明治天皇行幸の地 1
明治天皇行幸の地 1
難宗寺(西御坊) 明治天皇守口行在所 守口市竜田通1-5-2
難宗寺は、蓮如上人が、文明9年(1477)に創立した守ロ御坊が始まりと伝えられ、慶長16年(1611)に本願寺掛所となり、ここからすぐ東にある盛泉寺(東御坊)に対して、西御坊と呼ばれるようになりました。
場所は、前記の「大塩ゆかりの書院Jからすぐ近くにあります。
慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いで新政府軍が勝利し、幕府軍を追い詰め、勝海舟と西郷隆盛の歴史的会見が行われた頃、明治天皇の大阪行幸がありました。
その際、明治天皇は3月22日、守口で宿泊することになり宿泊先となつたのが難宗寺です。
難宗寺境内には、次頁のように「明治大帝聖跡」という大きな碑があり、「正三位大勲位侯爵松方正義謹書」という文字も確認できます。
また、門の前には案内板や「明治天皇守口行在所」という碑も建つています。
幕末の頃は京大坂間を幕府の閣僚も行き来していましたので、何人かは訪れたと考えられます。
難宗寺には樹齢400年と想定されるイチョウの大木があり、昭和50年、大阪府の指定天然記念物となつています。
今年は、江戸幕府開府400年にあたりますが、なお、生き続けていることを思うと感慨深くなります。
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