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2015年2月

大阪城公園駅

大阪城公園駅         中央区大阪城3

大坂城築城400年祭り開催に合わせて、昭和58年(1983)10月1日、JR(当時は国鉄)大阪環状線の森ノ宮駅と 京橋駅の大阪城公園が開業した。

大阪環状線では唯一この駅のみが地平駅となっている(天王寺駅は上町台地の掘割部分にホームがあるため厳密には地平駅とはいえない。)。

昭和7年に桃谷駅と猫間信号場間が高架化されているが、大阪砲兵工廠(現在の大阪城公園東部、大阪ビジネスパーク、吹田総合車両所森ノ宮支所など)の付近には線路を横断する道路はなく、工廠へ入る側線(廠内鉄道)との兼ね合いもあって高架化されなかった。

なお、高架化されなかった理由に防諜説があるが、砲兵工廠の南端に開業した森ノ宮駅が開業当初から高架駅であることや、昭和17年9月に防諜の観点から大坂城内への一般の立入が禁止されるまで、大坂城天守から工廠内が丸見えであったことを考えると、防諜説はやや無理が生じると考える。

大阪城、大阪ビジネスパーク、大阪城ホール、シアターBRAVAなどの最寄り駅となる。

TSビル

TSビル                    

北区天満3-1-2 

TSビルの設計は安藤忠雄氏である。

ビルのオーナーは、イニシャルをビルの名称にした堺屋太一氏である。

堺屋氏の事務所は六階にある。

堺屋氏は日本の作家(大河ドラマの原作となった『峠の群像』、『秀吉』をはじめとする歴史小説も数多く執筆)・評論家・元通産官僚・経済企画庁長官(第五十五〜五十七代)・元内閣特別顧問として活躍されている。

また、TSビルには、有名なデザイナーである喜多俊之氏のオフィスがある。

喜多氏が手がけたシャープのアクオスは有名である。日本だけでなく、ヨーロッパ、アジアなどで、セミナーやワークショップを開く等、教育活動にも力を入れている。

ライフワークとして、日本の伝統工芸に取り組む他、地場産業を活性化する仕事に関わり続けている。
近年まで喜多氏の「GALLERY anima」がこのビルにあった。

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吉本興業発祥の地

 吉本興業発祥の地  北区天神橋2

創業は明治四十五年(一九一二)、四月一日。始まりは吉本吉兵衛(本名:吉次郎、通称:泰三)・せい夫婦が大阪市北区天神橋にあった「第二文芸館」を買収し、寄席経営を始めた事であった。その後の経緯は、あえて記載しなくても様々なところで取り上げられているので省略したい。さて最初の寄せ経営を始めた場所が次の写真の位置である。

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大塩平八郎ゆかりの書院跡

大塩平八郎ゆかりの書院(白井孝右衛門邸)跡

天保8年(1837)におこった大塩平八郎の乱。

この乱の計画に守口地域から約300名が集まった。大塩平八郎の弟子 白井孝右衛門の邸には大塩平八郎が乱を起こす1年前、しばしば訪れた。

その屋敷は数年前まで残っていたが、現在はマクドナルドになり、石碑のみを残すこととなった。

<2003年に撮影した「大塩平八郎ゆかりの書院(白井孝右衛門邸)跡>

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<現在の「大塩平八郎ゆかりの書院(白井孝右衛門邸)跡>

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続きを読む "大塩平八郎ゆかりの書院跡" »

明智小五郎 誕生の地 江戸川乱歩寓居跡

明智小五郎 誕生の地 江戸川乱歩寓居跡

私が小学生の頃、ワクワクしながら読書した江戸川乱歩作の「明智小五郎」「少年探偵団」「怪人二十面相」。

その名探偵明智小五郎が誕生した(執筆された)場所は大阪府でした。

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坂本龍馬訪問の地 藤井宿

坂本龍馬訪問の地 藤井宿

慶応元年6月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は、西大寺を後にして藤井宿で備前藩士津田彦左衛門・小松源治が訪れ会談しました。内容は明らかではありませんが、中岡慎太郎の日記「海西雑記」に記されているので、重要な話が行われたと推察されます。

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坂本龍馬 宿泊の地 備前西大寺

坂本龍馬 宿泊の地 備前西大寺

慶応元年6月14日(1865年8月5日)、中岡慎太郎の日記「海西雑記」によると備前西大寺に、坂本龍馬と中岡慎太郎が宿泊したと記されています。

幕末の動乱期、禁門の変で長州藩は破れ、賊軍となります。そのとき、幕府側に加勢した薩摩藩は長州藩を一気に滅ぼす意見を西郷吉之助を中心に意見します。しかし、薩摩藩藩主の父である島津久光は、長州藩と手を結ぶべきという考えになっていて、鹿児島から西郷に自粛するよう働きかけます。西郷は、それでも長州征伐を唱えたため、鹿児島に呼び戻されます。

このような時期に、薩摩藩と長州藩以外の藩士や浪士らの志士たちが、薩長同盟を画策し奔走しました。中岡慎太郎は鹿児島に行き西郷を説得させ下関にtれてくる役目を、薩摩藩に苦い思いをさせられた長州藩に薩摩藩と手を握ることが良策であると説得する役割を坂本龍馬が担いました。

慶応元年閏5月、下関において両藩の同盟に向けた会談が持たれることとなり、桂小五郎ら長州藩側は、薩摩藩の西郷喜之助の来訪を待ちました。

しかし、急用ができ上京するという理由で、西郷は下関によらず上京し、下野出木の会談はなくなり、長州藩側は更にさつまはんに苦い思いをさせられることとなりました。そこで坂本龍馬と中岡慎太郎は再度仲介役という任務で、教頭に居る西郷を訪ねる為、下関から京に向かいます。

その途中、天候が悪く海路を断念した両者は、6月14日、西大寺(西大寺観音院)で宿泊をし、翌日には藤井宿に赴きます。

西大寺はJR岡山駅からJR西大寺駅まで赤穂線でおよそ20分のところにあり、岡山市東区に該当します。駅から徒歩15分位のところです。

寺院は立派な建物でした。

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