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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 25

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 25

水戸藩士 高橋多一郎・庄左衛門墓所/四天王寺
     

                                                                             天王寺区四天王寺1

水戸藩士 高橋多一郎は、安政の大獄で藩主 徳川斉昭が蟄居を命じられた際、勅諚を大老 井伊直弼へ強硬に返納を要求したといわれる。
井伊大老による強圧な政治が始まってから、江戸で井伊大老を倒し、大坂で挙兵し、天朝を奉じて幕政改革を行おうとする計画が立てられた。高橋多一郎らは大坂でその準備をすすめた。
安政7年(1860)3月3日、江戸桜田門外にて井伊大老が水戸・薩摩の浪士により暗殺され計画は成功した。
一方、大坂では薩摩藩が呼応せず、20日後、(元号が3月18日に変わる)万延元年(1860)3月23日、計画が幕吏の知るところとなり、生國魂神社前にあった島 男也宅で会合をしているところを高橋らは取り囲まれてしまう。
密儀に参加していた水戸藩士 川崎孫四郎は自刃。水戸藩の支藩である笠間藩士 島 男也(おのや)は捕獲される。
高橋多一郎とその子庄左衛門は、幕吏に囲まれながらも堂々と四天王寺まで歩いた。
しかし、覚悟を決め、四天王寺門前の茶店「春日屋」にて短刀を腹に突き立てた。
驚いた店主は、立ち退きを要求したため、短刀を突き刺したまま更に歩き出した。
四天王寺門内に入り、大黒堂の寺侍 小川欣司兵衛宅の玄関に立ち、事情を話し、切腹する場の提供を要求し受け入れられた。
父子はここで自刃し、次の辞世の句を腹から流れる血で、かたわらの襖に書いたそうである。

2010年(平成22)に「桜田門外の変」という映画のロードショーがあったが、大坂での計画が露見され、幕吏に追われる場面があった。

下記写真は高橋多一郎・庄左衛門父子の逃亡するシーン。

高橋多一郎は生瀬勝久氏が演じた。

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