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2014年10月

黒田官兵衛 大坂屋敷跡

黒田官兵衛 大坂屋敷跡

以前、「豊臣期の大坂を歩く」というイベントのガイドを行った際に、参考にした本がある。

櫻井成廣氏の「豊臣秀吉の居城 大阪城編」である。

1970年3月30日初版で日本城郭資料館出版会からの発行である。

現在は、古本で探さねばならないと思われる。

今年の大河ドラマの主人公、黒田如水(官兵衛)について、大阪での史跡は? と問われる。

同書には屋敷がどこにあったかを詳細に記してあった。

他の大名も同様であるが、一時期しか存在しなかったため、地名に残るのはまれであった。

しかし、今はないが大阪城から北東に、当時は島があり、この島を「備前島」と呼ばれた。なぜなら、岡山城を居城にしていた宇喜多秀家の屋敷があったからである。そのほか細川忠興の屋敷があった場所は越中町と呼ばれた。

さて、黒田家である。本のP317~318には次のような記載がある。

「天満川(今の大川)の北方一帯は中島と呼ばれ、其の東南部は天満天神社があるので天満と呼ばれる。そして天満には大坂築城当時から黒田如水の家があった事が黒田家譜に見え、その茶室の図も残っている。(中略)

天満の黒田邸址と覚しい所から二町(約200強)南に、後世東照宮が建てられたが、織田有楽斎長益に邸があったのは其の附近らしく、有楽の掘った花ノ井、菊ノ井、梅ノ井の三井が九昌院附近に在ると摂津名所図会に載っている。」

手がかりとしては「川崎東照宮跡」がどこにあったかが、特定されている(現在の滝川小学校)ため、その場所から北へ200m強行ったところになる。

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西宮砲台

2014年9月28日

大阪あそ歩主催で「幕末:西宮」を実施いたしました。

阪神打出駅→阪神西宮駅 《移動》
・岩倉具視邸遺構「六英堂」(14時からの見学)・長州藩本陣宿営の地(六湛寺跡)・長州藩兵 奇兵隊宿営の地(海清寺)・長州藩兵 整武隊宿営の地(正念寺)・長州藩兵 第二奇兵隊宿営の地(信行寺)・西宮砲台跡・今津砲台跡→阪神甲子園駅→阪神大物駅 《移動》
・残念さん(長州藩士 山本文之助の墓)
解散場所:阪神大物駅周辺

上記のような行程で臨みましたが、うれしい計画倒れで、あとの予定に大きく響きました。

特に、岩倉具視旧邸の見学で20分くらいの予定が、神社の方のご丁寧な計らいにより60分位の滞在。西宮神社だけでこの日の役目を果たしたと思えるような感じでした。

しかし、砲台跡に行きたいという方もおられ、時間がおしているにもかかわらず、続行しました。

西宮砲台では簡単にご案内をするつもりでしたが、何やらにぎわっていました。現場に行くと1年に1回だけ砲台の中を公開しているイベントの日でした。そのようなことは全く知らないで訪れ、公開時間が10分超過していたにもかかわらず、主催者のご厚意により、中を見学させていただくことができました。

私は案内役であったので写真撮影は控えていましたが、それでもここぞとばかり写真を撮影したのですが、ピンボケばかりでした。

かねてよりご厚意にさせていただいている方より写真をご提供いただきました。

西宮砲台は和田岬砲台と外観は同じですが、西宮砲台は火事により中が全焼しているため、和田岬砲台とは違った風景でした。

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