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甲斐よしひろ

大阪砲兵工廠と大阪城ホール

大阪砲兵工廠本館跡/大阪城ホール       中央区大阪城3-1

大坂城築城400年を記念し、大阪では最大の収容人数のコンサートホールが昭和58年(1983)10月に開業した。

最大収容人数は16,000人。正式名称は「大阪城国際文化スポーツホール」というが、一般的には「大阪城ホール」と呼ばれている。

「恒例は1万人の第九」。

同年10月~11月にかけていろいろなイベントが催されたが、本格的なロックコンサートを初めて開催したのは「甲斐バンド」(12月3日公演)である(代表曲:HERO、安和、裏切りの街角)。

リーダーの甲斐よしひろは、このとき「この大阪城ホールで、ピコピコテクノ(YMO)はやったらしいが、本格的なロックコンサートは俺たちが最初だからね!」とMCの中で言った。

松田聖子が大阪城ホールでコンサートを開催した際、コンサート終了後、観客はホールを出てホール前の噴水広場で群がり去ろうとしない。
理由は、後方の「ホテルニューオータニ」の宿泊室から、聖子自ら窓を開けてファンサービスとして手を振るのが恒例だったからである。

大阪城ホールがある地は、戦前、大阪砲兵工廠(戦争に使用する武器や弾薬の製造所)の本館があった場所である。

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

大坂の史跡探訪 Vol.4  大坂城

2015年6月14日に発刊。大阪龍馬会発刊の史跡ガイドブック連載のVol.4は「大坂城」です。

これまで以上にページ数が増え、115ページと史跡コースMAPの付録でついています。

詳しくは次のサイトへ  クリック

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今夜も目一杯やるから最後まだ楽しんでいってほしい! やるよ!

薬師寺特設ステージでライブ 甲斐バンド

https://www.facebook.com/jizhi.zhanggu#!/photo.php?fbid=454681214552628&set=a.354260037928080.84499.100000322599840&type=1

SET LIST

01.破れたハートを売り物に
02.翼あるもの
03.フェアリー
04.きんぽうげ
05.裏切りの街角
06.シーズン
07.ビューティフル・エネルギー
08.悲しき愛奴(サーファー)
09.ナイト・ウェイブ
10.BLUE LETTER
11.恋のバカンス
12.安奈 2012
13.嵐の季節
14.氷のくちびる
15.ポップコーンをほおばって
16.漂泊者(アウトロー)
17.HERO(ヒーローになる時、それは今)

ENCORE 01
01.ダイナマイトが150屯
02.ラヴ・マイナス・ゼロ

ENCORE 02
100万$ナイト

詳細はこちら

「サンキュー! 甲斐バンドです」

薬師寺特設ステージでライブ 甲斐バンド

2012年8月12日、久しぶりに甲斐バンドとしてライブが行われた。

「破れたハートを売り物に」から始まり、夏に関連する名曲を次々と披露。

今まで見れなかった、許されるトチリもありそれをフォローする甲斐さんのトークも抜群でした。

今年、シングルとしてリリース予定の曲順のとき、その曲をとばして「嵐の季節」の前奏が始まった。客は順番を知らないので、前奏が終わって甲斐さんが歌いだすかと思ったら甲斐さんが「サンキュー」の一言でSTOP。

甲斐さん「びっくりしたー!次の曲は、今年シングルで発売される予定の番なのに、紹介できずに消え去るところでした。」(お客さん大うけ)

もう1箇所。バンド紹介で次々とメンバーが紹介されていき、田中一郎が紹介されると次の曲にいこうとした時、ドラムスの松藤英男の紹介を観客が解散に向かって手でアピール。

それに気づいた甲斐さんが松藤を紹介。

松藤はドラムスを叩いてから前に出てきて、甲斐さんに「警告」のポーズ。

甲斐さん「わざわざ、ドラムを叩いてから前に出てこなくても!」(またまた大うけ)

でも最後は決めました。

2回目のアンコール。どこかで聴いた曲。「街路」の演奏にお客がざわめく。

間髪いれずに「100万ドルナイト」の前奏が始まり、お客は「これがきたか!」

静かに聴き入る。

おなじみの照明効果が期待されるこの曲。薬師寺の仏殿、仏像とミックスして、「つらい愛と挫折の中 誰かが叫んでる 100万ドル・ナイト    WoO~!」

甲斐さんの叫びの中に演奏が続く。

すべてが終了し、メンバー全員が握手。

https://www.facebook.com/jizhi.zhanggu#!/photo.php?fbid=454681214552628&set=a.354260037928080.84499.100000322599840&type=1&theater

テレビカメラが入っていて、NHKBSプレミアムで8月30日に放送予定だそうです。

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑦

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑦ 最終

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に肩に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

「昨日のように」の曲が終わる

 え~今夜は「甲斐バンドストーリー」という感じで、甲斐バンドのプロセス、経過を追いながら、いろんな話を使用と思っているんですが・・

 今、聴いていると歌詞がいいねぇ! なんか知らないけど・・・

 『飲みかけのグラスに嘘を数えて暮らす』(甲斐さんが再び机をたたく)。

 これはなかなか他人(ひと)には書けんぞっていう感じで「ざまぁみろ」という感じですが(笑)

 今の僕に書けっていうのもありますが・・・少しありますが・・・え~この時は同だったんだろうねぇ。

 あのね、この時期、確か~この曲を書き上げたときは阿佐ヶ谷に住んでいたんだよね俺。花籠部屋が近くにあってね・・それでオレンジジュースが非常に好きな人(力士)なのでオレンジジュースを3パックぐらい買って来るわけよ。途中、自分の家に帰ろうとしたらその花籠部屋の力士がね、「まわし」締めて裸でね、アイスキャンデーほおばっててね(笑)・・なんとなくだらしない街でしたが、あの街は。え~、なんかこう・・非常にハードな思い出ってないね、この頃は。

 ただ、東京に馴染もうという意識がものすごくあったね。

 最初、甲斐バンドで、4人で住んだわけです。あの~合宿という感じで。それが高円寺でね。それで、高円寺の「シャンポール南高円寺」というマンションで。下がラーメン屋で。あそこの野菜炒め定食がすごく美味しかったけど・・・。

 この前、秋田に演奏に行ったら、その1階の野菜炒め定食を作ってたタカシという人が会いに来てくれたんだよね(甲斐さん机をポンとたたく)。ただもう・・懐かしい顔でしたが、その人の顔を見て何を思ったかというと「野菜炒め定食、野菜炒め定食美味かったな」という、それだけしかないという、非常に気楽な人間関係を続けておりましたが。

 え~、そうですな。あの~まぁ~本当に今「英雄と悪漢」という2枚目のLPを2曲かけたんですが・・・

 「らいむらいと」というLPは1枚目のLPで。「バス通り」という曲が俺たちのデビュー曲で。

 それでね、あの~初登場が60何位なんだよね。HOT100の40何位、30何位までバーッといったわけよデビュー曲が。だいたい10万枚ぐらい売れているわけよ。シングルが(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 2枚目の「裏切りの街角」が、これがほら、70万枚ぐらい売れているわけよ(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 それであの~、1年間ぐらい売れ続けてね、1年間売れ続けてベスト10に入って、7位ぐらいまで上がったわけよ。

 そうすると、やっぱり、あの・・・出てきたてのバンドとしては、バンドのリーダーとしては、1枚目がスマッシュヒット。2枚目がビッグヒットと。「これはぁ簡単だろう」(甲斐さんが机をポンとたたく)と思うわけよね。「よしっ! 簡単だ!」(甲斐さんが机をポンとたたく)

 パーっと思っちゃったもんね、すぐ。(笑いながら)「世の中簡単!」ほんとにほんとに。(笑)

 それで「かりそめのスイング」を出したわけよ。・・・桂三枝なんか大阪に行った時、もう僕の手を握って「大好きです」っていう感じで・・・仁鶴(笑福亭仁鶴)はいわなかったけど(笑)・・え~それでね、「かりそめのスイング」という曲を出したわけよ、3枚目に。そしたらこれも40何位くらいまでいったわけよ。

 それでね、俺たちは「裏切りの街角」が売れたとき、どう思ったかというと

  「もっとRock(ロック)をやりたい」と思ったわけね。激しいリズムで、なんか本当に自分たちの言いたいことをもっと・・もっと言いたいと。

 それで、最初、甲斐バンドというのは、あの~、松藤がドラムやって2ヶ月目ですぐプロになったり・・・みたいなのがあったりで、やっぱりみんなが技術的にそんなに上手くなかったし・・・大森信和もエレキのリードギターを俺たちのバンドに入って初めて弾いたという感じだったので、技術的にも乏しかったわけね。

 それで結局、その乏しいままデビューして・・・まぁ、それはしょうがないんだけど。

 俺がいわゆるソロのシンガーとして認められて『バンド組みたい』というのがいろいろあったので、それでなんとなくだんだん上手くなろうと・・。

 甲斐バンドがある種みんなに認められるまでには、俺は「2年かかる」とふんでたわけよ。ところが、もう1年目の、しかも半年目でパーッと売れちゃったみたいな・・のがあって、非常にやっぱりみんな慌てたわけよ・・・ね、はっきり言って。それで、まぁ技術の進歩と共に、俺たちのやりたい音楽をどんどんやっていこうという感じでここまできたという感じなんでありますが。

 えぇ~、俺がいろいろ・・まぁ、そのへん「英雄と悪漢」の次に「ガラスの動物園」という3枚目のLPで。この時は、非常に追い詰められて、俺が作ったんだよね。

 1m60cmの彼女と別れたと・・・。その辺の部分で、やっぱり俺は「ガラスの動物園」という、本当に一人の女のためにすべて曲を書き上げた・・・というかなり追い詰められた状況だったんだけども。

 その「ガラスの動物園」という中の曲をかけます。

 「らせん階段」 (曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=vFEOwDbwkCw

 (前回からの続き)

「らせん階段」 (曲が終わる)

 この前もね、松藤(まつふじ)・・っていう、うちのドラマーと話していたんだけど。

 やっぱりね、うちのバンドは、みんなあのすごいレコードが売れた時に「世間は簡単だ」と思っていたみたいなのねやっぱりね(甲斐さん机をポンとたたく)。それは~そう思うと思うよ、俺も思ってたもんね、はっきり。

 やっぱり、だけどあのままずーっと、いわゆる簡単だと・・世間が簡単だと思わなかった部分ね。パーンと一気にちょっと落ち込んだ部分。これは、非常にいろんな意味でものすごく感謝したいと・・誰に感謝したらいいのかわかんないんだけど・・思ってるし。

 ただ、俺たち「ガラスの動物園」を作っている途中、「ガラスの動物園」という(も)のにね、300時間近くかかったのね。1年間ぐらいスタジオに入っていたのね、ずっと。延々と。

 それでね・・俺が曲ができなかったわけよ・・ものすごく。・・そういうのがありましてですなぁ、事情が。

 だからね・・・非常に苦労して作り上げたという思い出がありますね、これはね。

 あの~、ただこの時の・・状態として、俺は自信があるのはね、メンバーが、みんなが、滅入らなかったのね、その状態に。

 別にみんなメンバーは、非常にしたたかだったし、やっぱり・・自分たちの「甲斐バンド」の音楽というものを早く作り上げよう。

 甲斐バンドのサウンドを確立しよう、というみたいな・・・非常にやっぱりあって、なんかやっぱり同じ状態という感じだったし、いろんな意味でも意気込んでいたような気がするんですが・・・。

 え~、この番組、FMになっちまったので、新しく「甲斐よしひろ」という人間とか「甲斐バンド」という人間を、初めて聴いてるという人も沢山いるんじゃないかと思うんですが。

 まぁ、その~、そんな感じなので、俺たちの・・まぁ紹介の部分を兼ねて、まぁ今日、こういう感じでやってるわけです。

 え~、もう1曲「ガラスの動物園」から聴いてもらおうと思ったんですが、あの~LIVEがね、出ているので、それをね、ちょっと聴いてもらいます。

 え~、これはね、「この夜のさよなら」のLPの中に入っている曲なんですが。

 この「この夜にさよなら」というのは4枚目のLPで。そのあとに「サーカス&サーカス」というLIVEが出たわけです。

 え~、そのLIVEから聴いてもらいます。

 これは、あの~、うちの松藤と長岡のコンビで作った名作であります。

 「きんぽうげ」(曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=tfODEWwPYb8&feature=related

 「きんぽうげ」(曲が終わる)

 「きんぽうげ」というタイトルは、俺がつけたんだけど・・中国産の毒気のある花なんですね。え~これを女に例えたと。ホホゥ(笑)

 洒落ているという・・・ちょっと今、ハンバーグの包みを袖にやりましたが(甲斐さん包みをつかみ音を鳴らす)。これがハンバーグです。

 え~(笑)・・えーとですなぁ、あの~・・・この時はね~、これはちょうど今から2年前・・1年半ぐらい? 2年ぐらい前か・・もう週刊誌でばんばん書かれたんですね、この頃は。とにかく、“やかましい”と。これね(きんぽうげのライヴの状況)、ライヴでいわゆる客席の方に向けたマイクを2つぐらい付けてるんだけど、それを完全に切ってこの状態なのね。

 だから、もうもの凄く、いわゆるヒートしてた感じがあるんだけど。

 あの~今はこういう感じで「キャ~」という恐ろしい歓声というのは・・まぁまったく陰を潜めてはいませんが(笑)・・、でもちょっとはね、みんなある種クールになってきた感じがあるんだけど。

 俺はねぇ、ただね・・・あの~、いろんなコンサート行ってて思うのは・・・あの~、。日本人というのは「スタンディングオーベーション」という部分というのは、全く無いわけよ。もう、立ったら前に押しかけるとかね・・・。だから、そういう感じがある!

 だから、会場を貸さないという部分が出てくるわけよ。

 スタンディングオーベーションみたいな部分ね・・いわゆる、ちゃんと座って聴いてて、で・・ある種、こ~体を動かしながら聴いててね、それで・・こ~終わった瞬間、パーッと立って、「うわっ」とスタンディングオーベーションでやって、またみんな、パーッと座るという部分があったら誰も困らないんだよね(甲斐さんがポンと机をたたく)。

 でみ、なんか、みんな、こ~押しかけて、誰か死んだりとかね・・・いう部分。

 まぁ、ただ俺は、みんな「うわ~」ってくる部分ほど夢中になっている、熱狂している部分というのは、誰にも責められないしね・・・。

 俺が、みんなをリードしていかなくちゃいけないということを、ずっと思っているけれども・・・。

 近頃、日増しに頭にくるのは、あの~、テープを投げる奴ね!

 もう俺はねぇ、1週間ぐらい前、ものすごく頭にきたんでんですが・・・あの~テープ投げる奴・・・それでもほとんど少なくなってるんだけれども・・・あれ(テープ)をねぇ、(苦笑)抜かないで・・・あれは、絶対コツけるのが、なんか目当てでやってるんじゃないかと・・・この前、左眼に当たりまして・・あっ右眼か! 右眼に当たりまして!

 それでね・・・僕はもう、ムカッときましてですなぁ・・・。いわゆる、何千人の中の何人かの為に不愉快になる部分が当然出てくるからね・・・。

 テープを投げるのは、止めにしましょう!なんか、あれはよくないですよ!なんか・・いろんな部分困るし、紙吹雪というのも、いわゆる、俺たちの機材がそれで壊されちゃったという部分も、やっぱあるしね。その~、一晩のためだけに、次の街に行っても、いろんな人間が待っているにもかかわらず、(公演が)できないという部分が出てくるので・・・なんか・・・テープはもう止めましょう!・・はい。ロックコンサートにテープはよくないと、俺は非常に近頃思います。

 え~・・・それでは。

 これはぁ~・・あの~・・・一番新しい「誘惑」というLPの中からの曲であります。

 (       )ました「シネマクラブ」 (曲が流れる)

http://www.youtube.com/watch?v=R5f7cVQEH4Q&feature=related

「シネマクラブ」 (曲が終わる)

 え~、今年ももうあとちょっと、という感じで・・・あとちょっとというか、もうちょっとあるか(笑)

 え~、俺たちのツアーが、もう少しで終わるんですが、え~、今年は1年間で110本以上まわって・・・よくまわった・・・と思うね。

 え~、で、無事に本当に、もう少しでやれそうな感じなので、非常にうれしく思うんだけど・・・。

 まぁ、2~3、一部のファンのために、非常に険悪ななることがあっても、圧倒的に、もう、いいんだよね、近頃の客は。で、俺達の存在が、ホントにいろいろちっちゃな街でもコンサートができる状態になった部分というのは、非常にみんなに感謝したいし、え~、2回目のアンコールの時は俺はねぇ、とろけそうになることが近頃あるわけよ。

 で、この感じっていうのは、昔、なかったのね。

 もう、ウワーッと客が前に来たときには、もうその波の中に飛び込みたい、ていう部分・・・かなり・・・異常な部分というのがあったけれど、立ったまま歌ってる時に、なんかとろけそうになる部分が近頃・・・なんか、ある種、別の感覚がおこってきまして「いいなぁ」と近頃思ってるかんじなんだけれども。

 え~、新曲が出ます。・・・はいっ・・甲斐バンドの新しい曲なんだけど。

 え~、その曲を今夜の最後という感じになりますね。

 「HERO(ヒーロー)」(曲が流れる)

http://www.youtube.com/watch?v=-T4ud2WgLyM&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=IB25r_o0m5g&feature=related

 「HERO(ヒーロー)」(曲が終わる)

 え~、今あの~、思ってるのは、なんというか・・・非常に自分の住んでる街とか、状況が悪くても、もうちょっとこの街で頑張ってみよう。とか、この人間関係で、目一杯やるだけやってみよう、という感じがね、俺は、一番人間としてしたたかな感じなんじゃないかなと、ちょっと思ってるんだけど。

 あの~、この「HERO」という、今聴いてもらったのも、かなり前向きな感じで。

 結局、今日のこととか、明日のことを目一杯考えて、俺たちは太く生きなくちゃだめなんだと・・・いう感じで書いたわけです。

 昨日のことを、うじうじ・・・まぁ・・・ある時はしてもいいけど、最後はしょうがないんだよね! そういうことはね。

 え~、近頃は、そういう「太い感じで生きねば」と思ってる今日この頃であります。

 え~、あて先をね・・はがき待ってます。

 あて先を言います。さい・・あっ違った。下の関係ないところを読んでしまった(笑)。東京都渋谷区・・今、埼玉県って言おうとしたのね。

 (甲斐さん、はがきのあて先を紹介)

 サウンドストリート水曜日の甲斐よしひろの係まで、ご一報を。

 今日は、この辺で・・・それでは、おやすみなさい。

 (サウンドストリートテーマが流れフェードアウト)

 完

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 中学3年生のときに聴いたバンドが、2009年に新しいアルバムを2本出していることに、喜びがあると同時に、元気付けられています。

 甲斐よしひろオフィシャルWEBサイト

 http://www.kaisurf.com/

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑥

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑥

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に肩に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

「昨日のように」の曲が終わる

 え~今夜は「甲斐バンドストーリー」という感じで、甲斐バンドのプロセス、経過を追いながら、いろんな話を使用と思っているんですが・・

 今、聴いていると歌詞がいいねぇ! なんか知らないけど・・・

 『飲みかけのグラスに嘘を数えて暮らす』(甲斐さんが再び机をたたく)。

 これはなかなか他人(ひと)には書けんぞっていう感じで「ざまぁみろ」という感じですが(笑)

 今の僕に書けっていうのもありますが・・・少しありますが・・・え~この時はどうだったんだろうねぇ。

 あのね、この時期、確か~この曲を書き上げたときは阿佐ヶ谷に住んでいたんだよね俺。花籠部屋が近くにあってね・・それでオレンジジュースが非常に好きな人(力士)なのでオレンジジュースを3パックぐらい買って来るわけよ。途中、自分の家に帰ろうとしたらその花籠部屋の力士がね、「まわし」締めて裸でね、アイスキャンデーほおばっててね(笑)・・なんとなくだらしない街でしたが、あの街は。え~、なんかこう・・非常にハードな思い出ってないね、この頃は。

 ただ、東京に馴染もうという意識がものすごくあったね。

 最初、甲斐バンドで、4人で住んだわけです。あの~合宿という感じで。それが高円寺でね。それで、高円寺の「シャンポール南高円寺」というマンションで。下がラーメン屋で。あそこの野菜炒め定食がすごく美味しかったけど・・・。

 この前、秋田に演奏に行ったら、その1階の野菜炒め定食を作ってたタカシという人が会いに来てくれたんだよね(甲斐さん机をポンとたたく)。ただもう・・懐かしい顔でしたが、その人の顔を見て何を思ったかというと「野菜炒め定食、野菜炒め定食美味かったな」という、それだけしかないという、非常に気楽な人間関係を続けておりましたが。

 え~、そうですな。あの~まぁ~本当に今「英雄と悪漢」という2枚目のLPを2曲かけたんですが・・・

 「らいむらいと」というLPは1枚目のLPで。「バス通り」という曲が俺たちのデビュー曲で。

 それでね、あの~初登場が60何位なんだよね。HOT100の40何位、30何位までバーッといったわけよデビュー曲が。だいたい10万枚ぐらい売れているわけよ。シングルが(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 2枚目の「裏切りの街角」が、これがほら、70万枚ぐらい売れているわけよ(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 それであの~、1年間ぐらい売れ続けてね、1年間売れ続けてベスト10に入って、7位ぐらいまで上がったわけよ。

 そうすると、やっぱり、あの・・・出てきたてのバンドとしては、バンドのリーダーとしては、1枚目がスマッシュヒット。2枚目がビッグヒットと。「これはぁ簡単だろう」(甲斐さんが机をポンとたたく)と思うわけよね。「よしっ! 簡単だ!」(甲斐さんが机をポンとたたく)

 パーっと思っちゃったもんね、すぐ。(笑いながら)「世の中簡単!」ほんとにほんとに。(笑)

 それで「かりそめのスイング」を出したわけよ。・・・桂三枝なんか大阪に行った時、もう僕の手を握って「大好きです」っていう感じで・・・仁鶴(笑福亭仁鶴)はいわなかったけど(笑)・・え~それでね、「かりそめのスイング」という曲を出したわけよ、3枚目に。そしたらこれも40何位くらいまでいったわけよ。

 それでね、俺たちは「裏切りの街角」が売れたとき、どう思ったかというと

  「もっとRock(ロック)をやりたい」と思ったわけね。激しいリズムで、なんか本当に自分たちの言いたいことをもっと・・もっと言いたいと。

 それで、最初、甲斐バンドというのは、あの~、松藤がドラムやって2ヶ月目ですぐプロになったり・・・みたいなのがあったりで、やっぱりみんなが技術的にそんなに上手くなかったし・・・大森信和もエレキのリードギターを俺たちのバンドに入って初めて弾いたという感じだったので、技術的にも乏しかったわけね。

 それで結局、その乏しいままデビューして・・・まぁ、それはしょうがないんだけど。

 俺がいわゆるソロのシンガーとして認められて『バンド組みたい』というのがいろいろあったので、それでなんとなくだんだん上手くなろうと・・。

 甲斐バンドがある種みんなに認められるまでには、俺は「2年かかる」とふんでたわけよ。ところが、もう1年目の、しかも半年目でパーッと売れちゃったみたいな・・のがあって、非常にやっぱりみんな慌てたわけよ・・・ね、はっきり言って。それで、まぁ技術の進歩と共に、俺たちのやりたい音楽をどんどんやっていこうという感じでここまできたという感じなんでありますが。

 えぇ~、俺がいろいろ・・まぁ、そのへん「英雄と悪漢」の次に「ガラスの動物園」という3枚目のLPで。この時は、非常に追い詰められて、俺が作ったんだよね。

 1m60cmの彼女と別れたと・・・。その辺の部分で、やっぱり俺は「ガラスの動物園」という、本当に一人の女のためにすべて曲を書き上げた・・・というかなり追い詰められた状況だったんだけども。

 その「ガラスの動物園」という中の曲をかけます。

 「らせん階段」 (曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=vFEOwDbwkCw

 (前回からの続き)

「らせん階段」 (曲が終わる)

 この前もね、松藤(まつふじ)・・っていう、うちのドラマーと話していたんだけど。

 やっぱりね、うちのバンドは、みんなあのすごいレコードが売れた時に「世間は簡単だ」と思っていたみたいなのねやっぱりね(甲斐さん机をポンとたたく)。それは~そう思うと思うよ、俺も思ってたもんね、はっきり。

 やっぱり、だけどあのままずーっと、いわゆる簡単だと・・世間が簡単だと思わなかった部分ね。パーンと一気にちょっと落ち込んだ部分。これは、非常にいろんな意味でものすごく感謝したいと・・誰に感謝したらいいのかわかんないんだけど・・思ってるし。

 ただ、俺たち「ガラスの動物園」を作っている途中、「ガラスの動物園」という(も)のにね、300時間近くかかったのね。1年間ぐらいスタジオに入っていたのね、ずっと。延々と。

 それでね・・俺が曲ができなかったわけよ・・ものすごく。・・そういうのがありましてですなぁ、事情が。

 だからね・・・非常に苦労して作り上げたという思い出がありますね、これはね。

 あの~、ただこの時の・・状態として、俺は自信があるのはね、メンバーが、みんなが、滅入らなかったのね、その状態に。

 別にみんなメンバーは、非常にしたたかだったし、やっぱり・・自分たちの「甲斐バンド」の音楽というものを早く作り上げよう。

 甲斐バンドのサウンドを確立しよう、というみたいな・・・非常にやっぱりあって、なんかやっぱり同じ状態という感じだったし、いろんな意味でも意気込んでいたような気がするんですが・・・。

 え~、この番組、FMになっちまったので、新しく「甲斐よしひろ」という人間とか「甲斐バンド」という人間を、初めて聴いてるという人も沢山いるんじゃないかと思うんですが。

 まぁ、その~、そんな感じなので、俺たちの・・まぁ紹介の部分を兼ねて、まぁ今日、こういう感じでやってるわけです。

 え~、もう1曲「ガラスの動物園」から聴いてもらおうと思ったんですが、あの~LIVEがね、出ているので、それをね、ちょっと聴いてもらいます。

 え~、これはね、「この夜のさよなら」のLPの中に入っている曲なんですが。

 この「この夜にさよなら」というのは4枚目のLPで。そのあとに「サーカス&サーカス」というLIVEが出たわけです。

 え~、そのLIVEから聴いてもらいます。

 これは、あの~、うちの松藤と長岡のコンビで作った名作であります。

 「きんぽうげ」(曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=tfODEWwPYb8&feature=related

 「きんぽうげ」(曲が終わる)

 「きんぽうげ」というタイトルは、俺がつけたんだけど・・中国産の毒気のある花なんですね。え~これを女に例えたと。ホホゥ(笑)

 洒落ているという・・・ちょっと今、ハンバーグの包みを袖にやりましたが(甲斐さん包みをつかみ音を鳴らす)。これがハンバーグです。

 え~(笑)・・えーとですなぁ、あの~・・・この時はね~、これはちょうど今から2年前・・1年半ぐらい? 2年ぐらい前か・・もう週刊誌でばんばん書かれたんですね、この頃は。とにかく、“やかましい”と。これね(きんぽうげのライヴの状況)、ライヴでいわゆる客席の方に向けたマイクを2つぐらい付けてるんだけど、それを完全に切ってこの状態なのね。

 だから、もうもの凄く、いわゆるヒートしてた感じがあるんだけど。

 あの~今はこういう感じで「キャ~」という恐ろしい歓声というのは・・まぁまったく陰を潜めてはいませんが(笑)・・、でもちょっとはね、みんなある種クールになってきた感じがあるんだけど。

 俺はねぇ、ただね・・・あの~、いろんなコンサート行ってて思うのは・・・あの~、。日本人というのは「スタンディングオーベーション」という部分というのは、全く無いわけよ。もう、立ったら前に押しかけるとかね・・・。だから、そういう感じがある!

 だから、会場を貸さないという部分が出てくるわけよ。

 スタンディングオーベーションみたいな部分ね・・いわゆる、ちゃんと座って聴いてて、で・・ある種、こ~体を動かしながら聴いててね、それで・・こ~終わった瞬間、パーッと立って、「うわっ」とスタンディングオーベーションでやって、またみんな、パーッと座るという部分があったら誰も困らないんだよね(甲斐さんがポンと机をたたく)。

 でみ、なんか、みんな、こ~押しかけて、誰か死んだりとかね・・・いう部分。

 まぁ、ただ俺は、みんな「うわ~」ってくる部分ほど夢中になっている、熱狂している部分というのは、誰にも責められないしね・・・。

 俺が、みんなをリードしていかなくちゃいけないということを、ずっと思っているけれども・・・。

 近頃、日増しに頭にくるのは、あの~、テープを投げる奴ね!

 もう俺はねぇ、1週間ぐらい前、ものすごく頭にきたんでんですが・・・あの~テープ投げる奴・・・それでもほとんど少なくなってるんだけれども・・・あれ(テープ)をねぇ、(苦笑)抜かないで・・・あれは、絶対コツけるのが、なんか目当てでやってるんじゃないかと・・・この前、左眼に当たりまして・・あっ右眼か! 右眼に当たりまして!

 それでね・・・僕はもう、ムカッときましてですなぁ・・・。いわゆる、何千人の中の何人かの為に不愉快になる部分が当然出てくるからね・・・。

 テープを投げるのは、止めにしましょう!なんか、あれはよくないですよ!なんか・・いろんな部分困るし、紙吹雪というのも、いわゆる、俺たちの機材がそれで壊されちゃったという部分も、やっぱあるしね。その~、一晩のためだけに、次の街に行っても、いろんな人間が待っているにもかかわらず、(公演が)できないという部分が出てくるので・・・なんか・・・テープはもう止めましょう!・・はい。ロックコンサートにテープはよくないと、俺は非常に近頃思います。

 え~・・・それでは。

 これはぁ~・・あの~・・・一番新しい「誘惑」というLPの中からの曲であります。

 (       )ました「シネマクラブ」 (曲が流れる)

http://www.youtube.com/watch?v=R5f7cVQEH4Q&feature=related

  

 ※次回に続く

 甲斐よしひろオフィシャルWEBサイト

 http://www.kaisurf.com/

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑤

甲斐よしひろの「サウンドストリート」⑤

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に肩に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

「昨日のように」の曲が終わる

 え~今夜は「甲斐バンドストーリー」という感じで、甲斐バンドのプロセス、経過を追いながら、いろんな話を使用と思っているんですが・・

 今、聴いていると歌詞がいいねぇ! なんか知らないけど・・・

 『飲みかけのグラスに嘘を数えて暮らす』(甲斐さんが再び机をたたく)。

 これはなかなか他人(ひと)には書けんぞっていう感じで「ざまぁみろ」という感じですが(笑)

 今の僕に書けっていうのもありますが・・・少しありますが・・・え~この時は同だったんだろうねぇ。

 あのね、この時期、確か~この曲を書き上げたときは阿佐ヶ谷に住んでいたんだよね俺。花籠部屋が近くにあってね・・それでオレンジジュースが非常に好きな人(力士)なのでオレンジジュースを3パックぐらい買って来るわけよ。途中、自分の家に帰ろうとしたらその花籠部屋の力士がね、「まわし」締めて裸でね、アイスキャンデーほおばっててね(笑)・・なんとなくだらしない街でしたが、あの街は。え~、なんかこう・・非常にハードな思い出ってないね、この頃は。

 ただ、東京に馴染もうという意識がものすごくあったね。

 最初、甲斐バンドで、4人で住んだわけです。あの~合宿という感じで。それが高円寺でね。それで、高円寺の「シャンポール南高円寺」というマンションで。下がラーメン屋で。あそこの野菜炒め定食がすごく美味しかったけど・・・。

 この前、秋田に演奏に行ったら、その1階の野菜炒め定食を作ってたタカシという人が会いに来てくれたんだよね(甲斐さん机をポンとたたく)。ただもう・・懐かしい顔でしたが、その人の顔を見て何を思ったかというと「野菜炒め定食、野菜炒め定食美味かったな」という、それだけしかないという、非常に気楽な人間関係を続けておりましたが。

 え~、そうですな。あの~まぁ~本当に今「英雄と悪漢」という2枚目のLPを2曲かけたんですが・・・

 「らいむらいと」というLPは1枚目のLPで。「バス通り」という曲が俺たちのデビュー曲で。

 それでね、あの~初登場が60何位なんだよね。HOT100の40何位、30何位までバーッといったわけよデビュー曲が。だいたい10万枚ぐらい売れているわけよ。シングルが(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 2枚目の「裏切りの街角」が、これがほら、70万枚ぐらい売れているわけよ(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 それであの~、1年間ぐらい売れ続けてね、1年間売れ続けてベスト10に入って、7位ぐらいまで上がったわけよ。

 そうすると、やっぱり、あの・・・出てきたてのバンドとしては、バンドのリーダーとしては、1枚目がスマッシュヒット。2枚目がビッグヒットと。「これはぁ簡単だろう」(甲斐さんが机をポンとたたく)と思うわけよね。「よしっ! 簡単だ!」(甲斐さんが机をポンとたたく)

 パーっと思っちゃったもんね、すぐ。(笑いながら)「世の中簡単!」ほんとにほんとに。(笑)

 それで「かりそめのスイング」を出したわけよ。・・・桂三枝なんか大阪に行った時、もう僕の手を握って「大好きです」っていう感じで・・・仁鶴(笑福亭仁鶴)はいわなかったけど(笑)・・え~それでね、「かりそめのスイング」という曲を出したわけよ、3枚目に。そしたらこれも40何位くらいまでいったわけよ。

 それでね、俺たちは「裏切りの街角」が売れたとき、どう思ったかというと

  「もっとRock(ロック)をやりたい」と思ったわけね。激しいリズムで、なんか本当に自分たちの言いたいことをもっと・・もっと言いたいと。

 それで、最初、甲斐バンドというのは、あの~、松藤がドラムやって2ヶ月目ですぐプロになったり・・・みたいなのがあったりで、やっぱりみんなが技術的にそんなに上手くなかったし・・・大森信和もエレキのリードギターを俺たちのバンドに入って初めて弾いたという感じだったので、技術的にも乏しかったわけね。

 それで結局、その乏しいままデビューして・・・まぁ、それはしょうがないんだけど。

 俺がいわゆるソロのシンガーとして認められて『バンド組みたい』というのがいろいろあったので、それでなんとなくだんだん上手くなろうと・・。

 甲斐バンドがある種みんなに認められるまでには、俺は「2年かかる」とふんでたわけよ。ところが、もう1年目の、しかも半年目でパーッと売れちゃったみたいな・・のがあって、非常にやっぱりみんな慌てたわけよ・・・ね、はっきり言って。それで、まぁ技術の進歩と共に、俺たちのやりたい音楽をどんどんやっていこうという感じでここまできたという感じなんでありますが。

 えぇ~、俺がいろいろ・・まぁ、そのへん「英雄と悪漢」の次に「ガラスの動物園」という3枚目のLPで。この時は、非常に追い詰められて、俺が作ったんだよね。

 1m60cmの彼女と別れたと・・・。その辺の部分で、やっぱり俺は「ガラスの動物園」という、本当に一人の女のためにすべて曲を書き上げた・・・というかなり追い詰められた状況だったんだけども。

 その「ガラスの動物園」という中の曲をかけます。

 「らせん階段」 (曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=vFEOwDbwkCw

 (前回からの続き)

「らせん階段」 (曲が終わる)

 この前もね、松藤(まつふじ)・・っていう、うちのドラマーと話していたんだけど。

 やっぱりね、うちのバンドは、みんなあのすごいレコードが売れた時に「世間は簡単だ」と思っていたみたいなのねやっぱりね(甲斐さん机をポンとたたく)。それは~そう思うと思うよ、俺も思ってたもんね、はっきり。

 やっぱり、だけどあのままずーっと、いわゆる簡単だと・・世間が簡単だと思わなかった部分ね。パーンと一気にちょっと落ち込んだ部分。これは、非常にいろんな意味でものすごく感謝したいと・・誰に感謝したらいいのかわかんないんだけど・・思ってるし。

 ただ、俺たち「ガラスの動物園」を作っている途中、「ガラスの動物園」という(も)のにね、300時間近くかかったのね。1年間ぐらいスタジオに入っていたのね、ずっと。延々と。

 それでね・・俺が曲ができなかったわけよ・・ものすごく。・・そういうのがありましてですなぁ、事情が。

 だからね・・・非常に苦労して作り上げたという思い出がありますね、これはね。

 あの~、ただこの時の・・状態として、俺は自信があるのはね、メンバーが、みんなが、滅入らなかったのね、その状態に。

 別にみんなメンバーは、非常にしたたかだったし、やっぱり・・自分たちの「甲斐バンド」の音楽というものを早く作り上げよう。

 甲斐バンドのサウンドを確立しよう、というみたいな・・・非常にやっぱりあって、なんかやっぱり同じ状態という感じだったし、いろんな意味でも意気込んでいたような気がするんですが・・・。

 え~、この番組、FMになっちまったので、新しく「甲斐よしひろ」という人間とか「甲斐バンド」という人間を、初めて聴いてるという人も沢山いるんじゃないかと思うんですが。

 まぁ、その~、そんな感じなので、俺たちの・・まぁ紹介の部分を兼ねて、まぁ今日、こういう感じでやってるわけです。

 え~、もう1曲「ガラスの動物園」から聴いてもらおうと思ったんですが、あの~LIVEがね、出ているので、それをね、ちょっと聴いてもらいます。

 え~、これはね、「この夜のさよなら」のLPの中に入っている曲なんですが。

 この「この夜にさよなら」というのは4枚目のLPで。そのあとに「サーカス&サーカス」というLIVEが出たわけです。

 え~、そのLIVEから聴いてもらいます。

 これは、あの~、うちの松藤と長岡のコンビで作った名作であります。

 「きんぽうげ」(曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=tfODEWwPYb8&feature=related

 ※次回に続く

 甲斐よしひろオフィシャルWEBサイト

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甲斐よしひろ「サウンドストリート」④

甲斐よしひろ「サウンドストリート」④

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に肩に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

「昨日のように」の曲が終わる

 え~今夜は「甲斐バンドストーリー」という感じで、甲斐バンドのプロセス、経過を追いながら、いろんな話を使用と思っているんですが・・

 今、聴いていると歌詞がいいねぇ! なんか知らないけど・・・

 『飲みかけのグラスに嘘を数えて暮らす』(甲斐さんが再び机をたたく)。

 これはなかなか他人(ひと)には書けんぞっていう感じで「ざまぁみろ」という感じですが(笑)

 今の僕に書けっていうのもありますが・・・少しありますが・・・え~この時は同だったんだろうねぇ。

 あのね、この時期、確か~この曲を書き上げたときは阿佐ヶ谷に住んでいたんだよね俺。花籠部屋が近くにあってね・・それでオレンジジュースが非常に好きな人(力士)なのでオレンジジュースを3パックぐらい買って来るわけよ。途中、自分の家に帰ろうとしたらその花籠部屋の力士がね、「まわし」締めて裸でね、アイスキャンデーほおばっててね(笑)・・なんとなくだらしない街でしたが、あの街は。え~、なんかこう・・非常にハードな思い出ってないね、この頃は。

 ただ、東京に馴染もうという意識がものすごくあったね。

 最初、甲斐バンドで、4人で住んだわけです。あの~合宿という感じで。それが高円寺でね。それで、高円寺の「シャンポール南高円寺」というマンションで。下がラーメン屋で。あそこの野菜炒め定食がすごく美味しかったけど・・・。

 この前、秋田に演奏に行ったら、その1階の野菜炒め定食を作ってたタカシという人が会いに来てくれたんだよね(甲斐さん机をポンとたたく)。ただもう・・懐かしい顔でしたが、その人の顔を見て何を思ったかというと「野菜炒め定食、野菜炒め定食美味かったな」という、それだけしかないという、非常に気楽な人間関係を続けておりましたが。

 え~、そうですな。あの~まぁ~本当に今「英雄と悪漢」という2枚目のLPを2曲かけたんですが・・・

 「らいむらいと」というLPは1枚目のLPで。「バス通り」という曲が俺たちのデビュー曲で。

 それでね、あの~初登場が60何位なんだよね。HOT100の40何位、30何位までバーッといったわけよデビュー曲が。だいたい10万枚ぐらい売れているわけよ。シングルが(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 2枚目の「裏切りの街角」が、これがほら、70万枚ぐらい売れているわけよ(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 それであの~、1年間ぐらい売れ続けてね、1年間売れ続けてベスト10に入って、7位ぐらいまで上がったわけよ。

 そうすると、やっぱり、あの・・・出てきたてのバンドとしては、バンドのリーダーとしては、1枚目がスマッシュヒット。2枚目がビッグヒットと。「これはぁ簡単だろう」(甲斐さんが机をポンとたたく)と思うわけよね。「よしっ! 簡単だ!」(甲斐さんが机をポンとたたく)

 パーっと思っちゃったもんね、すぐ。(笑いながら)「世の中簡単!」ほんとにほんとに。(笑)

 それで「かりそめのスイング」を出したわけよ。・・・桂三枝なんか大阪に行った時、もう僕の手を握って「大好きです」っていう感じで・・・仁鶴(笑福亭仁鶴)はいわなかったけど(笑)・・え~それでね、「かりそめのスイング」という曲を出したわけよ、3枚目に。そしたらこれも40何位くらいまでいったわけよ。

 それでね、俺たちは「裏切りの街角」が売れたとき、どう思ったかというと

 (前回からの続き)

 「もっとRock(ロック)をやりたい」と思ったわけね。激しいリズムで、なんか本当に自分たちの言いたいことをもっと・・もっと言いたいと。

 それで、最初、甲斐バンドというのは、あの~、松藤がドラムやって2ヶ月目ですぐプロになったり・・・みたいなのがあったりで、やっぱりみんなが技術的にそんなに上手くなかったし・・・大森信和もエレキのリードギターを俺たちのバンドに入って初めて弾いたという感じだったので、技術的にも乏しかったわけね。

 それで結局、その乏しいままデビューして・・・まぁ、それはしょうがないんだけど。

 俺がいわゆるソロのシンガーとして認められて『バンド組みたい』というのがいろいろあったので、それでなんとなくだんだん上手くなろうと・・。

 甲斐バンドがある種みんなに認められるまでには、俺は「2年かかる」とふんでたわけよ。ところが、もう1年目の、しかも半年目でパーッと売れちゃったみたいな・・のがあって、非常にやっぱりみんな慌てたわけよ・・・ね、はっきり言って。それで、まぁ技術の進歩と共に、俺たちのやりたい音楽をどんどんやっていこうという感じでここまできたという感じなんでありますが。

 えぇ~、俺がいろいろ・・まぁ、そのへん「英雄と悪漢」の次に「ガラスの動物園」という3枚目のLPで。この時は、非常に追い詰められて、俺が作ったんだよね。

 1m60cmの彼女と別れたと・・・。その辺の部分で、やっぱり俺は「ガラスの動物園」という、本当に一人の女のためにすべて曲を書き上げた・・・というかなり追い詰められた状況だったんだけども。

 その「ガラスの動物園」という中の曲をかけます。

 「らせん階段」 (曲が流れる)

 http://www.youtube.com/watch?v=vFEOwDbwkCw

 ※次回に続く

 2008年12月20日、16時より実施された「甲斐よしひろさんサイン会」。

 まもなく1年を迎えます。今年は甲斐バンドでデビュー35周年の記念ツアーの真っ最中。

 昔はあまりなかったテレビ出演も多くうれしい限りです。

 「最後の夜汽車」(明石家さんまの思い出の曲)と「熱狂(ステージ)」(プロレスラー小橋選手の思い出の曲)をテレビで演奏があったときは感動でした。

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甲斐よしひろの「サウンドストリート」 ③

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に肩に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

終了

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

前回からの続き

「昨日のように」の曲が終わる

 え~今夜は「甲斐バンドストーリー」という感じで、甲斐バンドのプロセス、経過を追いながら、いろんな話を使用と思っているんですが・・

 今、聴いていると歌詞がいいねぇ! なんか知らないけど・・・

 『飲みかけのグラスに嘘を数えて暮らす』(甲斐さんが再び机をたたく)。

 これはなかなか他人(ひと)には書けんぞっていう感じで「ざまぁみろ」という感じですが(笑)

 今の僕に書けっていうのもありますが・・・少しありますが・・・え~この時は同だったんだろうねぇ。

 あのね、この時期、確か~この曲を書き上げたときは阿佐ヶ谷に住んでいたんだよね俺。花籠部屋が近くにあってね・・それでオレンジジュースが非常に好きな人(力士)なのでオレンジジュースを3パックぐらい買って来るわけよ。途中、自分の家に帰ろうとしたらその花籠部屋の力士がね、「まわし」締めて裸でね、アイスキャンデーほおばっててね(笑)・・なんとなくだらしない街でしたが、あの街は。え~、なんかこう・・非常にハードな思い出ってないね、この頃は。

 ただ、東京に馴染もうという意識がものすごくあったね。

 最初、甲斐バンドで、4人で住んだわけです。あの~合宿という感じで。それが高円寺でね。それで、高円寺の「シャンポール南高円寺」というマンションで。下がラーメン屋で。あそこの野菜炒め定食がすごく美味しかったけど・・・。

 この前、秋田に演奏に行ったら、その1階の野菜炒め定食を作ってたタカシという人が会いに来てくれたんだよね(甲斐さん机をポンとたたく)。ただもう・・懐かしい顔でしたが、その人の顔を見て何を思ったかというと「野菜炒め定食、野菜炒め定食美味かったな」という、それだけしかないという、非常に気楽な人間関係を続けておりましたが。

 え~、そうですな。あの~まぁ~本当に今「英雄と悪漢」という2枚目のLPを2曲かけたんですが・・・

 「らいむらいと」というLPは1枚目のLPで。「バス通り」という曲が俺たちのデビュー曲で。

 それでね、あの~初登場が60何位なんだよね。HOT100の40何位、30何位までバーッといったわけよデビュー曲が。だいたい10万枚ぐらい売れているわけよ。シングルが(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 2枚目の「裏切りの街角」が、これがほら、70万枚ぐらい売れているわけよ(甲斐さんが机をポンとたたく)。

 それであの~、1年間ぐらい売れ続けてね、1年間売れ続けてベスト10に入って、7位ぐらいまで上がったわけよ。

 そうすると、やっぱり、あの・・・出てきたてのバンドとしては、バンドのリーダーとしては、1枚目がスマッシュヒット。2枚目がビッグヒットと。「これはぁ簡単だろう」(甲斐さんが机をポンとたたく)と思うわけよね。「よしっ! 簡単だ!」(甲斐さんが机をポンとたたく)

 パーっと思っちゃったもんね、すぐ。(笑いながら)「世の中簡単!」ほんとにほんとに。(笑)

 それで「かりそめのスイング」を出したわけよ。・・・桂三枝なんか大阪に行った時、もう僕の手を握って「大好きです」っていう感じで・・・仁鶴(笑福亭仁鶴)はいわなかったけど(笑)・・え~それでね、「かりそめのスイング」という曲を出したわけよ、3枚目に。そしたらこれも40何位くらいまでいったわけよ。

 それでね、俺たちは「裏切りの街角」が売れたとき、どう思ったかというと

 (次回に続く)

 あと数日で、甲斐さんと握手して1年を迎えようとしています。

 つくづく思いますが、子供のときに夢中になった歌手・グループが、家庭を持ち子供がいるときに、まだ現役で活躍してくれていることが、非常に幸運だなと思います。

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甲斐よしひろの「サウンドストリート」 ②

甲斐よしひろの「サウンドストリート」 ②

「(オープニング曲)

 こんばんは、甲斐よしひろです。今日は「サウンドストリート」2回目という感じではじまってますが、甲斐バンドストーリー・・えぇ今博多弁ぽいかったのでもう1回言い直します。今日は甲斐バンドストーリーで甲斐バンドの変遷について語ろうと思っています。

 甲斐バンドの曲を一辺倒でオンリーで。本当は甲斐バンドストーリーを語る上で甲斐バンドのファーストLPをかけるのが妥当なんだろうけど、甲斐バンドの最初のLPというのは、あれは、甲斐よしひろのアマチュア時代のベストLPというかんじで、本当にそういう意味では甲斐バンドのLPは6枚ライヴを入れて出しているんだけれど、甲斐バンドとして、本当にオリジナリティのあるLPというは2枚めのLPからなんだよね。2枚目のLP「英雄と悪漢」というLPこそが、甲斐バンドというかんじなんだよね。

 今日はその「英雄と悪漢」というLPから聴いてもらおうと思います。

 東京に来て3ヶ月目で、最初は「らいむらいと」という1枚目のLP録音に入ったんだけど、ほとんどがアマチュアのときに作った歌がほとんどで。
 「英雄と悪漢」というは東京に住んで馴染もう、これから一生ここに住んでいこうという感じで非常に方に力が入っていながらも、非常にやっぱり肩に力が入っていながらも、悲壮な感じ、ハングリーな部分がたくさん出ている。それが「英雄と悪漢」というLPなんです。そのなかから曲を聴いてもらいます。
 「東京の冷たい壁にもたれて」 (曲が流れる)

終了

 え~、この曲を作ったのは・・・まぁ・・・彼女が、本当に1m60cmで、今はもうどっか嫁さんになってると思うんだけど・・俺たちはまだ、この辺でちょこちょこしているという感じで(笑)
 え~、なんていうか・・思い出しますなぁ。

 これ(東京の冷たい壁にもたれて)は、非常に好きな曲でありまして、え~、今日は1回目の「サウンドストリート」、先週・・非常になんか・・「甲斐よしひろの音楽のルーツ」っていう感じで、こせこせした感じだったので、今日はゆっくりやろうと思っているわけですが・・・

 「若いこだま」の最終回が非常に大好評でして・・(笑)     
※「若いこだま」最終回:
http://ako.hacca.jp/ss9.htm

 何が大好評だったのかというと・・、俺のあの「最後の嘆きがいい」と(笑) あれはぁ~、なんとなくつまずきながらも終わったと・・・あれが非常に、「サウンドストリートに行くんだ」という「継続性があってすごくいい」という激励のお葉書をたくさんいただきましたっ。はい。・・・くそっ(笑)

 え~(笑)、「英雄と悪漢」という2枚目のアルバムの中からもう1曲聴いてもらいます。

 え~、これも非常に好きな曲ですね。

 「昨日のように」(曲が流れる)

 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND86710/index.html

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