以上という換算となります。年間平均400台以上。

某メーカーでの殿堂入り表彰基準は累計販売台数は3000台です。

プロ野球で言う2000本安打や200本の本塁打に該当しますが、それを考えると7000本安打くらいに匹敵しますよね。

そこから更に西へ。今度は堀江新地跡をご案内。ここで六人斬り事件があったことをご案内。そのときに被害にあった女性は両腕を斬り落とされましたが、彼女はその後、口に筆を咥えて絵画を描き、福祉活動家として世界的に有名になります。

その人の名は大石順教。

最後に「土佐藩蔵屋敷跡」をご案内。

来年もお声架けいただけるとのこと。嬉しい限りです。

大阪史跡探訪 Vol.11 嵐から快晴に

大阪史跡探訪 Vol.11 嵐から快晴に (2011.5.22)

<実施報告その1>

2011年5月22日13時。長堀駅に30名を超える参加者をお迎えし、大阪史跡探訪Vol.11がスタートしました。

受付で「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」の製本されたテキストが皆さんに配付されました。いつもと違う感覚でした。不覚にも事前に送っていただおていたテキスト冊子を家に忘れてきたことに気づき、あわてて購入。

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参加者31名の受付が終わり、大阪市立図書館前で、挨拶とコースの概要を説明。

①最初は、とっておきのサプライズ。

同図書館に保管されている水帳の閲覧。

水帳とは何かを資料を使って説明。3グループに分けて図書館別室にて閲覧。

○「北鍋屋町水帳」

 勝 海舟寓居跡、大坂海軍塾、坂本龍馬が学んだ場所、勝 海舟・西郷吉之助初会見の場所である専稱寺の掲載されている箇所を紹介。

○「京橋弐街目」

 八軒家船宿。伏見の寺田屋と業務提携を結んでいた「堺屋源兵衛」と新選組常宿・お龍訪問の地「京屋忠兵衛」が掲載されている箇所を確認。特に「堺屋源兵衛」に記載されている「そのうち二間大道あり」も確認いただく。(この大道は高倉筋を指す)

 ※貴重な史料だけに手を震わせながら頁や貼り付け紙をめくりました。

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②土佐藩蔵屋敷跡

図書館の場所も土佐藩蔵屋敷跡に該当することを説明し、土佐稲荷神社に向かう。

そこでも十分時間をかけて史跡めぐり。

○加藤高明(内閣総理大臣 岩崎彌太郎の娘婿)の寄進した常夜燈。

○慶応三年十一月十五日に献納された常夜燈と寄進者について

 謎めいた常夜燈です。特に寄進した常夜燈は「○○年」か「○○年○月」しか示されていないのですが、これだけは龍馬暗殺の日に該当する日付まで記されていることです。近年では土佐藩の重役が寄進されていると唱えている方もおられ、追及していこうと思っています。

○土佐藩第8代藩主山内豊敷寄進の常夜燈

 この常夜燈には山内家の家紋が入っているので貴重な常夜燈です。

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○堺事件について

 堺事件の概要を説明。この境内でおみくじにより切腹者が選ばれたことを強調。

○赤穂藩勤王党など小さな藩の勤王の志士が潜伏していたことを説明。

 姫路藩の藩士で勤王派だった河合惣兵衛が捕らえられたのも土佐藩邸。

 それは参加者にそのご子孫の方がおられ、現場で教わり皆さんに披露。

○岩崎彌太郎舊邸跡

 石碑が移動しているが、実際の邸跡を説明。

 岩崎彌太郎と三菱について説明。

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○「竜馬がゆく」誕生の地

 司馬遼太郎さんが小説「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」を執筆された旧居をご案内。

 「竜馬がゆく」を読み、龍馬ファンになった方も多いことでしょう。

 つづく

大阪史跡探訪Vol.11

大阪史跡探訪Vol.11を実施します。

ようやく「大坂の史跡を訪ねて ~龍馬の足跡~」の出版となりました。

「osaka-sisekitannbou-ryoumanosokuseki.pdf」をダウンロード

その本をテキストに史跡探訪のガイドを行います。

集合場所:地下鉄西長堀駅 7-B出口付近 13時

詳細は下記HPまでアクセスください。

http://osakaryomakai.com/ibentonow.html

三菱発祥の地 岩崎彌太郎舊邸跡

岩崎彌太郎ゆかりの地  岩崎彌太郎旧居跡(土佐藩蔵屋敷跡) 

大阪市西区北堀江4-9

 三菱の創業者である岩崎彌太郎は、土佐藩が運営する「長崎土佐商会」の主任として任命され、長崎へ着任したのが慶応3年(1867)3月13日でした。
 正式には「土佐藩開成館貨殖局長崎出張所」と称し、土佐藩の御手先商法を行う機関でした(同年2月開設)。開成館奉行は土佐藩参政の後藤象二郎でした。
 彌太郎は商事貿易活動に従事し、維新期では藩の武器・軍需品の購入などに奔走しました。藩の土佐商会とは別組織だったのが、坂本龍馬率いる「土佐海援隊」です。
 4月から6月にかけて彌太郎と龍馬は、長崎で何度か面談していることが記録されています。彌太郎が記した「瓊浦日記其一」をご紹介します。

(慶應三年六月)三日 
天気快晴、朝入商會談公事(朝、長崎商会に行き仕事の打ち合わせを行う)、囘寓(彌太郎の寓居に帰る)、到後藤氏談公事(後藤象二郎の寓居に行き打ち合わせを行う)、午後坂本良馬来置酒(午後になり坂本龍馬が来訪し酒を置く)、従容談心事(じっくりと心を割って談じ)、兼而余素心ノ所在ヲ談候處(前々からの考えている本心を談じたところ)、坂本抵掌稱善(龍馬は手を叩いて「善し!」と称えた)、(以下省略)

(慶應三年六月)九日 
雨、(途中省略)
午後水蓮船ニ乗ル(後藤象二郎と坂本龍馬は藩船「夕顔」に乗る)、商會高橋随行(土佐商会より高橋某が随行)、忽々旅装着ス(たちまち旅装する)、狼狽可知、二字比出帆ナリ(午後2時に出帆)、余及一同送之(余(岩崎)および関係者一同)、余不覚流涕數行(余(岩崎)は不覚にも涙を流す)、(以下省略)
※この船の中にて「船中八策」を龍馬は起草する。

 彌太郎は、土佐藩開成館大阪出張所(土佐藩開成館貨殖局大阪出張所)の責任者として異動することになり、明治2年(1869)1月9日に長崎を発ち、同月12日、西長堀にある土佐藩大阪蔵屋敷に到着しました。この夜は近くの茶屋で宿泊したと日記に記しています。
明治政府が藩営事業を禁止しようとしている事を察知した土佐藩は、同年閏10 月、土佐藩士とは別組織の民間商社として「九十九商会」を設立し、翌年に開業しました。彌太郎は藩の立場で事業の指揮を執りました。
 明治3年(1870)、岩崎彌太郎は土佐藩の少参事(中老格)に昇格します。その後、土佐稲荷神社の西側にある敷地に住居を構えました。
 廃藩置県後、土佐商会の事業を九十九商会へ継承し、「三川商会」「三菱商会」と名称が変更し、岩崎彌太郎が社主となりました。
 明治7年(1874)、本社を東京に移転し、本宅も東京へ転居しました。
土佐藩蔵屋敷の跡地は大阪市などに分譲され、土佐稲荷神社だけは、三菱が継続して管理することになり現在に至ります。
 同神社境内に「岩崎舊邸跡」の石碑と説明板があります。
 その他、彌太郎の弟 岩崎彌之助寄進の青銅狛犬、彌太郎の長女 春路の婿である元内閣総理大臣加藤高明寄進の常夜燈などがあります。明治2年(1869)2月13日、住吉卯日例祭のため同地を訪れた岩崎彌太郎は、坂本龍馬も宿泊したことがある「三文字屋」で夕食をしたことが日記に記されています。
 彌太郎の長女 春路の夫は加藤高明(首相)、四女雅子の夫は幣原喜重郎(首相)。 
 彌太郎の弟 彌之助(三菱の2代目社長)の妻 早苗は、後藤象二郎の長女にあたります。福澤諭吉と連携し慶應義塾卒業をした優秀な人材を三菱に採用をしました。
 現在も「三菱」は誰もが知るブランドとなっています。

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