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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 19

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 19

柴田勝家・お市供養墓碑/天鷲寺

                                 天王寺区六万体町3-18


柴田勝家は尾張に生まれ、織田信長の弟信行に仕えるが、織田信長排斥に失敗。のちに謝罪し許されて信長の臣となった。
天正3年(1575)越前北庄城の城主となり、北陸の統治にあたった。
天正10年、本能寺の変が起こる。勝家はその悲報を受け、明智光秀追討に赴こうとしたが、北陸の形勢が不安定なため様子をうかがっていた。
羽柴秀吉に先んじられ、以後、秀吉の名声が高まるにつれて秀吉と対立するようになった。
天正11年、越前にて秀吉討伐の兵を挙げたが、賤ヶ岳の戦に敗れ、居城北庄城で自刃した。お市の方は、織田信長の妹にあたり、永禄10年(1567)、21歳で近江の浅井長政に嫁いだ。長男、万福丸をはじめ、長女茶々(のちの淀君)、二女初、三女小督(のちの徳川秀忠正妻お江与)を生んだ。浅井長政と織田信長の同盟が崩れ、浅井長政は織田信長に敗れる。
お市の方と茶々、初、小督は救助された。
本能寺の変後、羽柴秀吉が清須会議にて織田家後継者を信長の孫、三法師を立て、自身も盛り役として勢力を拡大した。
お市の方は、織田信長の三男信孝の勧めを受け、柴田勝家と再婚。柴田勝家の居城 北ノ庄城が秀吉軍に包囲され落城。柴田勝家とお市の方は自害した。
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福井県にある両者の銅像

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