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中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 6

大阪歴史散歩の会 中大江・北大江エリアの史跡探訪レポート 6

土居通夫像            中央区本町橋2-8(大阪商工会議所)

第7代大阪商工会議所会頭を務めたのが土居通夫である。
彼は宇和島藩出身で天保8年(1837)生まれ。同藩の児島惟謙とは剣友の仲だった。
坂本龍馬が宇和島を訪れたという説が残っており、龍馬と土居が剣術の試合を行い、龍馬が3本取って勝利したといわれている。
「土居通夫君伝」に次のような記載がある。
 脱藩した竜馬が宇和島を訪れた。
また、「新編惟謙」には次のような記載がある。
 文久元年(龍馬は)宇和島城下に入り、町会所の二階に止宿して、宇和島藩内の御庭番と剣術の試合、を行う等、画策するところがあった。
(途中省略)

児島惟謙はこの時龍馬と面識を得たといわれる。
龍馬の宇和島来訪は脱藩後ではなく、脱藩する前だった可能性が高い。
土居は、慶応元年(1865)7月18日、宇和島藩を脱藩。
大坂へ出て、心斎橋筋の金貸し屋「高池屋」の手代を務めた。大変な計数家で帳付けから複雑な金利計算までこなしていたといわれる。
剣術の腕もあることから、主人の三郎兵衛が襲われた護衛し力を発揮している。薩摩藩の中井弘と出会い勤王活動を行う。鳥羽伏見の戦いの折には、いち早く大津へ行き、官軍の兵糧確保のために米問屋に手を打ち、大きな功績を上げ、前藩主の伊達宗城に賞賛され脱藩罪が赦免される。
その後、外国事務局大阪運上所に勤務した。
五代友厚の知遇を得て、明治2(1869)年に大阪府権少参事となった。
明治5年、司法省に出仕。兵庫裁判長、大阪上等裁判長、大阪控訴裁判長などを歴任した。井上馨、伊藤博文、大隈重信、大久保利通らと交わり政界で人脈を築いた。
また、五代友厚、住友家、鴻池家ら大阪財界ともつながりを持った。
明治17年4月30日に退官。江戸期に有力両替商だった鴻池善右衛門が明治中期に衰退の一路をたどっている中、土居通夫に顧問になってもらえないかの打診があった。土居通夫は「終身顧問」を務めることになり、鴻池家の危機を救った。功績が讃えられ、明治28年、第7代大阪商工会議所会頭に就任(死亡するまで22年間、会頭職を務めた。)。明治36年、第5回内国勧業博覧会の大阪誘致に尽力し通天閣の建設と博覧会の成功を導いた。
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