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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 13

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 13

戦国武将 蜂須賀小六(正勝)顕彰之碑/吉祥寺
                                                                      天王寺区六万体町1-20

蜂須賀正勝は尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)の出身で、木曽川筋の川並衆(かわなみしゅう)と呼ばれる集団を率い、犬山城主の織田信清、岩倉城主の織田信賢、さらに美濃(岐阜県)の斎藤道三に仕えた後、織田信長に属し、信長から秀吉に与力として付けられ、やがて秀吉の家臣となった。
天正10年(1582)、備中高松城攻めの際に毛利方の使僧安国寺恵瓊と講和交渉をまとめ、城将清水宗治切腹の検使を務めた。
同年の明智光秀との山崎合戦、翌11年の柴田勝家との賤ケ岳合戦など、秀吉の天下取り合戦でも活躍し、同13年四国平定の後にこれまでの功績が賞され、阿波一国を賜った。しかし、正勝はこれを辞し、かわって嫡子家政が拝領することとなった。蜂須賀家は以降、明治維新に至るまで、阿波を領する徳島藩主として続いた。

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