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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(14) 豊國神社(ほうこくじんじゃ)・豊臣秀吉像

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(14)

豊國神社(ほうこくじんじゃ)・豊臣秀吉像

 豊國神社の祭神は豊臣秀吉、秀頼、秀長。

 秀吉の死後、豊国神社が創建され、朝廷から「豊国大明神」の神号と正一位が贈られた。

 大坂夏の陣後、家康が社領を没収し、社殿の修理を一切禁じたため、豊国神社は衰退していった。

 明治になり征夷大将軍にならなかった秀吉に好意を持つ明治天皇は、神社の再建が命じられた。

 明治12年(1879)、大阪の中之島に別社が建てられ、昭和36年(1961)大阪城内に移された。

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 明治36年(1903)3月、神社境内に豊臣秀吉の銅像が建てられたが、太平洋戦争の折、供出のため姿を消したままになっていたが、平成19年(2007)4月17日、祭神の一人である豊臣秀吉公を祀る豊國神社境内に豊臣秀吉の銅像が復元され、その除幕式が開かれた。

 時代考証なども踏まえて、日本芸術院会員で五代友厚像などの作品で知られる中村晋也氏により建立された。

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