「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 10
「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 10
加小説「燃えよ剣」ゆかりの地 料亭 西照庵(さいしょうあん)跡
天王寺区六万体町1-20
「浮瀬(うかむせ)」、「福家席」と並んで大坂を代表する料亭「西照庵」が夕陽丘にあった。
場所は、現在の夕陽丘学園(旧大阪女子学園)のあたりである。
司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」では、土方歳三が口縄坂を上って「西照庵」に行く場面がある。
ただし、小説では「西照庵」を「西昭庵」に変更している。(司馬氏は意図的に「龍馬」を「竜馬」に変更した経緯もある。)
小説では、西昭庵から西に景色を眺めると、五輪塚に「家隆塚」と記載しているのが見える設定になっている。
現実は、西照庵から「家隆塚」のある個所は確認できても、「家隆」と時までもとても見えない。
小説では下記のとおりである。
「森に冠木門があり、粋な軒行燈がかかげられている。西昭庵料亭である。
「へい、ここでございます」と、駕籠かきが駕籠をおろし、相棒のひとりが門からの小径(こみち)を駆けて行った。客が来たことを報らせるつもりであろう。
「ご苦労だった」と歳三は酒代をはずんでやった。(途中省略)
西昭庵では、西側の部屋へ通された。(いい部屋だな)歳三は、すわった。(途中省略)
はるかな眼の下に、浪華の町がひろがっていた。そのむこうは、海。北摂、兵庫の山々が見える。陽がたったいま、赤い雲を残して落ちてゆこうとしている。「大変な夕陽ですな」と歳三も立ち上がった。「だからこのあたりを夕陽ケ丘というのでしょうか」
(新潮文庫「燃えよ剣」下巻 P195より)
« 「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 9 | トップページ | 「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 11 »
「新選組」カテゴリの記事
- 大阪城について 1(2015.06.05)
- 大阪史跡探訪Vol.18 (2015.05.23)
- 三橋楼とハリストス正教会 写真パネル展 開催 (2015.06.03)
- 幕末:祇園・東山(2015.03.18)
- 京都の幕末を歩く Vol.1 を実施します(2014.07.02)
「大坂の史跡紹介」カテゴリの記事
- 川口居留地跡(2017.12.25)
- 2016 春の史跡探訪 その1(2016.03.15)
- 大阪砲兵工廠と大阪城ホール(2015.10.21)
- 大坂の史跡探訪 Vol.4 大坂城(2015.07.15)
- 大阪城について 2(2015.06.06)
「土方歳三」カテゴリの記事
- 大坂の史跡探訪 Vol.4 大坂城(2015.07.15)
- 大阪城について 1(2015.06.05)
- 大阪史跡探訪Vol.18 (2015.05.23)
- 幕末:夕陽丘Vol.2(2014.11.17)
- 京都の幕末を歩く Vol.1 を実施します(2014.07.02)
「司馬遼太郎」カテゴリの記事
- 大坂の史跡探訪 Vol.4 大坂城(2015.07.15)
- 大阪城について 1(2015.06.05)
- 大阪史跡探訪Vol.18 (2015.05.23)
- 司馬遼太郎住居跡 守口(2015.05.13)
- 5月17日 史跡守口宿(2015.04.26)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 9 | トップページ | 「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 11 »
コメント