中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 23
大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 23
八軒家船着場 船宿堺屋源兵衛跡
中央区天満橋京町2-22-6付近
八軒家の船宿で東端にあったのが「堺屋源兵衛」。「堺屋源兵衛」は、京都伏見の船宿「寺田屋」(龍馬の定宿で伏見奉行に襲撃を受けた場所)と業務提携していたので、坂本龍馬が利用していた可能性が高いと思われる。
「京橋弐街目」の水帳を基に実測したところ、フロマージュ天満橋店(世界屋チーズ商会株式会社)の東端から東へ26間(約47m)の範囲が船宿堺屋源兵衛の間口となる。
水帳には「内幅弐間(2間=3.6304m)の大道有」と記載がある。敷地内に2間(3.6304m)の道(高倉筋に該当する)を挟んだ店構えと考えられる。
間口が47mあることから、間貸ししていた可能性もある。
下記の絵は八軒家船着場と高倉筋が描かれている貴重な絵であるが、船宿が1軒ではなく数件あったとことを示していると思われる。
安政3年(1856)、東から西へ堺屋、京屋、有田屋、天王寺屋、伏見屋、播磨屋、小川屋、長浜屋という順に船宿が並んでいた。
坂本龍馬が姉の乙女、おやべに宛てた慶応元年9月9日の手紙を紹介する。
『(前文省略)
伏見ニておやしきのそばニ宝来橋と申へんに船やどニて寺田や伊助、又其へんニ京橋有、日野屋孫兵衛と申ものあり。これハはたごやニて候。此両家なれバちょふど私がお国ニて安田順蔵さんのうちニおりよふな、こゝろもちニており候事ニ候て、又あちらよりもおゝいにかわいがりくれ候間、此方へ薩州様西郷伊三郎と御あてのて、品ものニても、手がみニてもおんこし被遣候時ハ、私ニとゞき候。かしこ。』
西郷伊三郎は龍馬の変名。坂本龍馬は、ほかに才谷梅太郎、高坂龍次郎、大浜濤次郎、取巻の抜六、自然堂と変名を使用していた。
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