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中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 8

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 8

英照皇太后・昭憲皇太后 行啓之所                 

   中央区本町橋2-5(マイドーム大阪)

明治23年(1890)4月、美子皇后陛下(のちの昭憲皇太后)が、明治24年11月に英照皇太后がこの地にあった大阪博物場を行啓された。
(英照皇太后は孝明天皇のお妃、昭憲皇太后は明治天皇のお妃。)
昭憲皇太后行啓の際、木造瓦葺2階建ての聖堂である綿繍堂が新築され、当時の大阪府知事 西村捨三は「神聖である由緒ある建物は、永久に保存すべきである」と「綿繍堂記」に記している。昭憲皇太后は、明治期に女子教育、慈善事業に関心を持たれ、東京女学校への行啓をはじめ、東京慈恵医院や日本赤十字社の発展に貢献された。

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<昭憲皇太后と坂本龍馬>
 昭憲皇太后(当時は皇后陛下)は、坂本龍馬とゆかりがある。
もちろん、二人は会ったことはない。
坂本龍馬が刺客の刃によって倒れてから、38年後の明治37年(1904)、日露戦争が勃発しかけた頃、昭憲皇太后の「霊夢事件」がおこった。
枕元に坂本龍馬が現れ「この度の海戦は、必ず皇国の勝利です。」と言って消えていった。真実味に欠ける話だが、藩閥政治に対して、当時の第三勢力だった土佐藩出身者たちの巻き返しであった策という説が高い。
京都東山霊山にある坂本龍馬の墓の傍らに、「贈正四位 坂本龍馬君忠魂碑」という碑がある。この碑は、明治37年11月、伏見の船宿寺田屋伊助が「霊夢事件」の内容を記し建立した。

下記の写真は、「明治37年紱(ふつ)乙夜(おつよ)之覧 坂本龍馬(ま)傳(でん)艸稿(そうこう)」という史料。
「乙夜之覧」とは、天使がご覧になるという意味であり、皇后に坂本龍馬の写真と伝記が献上された時の献上本である。

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<昭憲皇太后陵>
明治天皇陵の東に昭憲皇太后陵が京都市伏見区にある。
豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡に現在明治天皇陵が設けられた。明治天皇陵へ参拝するには大きな難関がある。230段もある長い石段がある。230段という石段の数の230段には意味がある。23ずつの石段が10に区切られ、それぞれの境は平らになっている。
23段の石段は明治23年を意味し、区切られた10は10月を示す。
さらに、最後の23段と御陵の前にある7段の石段を加えた30段は、30日を示す。これは明治23年10月30日発布の「教育勅語」を意味している。
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