大坂の幕末を歩く 3 ~夕陽丘周辺Vol.2~ 1
「大坂の幕末を歩く 3」~夕陽丘周辺Vol.2~ 1
陸奥宗光の父 伊達宗広隠居(自在庵)跡/稱念寺
天王寺区夕陽丘町5-14
伊達宗広は享和2年(1802)5月25日、紀州藩士の家に生まれた。
紀州藩主 徳川治宝(はるとみ)は宗広の才能を評価し18歳で藩の監察に任命する。
その後、宗広は勘定吟味役、勘定奉行、寺社奉行兼務と昇進して500石取りとなった。家老山中筑後守を補佐して藩政改革を推進する一方で、藩内の尊王論を主導した。
嘉永5年(1852)、山中筑後守、更には藩主 治宝が相次いで病死すると、改革に反対する派閥が推す家老水野忠央が実権を握った。
幕府からの信頼も厚かった水野は、藩内に危険な思想を広めたとして、宗広をは捕え10年近くにわたり紀伊国田辺に幽閉を命じた。
文久元年(1861)、その才能を惜しんだ土佐藩 山内容堂の口利きによって宗広が釈放されると、養子である宗興に家督を譲って隠居した。
翌年、宗興とともに脱藩して上洛、尊皇攘夷運動に参加した。これを知った紀州藩は激怒し、宗広・宗興は和歌山に連れ戻され、再び幽閉の身となった。
明治維新後、実子の陸奥宗光が新政府に出仕。宗光の功績が讃えられ、明治2年(1869)、宗広は幽閉が解かれ、宗興も和歌山藩執政に抜擢された。紀州藩は過酷な措置を行ってきたお詫びとして宗広に隠居料200石を与えた。
宗広はその後歌道に専念し、大阪夕陽丘にある歌人藤原家隆の荒廃していた墓を修理し、付近の土地千百数坪を購入し「自在庵(じざいあん)」を築き、余生を歌道に専念しようとした。
家隆の歌からこの地名を「夕日岡」と創名したのは伊達宗広である。
明治5年(1872)、宗広は病状が悪くなり宗光邸のある東京深川清川町に移り住むことになり、夕陽丘を離れることになった。
移る際、宗広は次のような句を詠んだ。
空蝉の 殻は何處に 朽ちぬとも
我魂やどる かた岡ぞこれ
宗広は明治10年(1877年)5月18日に亡くなり、遺言により夕陽丘に埋葬された。
その後、陸奥家墓所跡に在住する稱念寺により宗広の句碑が建立された。
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