徳川期の大坂城天守閣跡 / 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(19)
豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(19)
徳川期の大坂城天守閣跡
元和6年(1620)1月、第2代将軍 徳川秀忠の命により、65家の外様大名を中心に、大坂城の再建が進められた。
およそ10年間の工事を経て、寛永6年(1629)に完成。現在の大阪城天守閣の位置に建てられた。
石垣や堀の深さは、豊臣期のものより規模が2倍大きいものだった。
豊臣期の天守閣の高さが約39mだったのに対し、新しい天守閣の高さは約58mだった。
寛永6年(1629)の完成からわずか36年後の、寛文5年(1665)1月、珍しい冬の落雷により天守閣は焼失し、昭和6年まで大坂城には天守閣はなかった。
最初に天守閣が築かれて今日いたるまで、412年間のうち天守閣が存在した期間は、わずか150年足らずである。残りの260年は大坂城に天守閣が存在しなかったことになる。
豊臣期の大坂城天守閣は1585-1615(30年)
徳川期の大坂城天守閣は1629-1665(36年)
現在の大阪城天守閣は1931~(81年~)
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