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徳川家康が豊臣家討伐のために造らせた大筒

徳川家康が豊臣家討伐のために造らせた大筒

徳川家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開府したものの、未だに豊臣健の存在が徳川家を脅かす存在だったのだろう。

家康は、およそ10年かけて3000m先の的を仕留める大筒、角度を測るための備品を某職人に造らせて1614年、大坂冬の陣に臨んだ。

多勢に無勢ながら、城のつくりが頑丈なため、攻め落とすには難しかった。

そこで新たに開発した大筒(おそらく100挺以上あったと思われる)を使い、備前島(現在の大坂城北東部)から天守閣をめがけて、砲弾した。

10年かけて作った甲斐があり、砲弾が淀殿の部屋に命中し、側近数人が瞬く間に被弾して倒れたという。

淀殿は目の前で起こったことを機に、家康と和睦することを決めたという。

家康の執念が実ったのである。

この時の大筒が奇跡的に残っており、大阪にある「真田幸村公資料館」に展示されている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140621-00000007-wordleaf-l27

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140512/20140512019.html

Photo

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距離から角度を計算する鉄砲に備え付ける備品の現物

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