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2013年6月

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その6

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その6

6回目のレポートです。

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

心眼寺を後にして、地下鉄で松屋町まで移動し、「練(御屋敷再生複合ショップ)」 を訪れました。

この付近は瓦に適する土があり、瓦の生産地でした。瓦の製造過程で「土練」という過程(採った土を練り上げ土の中にある空気を抜き取る作業)から「練」と名づけられたようです。

瓦職人として有名になった寺島籐右衛門を紹介。

寺島家は、紀州の出身。

豊臣秀吉に認められ豊臣家の御用瓦師になります。

その後、徳川の御用瓦師にもなり、豊臣家の内偵と成ったため、豊臣家滅亡後、広大な土地を請地として得ます。しかしそれは4代も経ってからのことだったようです。

それまでも江戸城の瓦も大坂で焼いて納め、京都禁裏の瓦も請け負うなど徳川家の独占的瓦事業者だったようですが、4代目の寺島籐右衛門の時に広大な土地を与えられます。これを瓦屋藤右衛門請地といいます。以後何代かこの名が続きました。

また、、「練(御屋敷再生複合ショップ)」 の建物は、大正期に建てられた建物。

一説には、神戸の舞子にあった有栖川宮別邸の一部が移築されたものと言われています。複合ショップの2階にあるお店「ありす」でお茶の休憩。

主催者の方が用意された映画「プリンセストヨトミ」のDVDを部分的に鑑賞。

参加者にはエキストラで出演された方もおられ、撮影時のエピソードを聞くことができました。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その5

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その5

遅くなりましたが、5回目のレポートです。

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

旧陸軍真田山墓地を後にして、心眼寺を訪れました。

心眼寺は、元和8年(1622)4月、真田幸村(信繁)とその子 大助の冥福を祈るため、真田幸村が築いた「真田の出丸」と呼ばれる砦の跡地に、白牟和尚によって創建されました。

心眼寺の定紋は真田家の六文銭に定められ、山号は真田山となっています。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その4

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その4

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

遅くなりましたが、4回目のレポートです。

真田山の真田幸村ゆかりの地を後にして、旧陸軍真田山墓地を訪れました。

入り口には未だに「陸軍省管轄地」の石碑が建っています。

ここは、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦で尊い命を国にささげた方々の墓地です。

清国、ドイツの捕虜の墓碑を案内。「俘虜」と刻まれた箇所が現在は削り取られています。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その3

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その3

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

遅くなりましたが、3回目のレポートです。

JR大阪環状線玉造駅から最初の訪問地は山。大阪市内には珍しい山登りです。天保山も有名ですが、こちらは「真田山」。

真田山とは、慶長19年(1615)、大坂冬の陣が起こる前に豊臣側の武将 真田幸村(信繁)が高さ9メートルの半月形の砦を築きました。これを「真田丸」といいます。外周は深さ6~8メートルの堀と柵が設けられました。幸村率いる豊臣軍は、徳川軍の松平忠直、井伊直孝、前田利常、藤堂高虎らを迎え撃ち勝利しています。

次に「真田の抜け穴」

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現在は、柵があり中には入ることができませんが、昔は自由に入ることができたそうです。

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その2

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その2

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

遅くなりましたが、2回目のレポートです。

JR大阪環状線玉造駅の改札出たところ午前10時に集合。

申込者21名がドタキャン無しで21名の方が来られました。

「プリンセストヨトミ舞台地ツアーだよ 全員集合!」

欠席者無しにガイド担当者の私は重圧・・・

皆さん、期待をして来られたのだと推察。

主催者からご挨拶。

そのあと、一言自己紹介。

皆さんの自己紹介を聞いて驚いたのは、大阪府以外からの参加者が多いこと!

京都府、兵庫県(三田市や篠山市を含む)、三重県。

全員の自己紹介が終わり、私の自己紹介。

今回、行うきっかけとなったのは以下のとおり。

OSAKA旅めがねのI氏が担当する「新世界ツアー」に参加した主催者のTさんが、大阪城に詳しい人を紹介してほしいということから、私に連絡がありました。

ご存知のとおり「プリンセストヨトミ」は、私の勤務している某学校法人の小学校を卒業された万城目 学 さんの作品。以前からやってみたいツアーでした。

万城目さんが、6年間通った学校のグランドから見える天守閣が大阪城。

この依頼に対して、絶対満足したいただきたいことから、奥の手、つまり「豊臣期の石垣」が間近で見れる同学院の小学校のある場所をツアーの中に盛り込むことでした。

2012年の某学院の新年会で、見学させていただきたいことを申し込みますと、数分後に(校長先生の承諾が得られ)「いいですよ」との回答をいただきました。

私がその場所を知ったきっかけは、同学院の教職員で、現在はご退職された宮本直和先生のご教示によるものです。

この場を借りまして、宮本先生に感謝申しあげます。

宮本先生の著作「大阪偕行社附属小学校物語」(東洋出版)をお薦いたします。

宮本先生が、私の取材を取り上げてくださった某学院創設者の史跡の写真をアップいたします。

某学院とは追手門学院。

創設者も雲の上で驚嘆されたと思いますが、ご自身が創設された学校が、死後数十年経てから大学が大阪府の茨木市に創設されました。

明治天皇が陸軍の演習を検分された二箇所の地にその石碑が建てられています。

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プリンセストヨトミ舞台地ツアー その1

プリンセストヨトミ舞台地ツアー その1

2012年3月25日。

万城目 学 氏の著作「プリンセストヨトミ」の舞台地を訪ねるツアーを行いました。

主催は関西おとなのえんそく

きっかけは、OSAKA旅めがねのエリアクルーであるIさんよりこの話を紹介いただきました。

大阪城に関わる史跡めぐりのご案内と思っていたところ、依頼内容は「プリンセストヨトミ」の舞台地を巡るツアーとのことでした。

一度はやったみたい内容でしたので、さっそくおおまかなコースを提案したところGOサインをいただきました。

せっかくやるのですから、サプライズを用意せねばとお思い企画したのが、地下に眠る豊臣期の石垣を見学。

偶然が重なり、ご案内できる事が可能になった。

この日にご案内した箇所を今後シリーズ化してアップしていきたいと思います。

三橋楼について

料亭三橋楼

石町で繁盛した料亭三橋楼が、本町橋西詰に移転。

そのような内容を寄稿しました。昨年に寄稿したのですが、まだ、掲示コーナーに貼ってありました。

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酒友龍馬で大阪龍馬会の飲み会

酒友龍馬

5月26日、大阪史跡探訪Vol.14を行いました。

二次会は「酒友龍馬」という居酒屋で初めて訪問。

玄関前には龍馬さんが迎えてくれていました。

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