明治以降の大阪

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

2015年6月14日に発刊。大阪龍馬会発刊の史跡ガイドブック連載のVol.4は「大坂城」です。

これまで以上にページ数が増え、115ページと史跡コースMAPの付録でついています。

詳しくは次のサイトへ  クリック

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大阪史跡探訪Vol.18 

大阪史跡探訪Vol.18

2015年6月14日、大阪龍馬会主催の「大阪史跡探訪Vo.18」を開催することとなりました。

今回は、大坂夏の陣400年の舞台となった大坂城。豊臣秀頼が亡くなって400年です。

また、来年は第14代将軍徳川家茂が大坂城で亡くなって150年となります。

政治の行方を左右した重要拠点である大坂城に注目し、歴史散策を行います。

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5月17日 史跡守口宿

5月17日 史跡守口宿

5月17日「史跡守口宿」のガイドを担当いたします長谷です。
今日、コースの確認と改めての下見をいたしましたが、思わぬ発見がありました。
文禄堤にある三好写真館等から、たくさんの貴重な情報をいただきました。桂小五郎宿泊の地(呉服商茜屋跡)。
守口漬を扱った徳永家本家跡。慶応4年3月22日、大坂行幸のため明治天皇が一泊した難宗寺、この寺には玉座が残されています。
非公開ですが、当日は見学をさせていただきます。司馬遼太郎住居跡(「梟の城」執筆の地)は守口市でした。
また、江戸川乱歩寓居跡の銘板のある場所は、謎かけです。この銘板を見つける確率はかなり低いと思います。当日は、参加者に見つけてもらおうと企画しています。

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豊臣期の大坂城天守閣跡 

大阪城配水池

天守閣の最上階の東から下を見ると芝生の空き地が見えます。

しかし、ここは空き地ではなく配水池なのです。

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配水池ができた経緯を、お世話になった宮本先生の産経新聞寄稿文を抜粋してご紹介いたします。

【上町に学ぶ 古都おおさか再生】大阪城内の配水池 宮本直和
2009年09月08日 産経新聞 大阪夕刊 経済面

 ◆市民にもたらす命の水

 大阪城のある上町台地は、大阪の人々にさまざまな恩恵をもたらした。

 明治以降、兵部省役庁、兵学寮、教導隊、軍事病院、造兵司などの陸軍関係諸施設ができた。1日3度の「号砲ドン」が鳴り響き、東京より4カ月早く洋式の定時法が始まった。また、ここから日曜休日制も始まったという。
 大阪城内(本丸)には配水池が建設され、大阪市民の安全な“命の水”が確保された。このことでコレラ、腸チフス、赤痢などの伝染病発生率が激減。近代消防スタートの契機ともなり、大阪人の暮らしの近代化を大いに推進したことは、今日、忘れられがちだ。
 配水池建設の背景には、文政5年、明治10年、12年、18年の淀川大洪水後の19年、23年のコレラの大流行があった。同じ23年には「新町焼け」(西区)もあり、その防疫・防災対策の要として、水道建設の声が高まった。それまでは、淀川の水を売り歩く「水屋」や井戸に頼る日々だった。
 当初、桜の宮水源地に巨大水塔を築く案があったが、最終的に軍用地・大阪城内の天守台隣接地に自然流下式の配水池(約1万7100平方メートル)の建設を決定した。大阪市の年間予算の3倍、250万円の巨費をつぎ込み、明治25年に着工。3年3カ月の歳月をかけて28年に完成した。
 この時、大阪市の要請に対して、高島鞆之助・陸軍大臣は、陸軍用地の一部を「無償で貸与する」と許可している。これによって大阪は、横浜、函館、長崎につぎ、全国で4番目に水道をもつに至った。
 オーストリア皇太子フェルディナントが来日した際、大阪城を訪れ、この工事中の配水池を見て、「大いなる歴史の地に、いま平和の施設が建設されている」(『日本日記』)と、高い評価を残している。
 あの“20世紀最高の産業人”松下幸之助が、船場ででっち奉公に励み、後年、新世界の通天閣近くで水道の水を飲む大八車の男の姿を見て、「水道哲学」に気づき、松下電器を世界的企業に育てたのも、大阪に水道の恩恵が行き渡っていたからであろう。
 配水池建設を可能にしたものは、公のノブレス・オブリージュの精神であった。高島陸軍大臣は大阪偕行社附属小学校(現追手門学院)の創設者でもある。
                  ◇

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(26) 明治紀念標跡

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(26)

明治紀念標跡 

明治35年(1902)、中之島にあった西南戦争の戦没者を追悼する明治紀念標は、大阪偕行社がある大手前(現在の追手門学院大手前中・高等学校の西南角)に移転された。台座をあわせて22mという異例な高さの忠霊塔だった。明治紀念標は戦時中に供出されて現在はない。

中之島にあった頃の写真より大手前にあった頃の写真のほうが多く残っている。

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(25) 大阪偕行社跡

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(25)

大阪偕行社跡 

陸軍将校の倶楽部(集会所)として、陸軍将校の親睦、教養、研鑽を目的で明治9年(1876)6月に設立された。

昭和20年(1945)6月、大空襲により社屋は全焼し、終戦後、偕行社は解散。

跡地にある追手門学院小学校の玄関と側壁、同大手前中・高等学校の正門は、大阪偕行社の遺構である。

明治天皇がここ大阪偕行社に行幸され、史跡として顕彰された石碑が同校敷地内に見られる。

また、学校の西側にある塀の外側に陸軍用地標石もいまだに残っている。

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(19)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(19)

料亭「三橋楼」跡 

江戸期から明治期にかけて「三橋楼」という料亭があった。

高台にあったため「天神橋」「天満橋」「難波橋」三つの橋を眺望することができたところから三橋楼と名づけられた。

元治元年(1864)11月16日、新選組隊長 近藤勇の名による献金依頼文書を、加賀屋徳兵衛が三橋楼に出向いて受け取っている。
慶応4年(1868)4月、大久保利通が明治天皇に謁見したことを祝うため、大久保は小松帯刀、木場伝内、本田親雄、税所 篤を招き、三橋楼で祝宴をあげている。
明治7年(1874)~8年(1875)にかけ、大阪で繰り広げられた「大阪会議」の開催地のうちのひとつだった。

明治6年の政変後、大久保利通が政治の実権を握ったものの、不平士族の勢いが強まるばかりで、政府が困惑状態だった。そのような時期、井上馨、伊藤博文が、大久保利通に働きかけ、大阪を舞台に下野した木戸孝允の政界復帰の画策が行われた。
明治8年(1875)1月8日、木戸の宿泊先「加賀伊」に大久保が来訪。同伴にて「三橋楼」に場所を変え、10時間以上に及ぶ対談を行った。途中、黒田清隆が「三橋楼」に来訪。黒田は泥酔により両者の話をぶち壊してしまい、木戸は激怒し破談かと思われた。しかし、軌道修正され、「国会開設」に向けて話し合いが行われるようになった頃、同年1月26日、木戸孝允の呼びかけで、「三橋楼」において「囲碁会」が開催された。

参加者は井上 馨、中野梧一、鳥尾小彌太、伊藤博文、大久保利通、五代友厚、税所 篤、内海忠勝(大阪府参事)、松本、渡邊父子、山尾庸三、吉富などが参加した。その後、同年2月11日「加賀伊」において三者(大久保、木戸、板垣)の和解が成立し、木戸孝允、板垣退助は条件付きで政界に復帰することとなった。
これを「大阪会議」という。

明治10年、西南戦争が起こると「三橋楼」に陸軍参謀本部が置かれた。このことは、あまり知られていない。

【関連写真】

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(6)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(6)

大阪慶應義塾跡  中央区北浜2-5-23(小寺プラザビル) 緒方洪庵の適塾で塾頭を経験した福澤諭吉は、幕命により江戸へ出仕することになり、江戸築地鉄砲州の中津藩中屋敷にて蘭学塾を開いた。この塾が「慶應義塾」に発展する。慶応4年(1868)、塾名を慶應義塾と変更。全国各地からの入塾者が多くなり、諭吉の生誕の地でもあり学問を学んだ適塾がある地でもある大阪に「大阪慶應義塾」を開塾した。
「大阪慶應義塾」は明治6年(1873)11月1日、安堂寺橋通3丁目192番地の丸屋善藏の控えの家で開塾した。「丸屋」は後の「丸善」です。書店として開業したのは明治元年(1868)でした。明治7年6月に「丸屋」から小寺篤兵衛宅(現:北浜2-5-23)に移転した。創立150周年にあたる平成21年(2009)に大坂慶応義塾跡の石碑が建立された。

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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(4)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(4)

明治紀念標跡 明治10年(1877)に起こった西南戦争の戦没者を追悼する慰霊塔。
明治12年(1879)、博交社(後に大阪偕行社と改称)が中心となって寄付を募り、明治16年(1883)、中之島の豊國神社の西隣で現在の中央公会堂のある場所に建立された。
5月6日から3日間にわたって落成式典が行われ、その後も毎年5月に招魂祭がここで行われたことから、陸軍にとっては東京の靖国神社にも匹敵する施設であったといえる。
寄付を募るポスター風の広告物(倉敷市立美術館所蔵)は、維新後に、大阪で初めて洋風表現をした画家、森琴石の手で100分の1の銅版画として作られた。

次回、7月29日は夏の陣vol.2です。

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今年のベスト3 3位 大坂の幕末を歩く

「大坂の幕末を歩く」を3コースでオーダーをあわせて10回開催しました。

毎回、私と奥野さんが新しいネタを披露し、毎回変化があるコース案内となり、ほぼ定員15名で実施する事ができました。

1.幕末 天満

 天満橋-現八軒家船着場-八軒家船着場跡石碑-三橋楼跡(大久保利通祝宴の地、木戸孝允主催囲碁の会開催地、大久保利通・木戸孝允会談の地)-坂本龍馬ゆかりに船宿堺屋源兵衛跡-新選組定宿京屋忠兵衛跡-紀州藩蔵屋敷跡--内山彦次郎暗殺の地-大阪銀座跡-高麗橋-山南敬助奮闘の地岩城升屋跡-平野屋五兵衛邸跡-大阪会議開催地花外楼-築地蟹島料亭跡(河井継之助宿泊の地竹式楼跡、清河八郎宿泊の地瓢箪屋跡)-大阪会議開催地専崎楼跡-池内大学暗殺の地-五代友厚像-北浜

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2.幕末 北浜

 北浜-五代友厚像-鴻池屋邸宅跡-大阪慶應義塾跡-彦根藩蔵屋敷跡-盛岡藩蔵屋敷跡-新選組吉村貫一郎終焉の地-緒方洪庵像-適塾-愛珠幼稚園-銅座跡-除痘館跡-勤王僧月照生誕の地-勝 海舟寓居(専稱寺)跡-坂本龍馬訪問の地-大坂海軍塾跡-勝 海舟・西郷吉之助初会見の地-近藤長次郎挙式跡-楢崎龍武勇伝-北御堂-本町

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3.幕末 夕陽丘

 松屋町-新選組ゆかりの地 ぜんざい屋事件跡-大利鼎吉終焉の地-土浦藩蔵屋敷跡-蘭医ボードウィン寓居跡-薩摩屋半兵衛墓所-坂本龍馬潜伏の地-英国公使ハリーパークス宿泊の地-アーネストサトウ宿泊の地-小松帯刀・西郷吉之助訪問の地-伊庭八郎宿泊の地-真言坂-天満八軒家船着場の常夜燈-井原西鶴像-水戸藩士川崎孫四郎自刃の地(桜田門外の大坂編)-土佐藩士(武市半平太の甥島村寿太郎ほか)墓所-源聖寺坂-新選組大坂旅宿跡-口縄坂-司馬遼太郎「燃えよ剣」舞台地-織田作之助文学碑-夕陽丘創名の地碑-陸奥宗光ほか陸奥家墓所跡-小松帯刀墓所跡-四天王寺夕陽丘

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