大阪史跡探訪Vol.15を実施
大阪史跡探訪Vol.15を実施
13時00分から~16時40分、中之島、堂島の史跡箇所をご案内いたしました。
本日のサプライズは、「脱藩大名居住跡」でした。
幕末維新期でたくさんの脱藩者がいた中で、藩主の座を捨て脱藩した上総請西藩主 林 忠崇が、明治20年代、大阪府の西区職員として堂島北町に経済的に苦しいながら生活をしていました。「脱藩大名の戊辰戦争/中村彰彦著」をより
林 忠崇の父である林 忠交は、伏見奉行を務めていたが、慶応3年(1867)病死をする。子である忠崇が19歳で藩主となりました。
戊辰戦争が広がる中、慶応4年閏4月、忠崇は、徳川家再考を掲げて藩兵70名を連れて脱藩します。
仙台で降伏。
官軍に反発した諸藩さえ存続(特に會津藩も)したにもかかわらず、
請西藩は全国で唯一お取り潰しとなりました。
明治5年、禁固刑が解け請西に戻って農業を行いました。
その後、東京府に出仕しますが、知事であった楠本正隆(大村藩出身)と折り合いが合わず、辞職します。(明治8年)
その後、各地転々として大阪府に出仕します。明治23年2月26日、旧請西藩の関係者に手紙を送り、「大坂堂嶋北町」に住んでいることを伝えています。
その後、林家の家格再興となり、明治27年3月20日、従五位に叙せられた。
昭和16年、93歳で永眠。
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