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「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 14

「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 14

幕末期 関白太政大臣 二條斉敬邸 

紫宸殿の遺構 /鳳林寺                            天王寺区六万体町2-10

本堂は山門とともに幕末期 関白太政大臣だった二條斉敬の紫宸殿(天皇・皇太子の元服など大小各種の儀式や公事(くじ)が行われ、天皇が病気、大極殿(だいごくでん)の焼失などの特別の場合には、即位式が行われる御殿)の遺構である。

鳳林寺の本殿は、昭和20年3月の大空襲により焼失の被害にあった。

昭和34年京都二條家の紫宸殿が本堂として移築された。
文久3年(1863)、二條斉敬が関白太政大臣に就任。
叔父にあたる徳川斉昭(斉昭は万延元年(1860)に死亡)の水戸徳川家が就任の祝いに紫宸殿を建立した。
「関白御殿」「銅駝御殿」とよばれた。二條斉敬の従兄弟にあたる第15代将軍徳川慶喜、會津藩主松平容保、土佐藩 山内容堂などこの御殿を訪れ、政情について会談したと伝えられている。

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