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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 15

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 15

上島鬼貫墓所/鳳林寺

                                                                     天王寺区六万体町2-10

上島鬼貫は、松尾芭蕉と並ぶ俳人で「東の芭蕉、西の鬼貫」と言われた。
鬼貫は1661年(万治4年)、伊丹の酒造家上島宗次の三男として生まれた。
鬼貫の遠い祖先は武士の名家だったため、武士になりたいと熱望した鬼貫は、諸藩への短期間の武家奉公を繰り返した。
8歳で初めての句「こいこいといへと蛍がとんでゆく」を詠み、13歳で松江維舟(いしゅう)の門に入った。16歳ごろには芭蕉にも影響を与えた西山宗因を尊敬するようになった。25歳ごろ、大坂に移り住む。以後、鬼貫は主に大坂と近郊の福島に住み、一時、京都へも移住した。元禄12年(1699)には伊丹の領主である近衛家から家来分に取り立てられた。
享保9年(1724)3月、大坂で起きた大火災で自宅が焼けてしまい、その年の10月まで伊丹に疎開した。元禄13年1月、長男の永太郎を亡くした。
「土に埋て子の咲花もある事か」と嘆いた。
鬼貫が江戸へ下る際、「富士の姿を詳しく知らせてほしい」と言いつつ、帰りを待たずに没した友人、鸞動(らんどう)の墓前で報告したのが、代表句
「にょっぽりと秋の空なる富士の山」である。
大阪市西区の四ツ橋跡にも彼の句碑が建立されている。

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