黒田官兵衛 大坂屋敷跡
黒田官兵衛 大坂屋敷跡
以前、「豊臣期の大坂を歩く」というイベントのガイドを行った際に、参考にした本がある。
櫻井成廣氏の「豊臣秀吉の居城 大阪城編」である。
1970年3月30日初版で日本城郭資料館出版会からの発行である。
現在は、古本で探さねばならないと思われる。
今年の大河ドラマの主人公、黒田如水(官兵衛)について、大阪での史跡は? と問われる。
同書には屋敷がどこにあったかを詳細に記してあった。
他の大名も同様であるが、一時期しか存在しなかったため、地名に残るのはまれであった。
しかし、今はないが大阪城から北東に、当時は島があり、この島を「備前島」と呼ばれた。なぜなら、岡山城を居城にしていた宇喜多秀家の屋敷があったからである。そのほか細川忠興の屋敷があった場所は越中町と呼ばれた。
さて、黒田家である。本のP317~318には次のような記載がある。
「天満川(今の大川)の北方一帯は中島と呼ばれ、其の東南部は天満天神社があるので天満と呼ばれる。そして天満には大坂築城当時から黒田如水の家があった事が黒田家譜に見え、その茶室の図も残っている。(中略)
天満の黒田邸址と覚しい所から二町(約200強)南に、後世東照宮が建てられたが、織田有楽斎長益に邸があったのは其の附近らしく、有楽の掘った花ノ井、菊ノ井、梅ノ井の三井が九昌院附近に在ると摂津名所図会に載っている。」
手がかりとしては「川崎東照宮跡」がどこにあったかが、特定されている(現在の滝川小学校)ため、その場所から北へ200m強行ったところになる。
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