「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 12
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<兵庫県加東市にある赤穂義士の墓/観音寺 加東市家原(いえはら)14-4>
赤穂義士の寺として知られる観音寺(加東市家原)境内の四十七士の菩提所の入口脇に大きな石碑「薦誠碑(せんせいひ)」がある。
この碑文は、弘化4年(1858)、150回忌に合わせて赤穂義士の墓碑が観音寺に建立されたが、家原浅野氏の当主である浅野長祚(ながよし)が書いたものである。
家原浅野氏は、赤穂浅野家の分家(3500石)。
赤穂藩が滅びた後も、家原浅野氏は残り、明治維新まで7代、200年続いた。
加東市家原の観音寺に赤穂義士の墓碑が建てられたのもこうした浅野家の領地だったという経緯がある。
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