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勝 海舟

神戸史跡探訪 Vol.1

神戸史跡探訪 Vol.1

久しぶりに神戸の史跡ガイドを担当することとなりました。

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神戸海軍操練所と神戸海軍塾は別物だった。

勝海舟の神戸に築いた邸跡(神戸海軍塾跡)はここだった。

兵庫県初代知事だった伊藤俊輔(伊藤博文)の寓居跡(吟松亭跡)はここだった。

上記がめだまとなります。ガイドブックには載っていません。ご都合が合う方はぜひはこちらまで。

2016 春の史跡探訪 その1

2016 春の史跡探訪

春の史跡探訪の日程が決まりました。
ご都合が合う方はぜひご参加ください。

1.幕末:祇園・東山
  3月27日(日) 13:00~ 京阪電鉄祇園四条駅南改札口前に集合。
 祇園・八坂・清水周辺の幕末史跡めぐりです。

 江戸時代の人々は必ず寺の宗派に属しなければならなかったのですが、勤皇を唱える志士たちはあえて(神道による葬儀にて)霊山に葬られることを望みました。その霊明神社を訪れます。

 坂本龍馬と中岡慎太郎の遺体が運ばれた維新葬送の道、明治初期、先立たれた夫の墓守のため、居住していた坂本龍馬の妻 お龍の住居跡をご案内。

 慶応3年11月15日、軍鶏を買いに行ったM。近江屋に帰ってきたら坂本龍馬と中岡慎太郎が賊徒に襲撃された後だった。Mとは誰か? 家に伝わる当時のMの体感をお伝えします。

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2.神戸史跡探訪

 4月2日(土) 13:00~ 阪急電鉄神戸三宮駅東改札口前

 神戸のガイドブックに記載のない箇所を含めた史跡を巡ります。
 兵庫県初代知事は誰か? その知事の神戸寓居跡を訪れる。

 神戸にあった勝海舟邸跡は現在のどの地に該当するか。意外な場所だった。
 勝海舟が、一大共有の海局、幕臣だけでなく各藩から訓練生を募り、日本の海軍を増強し、西洋の強国に屈しないための訓練所を神戸に定め、14代将軍徳川家茂に直談判を行い許可を得た「神戸海軍操練所」跡を巡る。兵庫が開港されたのは1868年1月1日(慶応3年12月7日)。明治新政府初外交の場、神戸税関発祥の地を訪れる。勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文、東郷平八郎、荒木村重などのゆかりの地を訪れます。

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3.大阪史跡探訪Vol.19 

 4月17日(日) 二部制

 午前午後、午前のみ、午後のみ の参加が可能

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4.高槻

日時:4月29日(祝) 

集合場所:JR高槻駅中央改札口前

 10世紀末からあったとされる高槻城。戦国期以降高槻城の城主が次のように頻繁に入れ替わり統治してきました。入江春継、織田信長、和田惟政、高山友照・右近父子、新庄直頼、青山忠成、内藤信正、土岐定義、松平家信、岡部宣勝、松平康信、永井直清。高槻城とその城下町にある史跡をご案内します。
キリシタン大名高山右近ゆかりの地、江戸期は普代大名が治めた地、高槻を城下町中心にめぐります。

 JR高槻駅~山崎の合戦羽柴秀吉本陣跡~西国街道芥川宿~松永久秀鼓塚~高槻城出丸の門跡~高槻城三の丸・外堀跡~藤井竹外邸跡~高山右近像~高槻天主教会跡~陸軍工兵第四聯隊跡~高槻城跡~司馬遼太郎勉学の地~蔵屋敷跡~高槻藩校「菁莪堂」跡~森田無紘の生家、小倉邸跡~高槻城北大手門跡

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大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

2015年6月14日に発刊。大阪龍馬会発刊の史跡ガイドブック連載のVol.4は「大坂城」です。

これまで以上にページ数が増え、115ページと史跡コースMAPの付録でついています。

詳しくは次のサイトへ  クリック

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大阪城について 1

1. 大阪城公園駅                      中央区大阪城3-3

大坂城築城400年祭り開催に合わせて、昭和58年(1983)10月1日、JR(当時は国鉄)大阪環状線の森ノ宮駅と京橋駅の間に大阪城公園駅が開業した。
大阪環状線では唯一この駅のみが地平駅となっている(天王寺駅は上町台地の掘割部分にホームがあるため厳密には地平駅とはいえない)。
昭和7年に桃谷駅と猫間信号場間が高架化されているが、大阪砲兵工廠(現在の大阪城公園東部、大阪ビジネスパーク、吹田総合車両所森ノ宮支所など)の付近には線路を横断する道路はなく、砲兵工廠へ入る側線(廠内鉄道)との兼ね合いもあって高架化されなかった。なお、高架化されなかった理由に防諜説があるが、砲兵工廠の南端に開業した森ノ宮駅が開業当初から高架駅であることや、昭和17年9月に防諜の観点から大坂城内への一般の立入が禁止されるまで、大坂城天守から工廠内が丸見えであったことを考えると、防諜説はやや無理が生じると考えられる。

大阪史跡探訪Vol.18 

大阪史跡探訪Vol.18

2015年6月14日、大阪龍馬会主催の「大阪史跡探訪Vo.18」を開催することとなりました。

今回は、大坂夏の陣400年の舞台となった大坂城。豊臣秀頼が亡くなって400年です。

また、来年は第14代将軍徳川家茂が大坂城で亡くなって150年となります。

政治の行方を左右した重要拠点である大坂城に注目し、歴史散策を行います。

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勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-5

勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-5

切腹をしようとしたところ、一同が「仰せの儀、かしこまりました。家財を売ってでも金を用意します。」と言ったが、小吉はさらに「今になっては聞き入れぬ。介錯を頼む」 一同は大慌てとなり、代官の山田新右衛門が間に入り止めた。 小吉はここぞとばかりに「金を必ず用意する」という一文を書かせ。刻限も村人から翌日には用意するという答えを引き出した。 翌日550両を小吉に渡した。残り50両を3日間で作るようにと指示を出し、江戸への帰国のため出立をした。 江戸につき、岡野家へ訪ねると神様扱いにされるほど歓迎を受けた。 大川丈助に339両支払い、今後騒ぎを起こさないよう書付を書かせ、一件落着となった。

御願塚村は、息子の勝海舟が公用で赴いた際、つい立ち寄りたい場所だったと推察します。(完結)

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勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-4

勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-4

(4)勝小吉 ここ一番の大勝負

能勢の妙見詣での出来事が御願塚村に帰ってから、村人たちの様子が変化しだした。
金を出そうという派と金を出さない派と別れだしてきた。
小吉は「しめた」と思いつつも、大坂へ芝居見物(仮名手本忠臣蔵)に出かけ、奉行所により、御願塚村へ肴等を運ばせた。
小吉は大いに村民たちに御馳走を振る舞ったところで、改めて「金策」を講じると、まだ準備ができていないという返事だった。
翌日、勝小吉は伊丹の呉服屋へ行き白装束を購入。
その夜、代官邸に村人を集めて、寛大な御馳走を振る舞った。
場が盛り上がり、落ち着いたところで、小吉は全員に「これまでの金策の事情、そもそもこの地は岡野江雪が家康から頂いた土地。その岡野家が断絶するかもしれない事態になって、恩を返そうとは思わないのか。俺は出来ぬからこうして江戸から御願塚村に来てお願いに来ているのだ。しかし、どうしても金を出さぬというので、このままでは江戸に帰れず、今晩自刃する。ついては亡骸を倅(海舟)に渡してくれ。」と言った。(つづく)

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勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-3

勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-3

(3)勝小吉 能勢の妙見詣で

村民らが金を造る準備をしている、という情報を小吉がつかむ。
代官に「能勢の妙見詣で」に行くことを告げ、共はこれまで反対して来た村人を連れていくことにする。
小吉は代官に「共へ雨具を持参するよう」と言ったところ、代官は「この時期は日和がよく、5.6日は雨が降らないので不要」と返事した。
小吉は「これまで妙見に信仰しているので、俺が雨が降るといったら必ず大雨が降る」と返した。
出発するも天気がよく、妙見に近づいたとき雨具の駕籠持ちが怒りだし、その駕籠を麓の茶屋へ置いて登り出した。
山頂につき妙見詣でを済ませて下山の途中、大雨になった。
共の雨具は茶屋に置いてきているのでずぶ濡れになった。
その後、雨がおさまってから、村人たちが「自分たちは百日詣でても降らなかった雨が、
昨日の段階でご存知とは」と驚嘆した。(つづく)

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勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-2

勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地-2

勝小吉の出張.

御願塚村へ(天保9年11月9日)
御願塚村の代官 山田新右衛門邸へ逗留。 
翌日、村民を呼び集め金策を講じる。しかし、「とても余力がなく、1銭も出せない」と断られる。
勝小吉は当惑したが、数日間、村を見て回り様子を探る。
暫く金の話を持ち出さず、大坂へ出向いたりして、共の者に村人の様子を探らせた。
共の猪山勇八が、小吉に黙って強引に金策をせまると、逆に武力でもって抵抗してきた。
代官や村人たちに講義をすると喜ばれたが、金の話になると強烈に抵抗した。
勝小吉は、一泡ふかせてやろうと決意する。そのため、策を練りおとなしく慎重に行動した。(つづく)

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勝小吉 訪問の地 岡野孫一郎所領地

勝小吉訪問の地 岡野孫一郎の所領地

岡野孫一郎(旗本1,500石)の祖先は小田原北条家の家臣。北条家没落後、秀吉、家康に仕える。家康から所領各地を与えられた。そのうちのひとつが御願塚村500余石だった。江戸にある所領地内に、勝小吉が転居し岡野家と関わることとなった。
岡野孫一郎、役をもらうが長続きせず、とうとう無役となる。岡野孫一郎は無役でありながら道楽者、多額の借金をする。借金の返済を勝小吉がの工面し面倒を見る。岡野家に奉公した悪玉大川丈助から、借金339両を返済しないと評定所へ訴えると脅され、岡野家断絶の危機となった。岡野孫一郎の依頼により、勝小吉は御願塚村へ出張し、400両を工面することとなる。(つづく)

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