「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 24
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明治戊辰戦役 東軍戦死者招魂碑/一心寺
天王寺区逢阪2丁目8-69
戊辰戦争で戦死した徳川方の武士の魂を祀るもので、明治31年(1898)6月、在阪の旧幕臣の人たちによって建てられたものです。書は高橋泥舟によるものです。
<高橋泥舟>
天保6年(1835)2月17日- 明治36年(1903)2月13日
「幕末三舟」のうちの一人。旗本山岡正業の次男として生まれ、幼名を謙三郎、後に精一郎。通称 精一。諱は政晃。号を忍歳といい、泥舟は後年の号です。
母方を継いで高橋包承の養子となり、山岡家に婿養子として迎えた小野鉄太郎が、後の山岡鉄舟で、泥舟の義弟にあたります。
勝海舟が、徳川家処分の交渉のため、官軍の西郷隆盛への使者としてまず選んだのは、誠実剛毅な人格を見込んで高橋泥舟でした。
泥舟は慶喜から親身に頼られる存在で、江戸の不安な情勢のもと、主君の側を離れることができないと辞退し、代わりに義弟の山岡鉄舟を推薦しました。鉄舟が見事にこの大役を果たします。
後に徳川家が江戸から静岡に移住するのに従い、地方奉行などを務め、一時田中城を預かります。廃藩置県後は職を辞して東京に隠棲、書画骨董の鑑定などで後半生を送りました。
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