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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(13)  石山本願寺跡(推定地)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(13)

石山本願寺跡(推定地)

 大坂城の前身が石山本願寺。石山本願寺は明応五年(1496)、本願寺8代目法主 蓮如が82歳のとき、石山御坊という隠居寺を建てたのが始まり。

 山科本願寺焼き討ち事件の後、本坊が徐々にここへ移されることになり、城郭の造りを形成し、石山本願寺と呼ばれるようになった。

 このあたりに巨石がたくさんあったことから「石山」と命名。11代目法主 顕如の時、織田信長から「石山本願寺の明け渡し」を要求され、信長に抵抗し開戦。

 元亀元年(1570)より10年間に及ぶ石山合戦が起こり、天正8年(1580)3月1日、正親町天皇からの勅使3名が石山本願寺を訪れ講和を勧告。

 顕如は承諾。明け渡し時に出火し御坊は全焼した。

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