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歴史こぼれ話

三橋楼跡 その2

三橋楼跡地を訪れて その2

天満橋ニュースカイハイツの北側には石垣と石崖があります。

上半分は江戸期のものできれいに石が切られて詰まれています。

下半分は野面積みで丸い石を重ねていったもの。

石垣との間に隙間があるためイタチが居住しているそうです。

その上半分の石垣の東側に空洞があり、現在はコンクリートでふたをしているような状況とのことですが、防空壕に使われた形跡は無く、戦国期から残る抜け穴という説があるようです。

洞穴は東西と南北にあって、マンションを建てた際、工事を受け持った業者が手を抜いたのかこの空洞に丸いつつのようなものをはめこみ、中には雑用品を詰め込んであったようです。

今回、修築を考えておられるようですが、少々お金がかかっててでも耐震に強いものにするとのことです。

それにしても、この抜け穴は何のために掘られたのでしょうか。

蓮如上人の隠居先として建てられた御坊が、やがて総本山石山本願寺と移っていくわけですが、本願寺時代の遺構ではないか。本願寺の遺構は天満橋付近にあったのではないか。という考えが出ているようです。

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大阪史跡探訪Vol.6 その10

大阪史跡探訪Vol.6 その10

平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。

10回目は

Ⅴ.大阪城

<大坂城の歴史>

⑪大阪城天守閣の再建 ~大阪市民の寄付金により再建~

 2)豊公館

 3)天守閣の復興が議会で可決

 4)寄付金の募集

 5)天守閣再建の問題点

 6)大阪城天守閣の再建

⑫第二次世界大戦中の大阪城 ~陸軍により閉鎖された大阪城~

 1)観光客入場の規制

 2)天守閣の一般公開を閉鎖

⑬敗戦直後の大阪城 ~進駐軍に占領された大阪城~

 1)8月14日の大空襲

 2)天守閣の被弾

  大阪城の被弾、大阪砲兵工廠潰滅

 3)砲兵工廠・櫓・門などの被弾

 4)進駐軍に占領された大阪城

 5)応急復古

⑭現在の大阪城 ~大阪のシンボル「大阪城」~

 1)一般公開の再開

です。

「vol.6-2005-10-23-10.pdf」をダウンロード

大阪史跡探訪Vol.6 その6

大阪史跡探訪Vol.6 その6

平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。

6回目は

Ⅴ.大阪城

<大坂城の歴史>

①浄土真宗総本山 石山本願寺(大坂本願寺)

②大坂城の築城 ~初代城主 織田信長~

③豊臣期の大坂城 ~天下統一の拠点として本格的な築城へ~

 1)第2代城主 池田恒興

 2)第3代城主 羽柴(豊臣)秀吉

 3)本格的な大坂城の築城

④秀吉死後の大坂城(その1) ~2つの天守閣~

 1)第4代城主 豊臣秀頼

 2)徳川家康の台頭

 3)大坂城に2つの天守閣が並び建つ

⑤秀吉死後の大坂城(その2) ~大坂城の落城~

 1)徳川家康と石田三成の対立

 2)大坂城の落城

 番外編 徳川家康討死説

です。

「vol.6-2005-10-23-6.pdf」をダウンロード

水帳について

水帳(御図帳)と水帳絵図

安政3年に作成された水帳。町単位で作成された水帳は、その後水帳自身の更新は無く、家屋持ち主の名義が変われば、その上に紙を貼り付けていく方法が採られました。

表口、裏行の寸法が明記されています。

下記写真は、大坂八軒家にあった船宿「堺屋源兵衛」「京屋忠兵衛」の水帳の記載内容です。それに伴い図面で紹介されたものが水帳絵図。

水帳絵図には八軒家船着場正面に上がると表口が随分広い「堺屋源兵衛」の船宿があったことがわかります。しかもその表口中途に「高倉筋」という道が通っていました。

水帳には「内幅弐間之大道」という記載がありますが、これこそ「高倉筋」に該当いたします。

現在も残る「高倉筋」。実際幅を計ると記載どおり2間の寸法に合致しました。

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神戸史跡探訪Vol.1(連載10回目)

神戸史跡探訪Vol.1 (連載10回目)

平成17年(2005)3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしています。

連載10回目は

・神戸海援隊レリーフ(時間の関係でご案内できず)

・外国人居留地時代の標柱(時間の関係でご案内できず)

・神戸外国人居留地15番館(時間の関係でご案内できず)

・神戸外国人居留地跡(時間の関係でご案内できず)

・神戸事件発生地

・神戸海軍塾(勝塾)書生寮跡

・勝 海舟邸跡(神戸海軍塾跡)

です。

「102005302710.pdf」をダウンロード

大阪史跡探訪Vol.5 番外編②

大阪史跡探訪Vol.5 史跡関連案内その2

平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」で紹介した史跡に関連するその他の地域の史跡を2回に分けてご紹介します。

2回目は下記史跡をご紹介いたします。

・長州藩殉難48士の墓所(阿部野墓地)

・舊山口藩殉難諸士招魂之碑(大江護国神社)

・順動丸について

・石山本願寺跡(大阪城)

・蓮如上人碑(大阪城)

・南組惣会所跡

・天王寺屋発祥の地

・鴻池新田会所

・大阪市初の女性助役 大平光代氏について

「vol.5 2004-0606 A-2.pdf」をダウンロード

参加者数はこの日38名でした。

大阪史跡探訪Vol.5 番外編①

大阪史跡探訪Vol.5 史跡関連案内その1

平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」で紹介した史跡に関連するその他の地域の史跡を2回に分けてご紹介します。

今回は下記史跡をご紹介いたします。

・水戸藩士 川崎孫四郎自刃の所

・島 男也 旧居跡

・口縄坂

・脱藩した大名 請西藩主 林 忠崇

・浪華仮病院跡(大福寺)

・大村益次郎終焉の地 

・その他の赤穂義士の墓

・土浦藩飛び地領(大阪府岬町)

・土屋相模守此池築碑

・土浦藩領 勝 海舟宿泊の地 戸口仙蔵宅

・藤井藍田墓所(統国寺)

・藤井藍田贈位記念碑(統国寺)

「vol.5 2004-0606 A-1.pdf」をダウンロード

e-よこ会 東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期 ②

e-よこ会 東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期 講演を終えて

6月4日(土)大阪市中央区高麗橋2-6-2にある「浪花教会」において「東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期」というテーマで講演を行いました。

「e-よこ会」でのHPで講演内容をアップされました。

詳細はこちらです。

徳川家康討死説

徳川家康討死説

 堺市内に南宗寺というお寺があります。そこに奇妙な言い伝えが残っています。

 徳川家康討死およびその墓。第2代将軍徳川秀忠、第3代将軍徳川家光がこの寺に来ていること。明治期に山岡鉄舟が墓の横に「無銘塔家康諾ス」という石碑を建立したこと。

 日光東照宮内にある遺品で家康専用の駕籠の天井が刀のようなもので破れていたことなどから命を落としたのではという声が、日増しに高くなってきているようです。

http://www.digibook.net/q/pBGpwRC0dCAiPOEH/

30.残念さん

長州藩ゆかりの史跡「残念さん」(長州藩士 山本文之助の墓)  尼崎市杭瀬南新町4-9

 元治元年(1864)7月19日に勃発した「禁門の変」で長州藩は大敗しました。

 長州藩士である山本文之助は参戦していましたが、敗北のため京都を脱出し、西国街道を通って西へ水路を使い敗走しました。

 尼崎藩は幕府の親藩にあたりながらも尊王派であったため、尼崎藩領にある大物北ノ口で上陸しました。しかし、山本は尼崎藩に捕えられ投獄されます。

 山本は期待を裏切られた思いで「残念、残念」を繰り返し、その日のうちに自害します。

 元治元年7月20日、山本文之助29歳でした。

 翌年の元治2年(1865)2月(※同年の4月8日から慶応元年に変更)頃から山本文之助の墓が「残念さん」と呼ばれるようになり、大坂の町人に信仰が深まっていきました。

 参拝し願いをかけると叶えられるという噂が広まりました。それも同年の5月にはピークになり、大坂から尼崎の道には参列者の列が続いたそうです。

 長州征伐のため将軍自ら大坂城に入城する予定になっていたため、幕府は5月17日以降残念さん参りを禁じました。

 大坂町人平野屋武兵衛の書いた諸記録のうち「日加栄」の慶応元年5月16日に次のような記載があります。

 「五月一六日、未明より尼ヶ崎町家之墓所ニ、昨年京都より長州江之落武者、尼ヶ崎入口ニて横死の霊魂残り、いつとなく此墓所江立願すれバ、病氣にかきらず、残念なることさへ立願すれバ、願成就のよしにて、諸方より大くんじゅのよし、珍ら敷、忰駿七召連見物に参り候處、野里の渡しにて早くも日光御上りに、最早六拾人の余も渡り候よし、渡し守の咄しに、朝五ツ時よりハ所より番人出候よし、始め青竹にて誠にていねひきれいにかきいたし、土墓にいたし有之候へとも、あまりあまり多人数参詣にて、かきを取のけ、セいし候へとも、中ゝ左様いたすほどさかんに相成り、塚もなく、少々おぼひ候上、土砂の高ふに相成候土砂を持帰り、(途中省略) 長州の横死の人の名前わかり不申候、年比ハ弐拾三四才位のよし(途中省略)人こぞりて、残念様、残念様 唱へて立願のよし、(以下省略)」 

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