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中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 21

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 21

勤王僧 月性(げっしょう)寓居跡    中央区島町2-2-19(長光寺)


長光寺の前に「維新史蹟 贈正四位 僧月性 龍護遺跡 長光寺」と記載の石碑が建っている。
月性は文化4年(1817)周防国玖珂郡遠崎にある浄土真宗西本願寺派の光福寺で、僧侶の子として生まれた。早くから京都で僧侶の勉強を始め、そのほか江戸・大坂・長崎など遊学した。25歳に西洋文明に目覚め、自分の活躍の場を京・大坂と決め、叔父にあたる長光寺の住職 龍護を頼って来坂した。
長光寺は八軒家船着場から近く、当時は四階建ての庫裡を有する大きな寺だった。
龍護の紹介と思われるが、来坂後すぐに梅花社を開塾していた篠崎小竹に入門します。
月性が長光寺に居たのはわずか3ヶ月間で、難波橋の南詰にある書店 河内屋吉兵衛方へ転居した。
その後月性は、攘夷論を唱え、海防論を編纂し長州藩福原越後に上申して評価されています。それが縁で、吉田松陰とも親交を重ねることとなった。
在坂中に著した「仏法護国論」が西本願寺第20代法主 広如上人に認められ、京都での逗留が許され、在京の梅田雲浜、梁川星巌らと尊王攘夷運動に奔走した。
安政の大獄以降、郷里の周防に潜伏するが過労のため病死した。月性の果たせなかったことを長州の桂 小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作らに引き継がれていった。
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