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2014年2月

大坂海軍塾跡をはじめとした北浜~本町史跡ツアーのご案内

北浜~本町史跡ツアー

2014年4月5日に北浜~本町の史跡案内を行います。

お申し込みはかきURLへ

http://www.osaka-asobo.jp/course49.html

見どころは、勝海舟の大坂旅宿だった専稱寺跡。

ここは文久3年3月1日から勝海舟が大坂の寓居先と定めました。

その日に偶然、脱藩の罪が許され京都土佐藩邸にて謹慎が解け、晴れて大坂にいる勝海舟のいる専稱寺に訪ねてきたのが坂本龍馬でした。

この年の秋、勝塾は神戸に移転しますが、依然として大坂の旅宿先が専稱寺でした。

元治元年9月11日、勝海舟をぎゃふんと言わせるために乗り込んだ大物が大島吉之助。

昨年の大河ドラマでは、舞台セットが組まれ放映されました。

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そのほか、大阪慶應義塾跡。五代友厚座像。適塾などをご案内します。

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ご都合が合えばぜひご参加ください。

三橋楼跡をはじめとした天満橋~北浜の史跡ツアーのご案内

天満橋~北浜の史跡ツアー

3月23日(日)13時~

http://www.osaka-asobo.jp/course29.html

天満橋から北浜にある史跡巡りを行います。

見どころは、三橋楼跡。大阪市の史跡として顕彰されました。

また、三橋楼移転後に同場所に建った大阪ハリストス正教会の聖堂も、名所として知られています。

大阪ハリストス正教会に現れた人物に新島襄ゆかりの人物、また坂本龍馬の従兄弟に当たる人物、懐徳堂の復興を悲願としていた人物など、これまで紹介していないネタを紹介いたします。

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もう1点は、一昨年、復帰した八軒家の常夜燈。

ぜひ、ご都合の合う方は

上記URLにアクセスしてください。

大阪城クイズ

大阪城クイズ

大阪城クイズを作ってみました。噛めば噛むほど味が出てくるのが

大坂城(大阪城)です。

 

大阪城クイズ

 

 

 

  1. 大坂城の初代城主は?

    . 豊臣秀吉 b.丹羽長秀 c.織田信長 d.徳川家康

  2. 大坂城天守閣を初めて築城した人物は?

    .豊臣秀吉 b.加藤清正 c.徳川家康 d.松平忠明

  3. 大坂城天守閣を2番目に築城した人物は?

    .豊臣秀吉 b.加藤清正 c.徳川家康 d.松平忠明

  4. 江戸幕府が開かれ、一時期、大坂城を中心とした藩が存在した。藩名は?

    .大坂藩 b.摂津藩 c.石山藩 d.上方藩

  5. 設問4の初代藩主は?

    .池田恒興 b.織田信長 c.豊臣秀頼 d.松平忠明

  6. 大坂城が築城される前は寺だった。その宗派は?

    .真言宗 b.浄土真宗 c.日蓮宗 d.浄土宗

  7. 豊臣期・江戸期、明治期以降の大阪城に対して大坂(大阪)城内になかったものは?

    .井戸 b.大奥 c.千畳敷 d.本丸天守閣とは別の天守閣

  8. 豊臣期・江戸期、明治期以降の大阪城に対して大坂(大阪)城内になかったものは?

    .算盤橋 b.英国公使館 c.虎の門 d.陸軍庁舎

  9. 豊臣期・江戸期、明治期以降の大阪城に対して大坂(大阪)城内になかったものは?

    .紀州御殿 b.病院 c.刑務所 d.明治期の天守閣

  10. 豊臣期・江戸期、明治期以降の大阪城に対して大坂(大阪)城内になかったものは?

    .天皇行在所 b.豊公館 c.貯水場 d.富士見櫓

  11. 大坂城主のうち、大坂城内で息を引き取った城主は何人いるか?

    .いない b.1人 c.2人 d.3人

  12. 大坂本願寺(石山本願寺)を含めて大坂城(大阪城)は何回落城した?

    .2回 b.3回 c.4回 d.5回

  13. 現在の大阪城天守閣は昭和6年に竣工した。天守閣の再建は大坂市民の寄付金によるものだった。当初の目標額150万円を半年で達成。この寄付金から大阪城天守閣再建と大阪城公園整備にいくら充てられた?

    .150万円以上 b.150万円 c.90万円 d.60万円

  14. 大坂本願寺または石山本願寺を含む大坂城は複数回落城しているが、一度だけ、天守閣は焼失しなかった。しかし、敵軍に占領された。敵軍とは?

    .織田信長軍 b.連合国進駐軍 c.徳川家光 d.松平忠明

  15. 大阪城内にある「豊國神社」で祀っていない人物とは?

    .豊臣秀長 b.豊臣秀頼 c.淀殿 d.豊臣秀吉

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅲ レポート(番外編)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅲ レポート(番外編)

国立病院機構大阪医療センター(旧 国立大阪病院)

 国立病院機構大阪医療センターがある地で大村益次郎は明治2年11月5日に息を引き取りました。

 大村益次郎を主人公に「花神」という歴史小説を書いた司馬遼太郎氏もこの病院で亡くなっておられます。

 たくさんの著名な方々がこの病院で亡なっておられます。

 豊臣期の話にはまったくそれましたが、案内時に次の紹介をさせていただきました。

 茶川一郎さんの役者魂

 2000年11月9日、肝細胞がんのため国立大阪病院でお亡くなりになりました。

 当時、私が所属していた劇団の公演ならびに公演前の通し稽古にご指導のため足を運んでくださっておられ、面識がありました。

 個人的には初めて茶川さんを知ったのは小学生の頃。

「どてらい男(ヤツ)」というドラマ(主演:西郷輝彦)の脇役で出演されており、そのときに大変印象に残りました。

 同劇団が、初めて放送作家で有名な山路洋平さんの作・演出による作品「うらにし」を公演した際、会場に茶川さんが観に来られていました。

 最後の舞台挨拶のときに山路先生が、「今日はこの会場に、茶川一郎さんがお見えになっておられます。茶川さん!よろしければ舞台までお願いできませんでしょうか」と声をかけられ、最初は遠慮されておられましたが、舞台に上がり講評をいただきました。

 それ以来、同劇団は、毎年、山路先生の作品を公演するようになり、茶川さんは稽古まで足を運んでいただくようになりました。

 同劇団を退団したT氏が、茶川さんの付き人を務める事になりました。

 2000年10月19日、「茶川さん入院」という連絡が入りました。

 その後、T氏の奥さんからの電話で「肝機能障害による大手術で、大量の鮮血輸血が必要! A型の人を探している。A型なら是非駆けつけて!」とわらをもつかむ悲壮な声でした。

 私はたまたまA型だったので、その日の午後11時頃、病院に駆けつけました。

 すると、A型の青年たちが20人くらい(山路先生が産経新聞のコラムにこの1件を書かれていますが、27人だったそうです)すでに駆けつけいていました。

 その日の朝からおこなった大手術は、鮮血提供者により何とか助かりました。

 私は提供できなかったのですが、後日、山路先生にお会いするとすかさず声をかけてくださいました。

「おさ!病院に来てくれたそうやな。ありがとうな。」

 

 さて、後日、T氏から聞いたのですが、茶川さんは1ヶ月公演の前か途中からかご自身の体調が思わしくないことをすでに察知されておられながらも、弱音を一切言わず、本番中は苦しいそぶりも一切見せなかったそうです。

 千秋楽、幕が降りて控え室に戻った茶川さんが

「勝ったぞ! 俺は、俺は勝ったんだ~!」

 その後、入院となりました。

 

 自分自身が苦しいとき、茶川さんの言葉をつい思い出します。

 同時期、私の父も肝臓がんで入院中でした。年内持つかどうかと主治医から聞かされ、覚悟を決めていました。そんななか、父の見舞いに行った病院の待合室にテレビが放映されていて「茶川さん死去」という訃報でした。

 改めてご冥福をお祈りいたします。

 2000年11月12日発行の産経新聞 朝刊(大阪版)をご参照ください。

 

「大坂の史跡探訪 vol.3」

「大坂の史跡探訪 vol.3」

今年、発刊するシリーズものの「大坂の史跡探訪 vol.3」の原稿ができました。

発刊まで大阪龍馬会の編集スタッフにより、ページの校正や写真の配置、地図などを工夫していただき、5月25日の「大阪史跡探訪Vol.16」にあわせて発刊いたします。

史跡案内箇所は下記の写真のとおりです。

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