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「大坂の史跡探訪 Vol.2」
5月26日のイベントに合わせてガイドブックを発刊します。
今回は蔵屋敷跡がメインとなります。小田原藩、伊予大洲藩、姫路藩、備前岡山藩など、蔵屋敷跡としては注目されていない場所も執筆いたしました。
また、忠臣蔵で有名な大石内蔵助寓居跡や新島襄ゆかりの地、新選組ゆかりの地も取り上げています。
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大阪史跡探訪のガイドを行います。
2000年に第1回を担当して、14年目になります。
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大阪龍馬会主催
大阪史跡探訪VOL.14
肥後橋近辺
大阪史跡探訪冊子第三弾発行記念イベントです。
【日時】5月26日(日) 【集合時間】13時集合
【集合場所】大阪市地下鉄 四ツ橋線 肥後橋駅 北改札を出たところ
【解散場所】淀屋橋駅付近
【会費】会費:2300円 会員外2800円(冊子代・講師謝礼・交通費・お茶代を含む)
【案内箇所】
○宇和島藩蔵屋敷跡 ○大洲藩蔵屋敷跡 ○秋月藩蔵屋敷跡 ○福岡藩蔵屋敷跡 ○五代友厚精藍所 西朝陽館跡 ○大村藩蔵屋敷跡 ○桑名藩蔵屋敷跡 ○越後長岡藩蔵屋敷跡 ○尾張藩蔵屋敷跡 ○久留米藩蔵屋敷ゆかりの地「蛸の松」 ○天誅組総裁松本奎堂ゆかりの地「双松岡」塾跡 ○福沢諭吉誕生地/豊前中津藩蔵屋敷跡 ○大阪大倉商業学校跡 ○大阪師範学校跡 ○広島藩蔵屋敷跡 ○久留米藩蔵屋敷跡 ○姫路藩蔵屋敷跡 ○新選組ゆかりの地・常安橋会所跡・家里次郎切腹の地 ○長州萩藩蔵屋敷跡 ○長州藩蔵屋敷ゆかりの地・高野寺 ○大阪基督経青年会館跡 ○大阪教会 ○頼山陽生誕の地 ○梅花女学校発祥の地 ○朝日新聞創刊の地 ○筋違橋跡 ○加嶋屋作兵衛邸跡 ○西横堀川跡 ○平戸藩蔵屋敷跡 ○備前岡山藩蔵屋敷跡 ○外山脩造邸跡 ○肥後橋跡 ○堂島米市場跡 ○国産ビール発祥の地 ○堂島薬師堂 ○蜆川跡銅板標 ○茶屋「河庄」跡 ○新選組ゆかりの地 大坂力士騒動の跡 蜆橋(堂島橋)跡 ○小城藩蔵屋敷跡 ○佐賀藩蔵屋敷跡 ○新選組ゆかりの地 大坂力士騒動跡 鍋島浜 ○船入橋(鍋島橋)跡
土浦藩(土屋相模守)蔵屋敷跡
徳川譜代の常陸(茨城県)土浦藩9万5千石の大坂蔵屋敷がこの地にあった。天保9年(1838)、18代藩主となった土屋寅直(ともなお)は、大坂城代を務め、重責を果たし幕閣からの信任が厚かった。寅直の父である彦直(よしなお)は、水戸徳川家から来た養子で、徳川斉昭とは従兄弟の間柄だった。このことで、幕末維新の時期には水戸家を意識したがため、朝廷と幕府のどちらにつくかの藩論が定まらず、藩が混乱することとなった。
結局、慶応4年(1868)4月に勤王誓書を提出し、新政府に恭順。戊辰戦争では317名の藩兵を出兵させている。
<土浦藩について>
土浦藩の藩領は、現在の茨城県土浦市で石高は9万9千石。藩祖は、下総 布川5千石から土浦藩3万5千石として入封した松平信一(のぶかず)。
その後、藩主となる大名家が松平氏→西尾氏→土屋氏→松平氏と入れ替わったが、貞享4年(1687)、土屋政直が藩主となってからは、明治維新まで土屋家が藩主を務めた。
第17代藩主となる土屋彦直(よしなお)は、水戸徳川家から土屋家に養子として入った人で、幕末期ではこのことが藩の政局に影響を及ぼした。領地は常陸(茨城県土浦市)だけでなく、和泉(大阪府)の一部や下総相馬郡など飛地領があった。
<土浦藩飛び地領について>
大阪府泉南郡岬町は寛永7年(1630)以降幕府領となっており、勘定奉行配下の代官が支配していた。寛文2年(1662)以降は、大坂城代を務めた者の知行地として支配することになった。貞享2年(1685)土浦藩の土屋政直が京都所司代、老中と昇進していき、この地は土浦藩土屋家の飛地領として明治維新まで継続して支配された。岬町には、土浦藩が築いたため池に石碑が建立されるなど、いくつかの史跡が残されている。
<土浦藩飛び地領 勝 海舟宿泊の地
庄官 戸口仙蔵邸跡(戸口家)>
文久3年(1863)4月1日、勝 海舟は大坂から紀州へ向かう途中、ここ多奈川に立ち寄り1泊して阪府泉南郡宿泊先は多奈川の庄官 戸口仙蔵邸。
筆者(長谷)が、平成12年(2000)と平成19年、2回、戸口家を訪れて家に伝わる話を聞くことができた。当時の戸口家は、門前まで海に入り組んだ小湊になっており、小舟で屋敷に入ることができたそうである。
現在の建物は大正期に建て替えられたものだそうで当時の面影はないが、庭にある井戸は当時から残っているとのこと。
庭は当時、お白州の場だったそうである。戸口仙蔵は、海舟日記にも記載されているが、この地域(土浦藩領)で庄官を務めていた。
文久3年(1863)、近くの淡輪(たんのわ)陣屋で「大砲御筒凌」という砲術の訓練があり谷川村から戸口仙蔵の弟が参加したという記録がある。勝海舟が宿泊した際、戸口仙蔵は海舟の目にとまり、「江戸に来ないか(あるいは一緒に来ないか)」と誘われたと戸口家では言い伝えられている。戸口仙蔵はその話を辞退するが、子の亀太郎【その後通(とおる)に改名】は同行したかったようである。
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