明治天皇行幸の地 2
明治天皇行幸の地 2
難盛泉寺(東御坊) 内侍所奉安所跡 守口市浜町1-2-6
盛泉寺は、東本願寺の末寺で、慶長11年(1606)に教如上人が開基したと伝えられます。
たび重なる風水害がありましたが、現在の本堂は、天保6年(1835)に再建されたものです。
ここからすぐ西にある難宗寺(西御坊)に対して、東御坊と呼ばれるようになりました。
大塩平八郎が、内山彦次郎に宛てた長文の書状が、この寺に保存されています。
内山彦次郎は、大坂西町奉行所与力で大塩平八郎や新選組に関連のあつた人物です。
明治天皇大阪行幸(慶応4年3月)の折、この盛泉寺には、三種の
神器を祀る内侍所とされ、本堂前に神殿が建てられました。
この時三種の神器を入れるため、正門の横に重ねて新たに作られた表門は、「塀重門」と呼ばれています。
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