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中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 18

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 18

米屋(殿村)平右衛門邸跡         中央区平野町3丁目6-1

江戸時代の大坂の代表的両替商で,屋号は米屋。

幼名平吉、長じて茂兵衛、諱 は茂述、一家を興して米屋平右衛門と称した。
摂津国島下郡(大阪府茨木市)殿村の生まれ。のち大坂に出て、内淡路町米屋弥次右衛門方に奉公、正徳5(1715)年36歳のとき独立して両替商を始めた。
初代米屋平右衛門の没後、享保8(1723)年2代目のとき、諸藩大坂蔵屋敷から江戸藩邸へ送る資金と、江戸商人が大坂商人に送る資金を為替により相殺する江戸為替の方法を案出したと伝えられる。
のち十人両替となり、龍野藩や宇和島藩の蔵屋敷蔵元あるいは掛屋を務め、大坂の大両替商のひとつとなった。
幕末まで8代続き、8代目平右衛門は有力富商として各種御用金を拠出したほか、兵庫商社や明治政府が設立を勧めた大坂通商・為替会社にも鴻池善右衛門家などと共に協力した。
第8代殿村平右衛門は(1833-1874 )幕末-明治時代の商人で慶応3年兵庫が開港した際、商社御用となる。
新政府による会計基立金の募集に対しても鴻池善右衛門らとともに協力した。
明治7年9月14日死去。43歳。名は茂晴。屋号は米屋。参考文献は宮本又次『大阪町人』
米屋平右衛門の別家である米喜(米屋喜兵衛)が米屋の副業で酒を造り始めたのが、享保2年(1717)のこと。
これが酒造製造業である「沢の鶴」の始まりとなる。
米喜の屋根には、※マークの入った城櫓があり、店舗からは※マーク入りの菰(こも)樽が数多く運び出された。
現在は沢の鶴ビル(中央区平野町2-1-2)となっている。

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