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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(6) 難波宮跡の遺跡

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(6)

難波宮跡の遺跡  大阪歴史博物館~中央区法円坂1-6

 大化の改新の難波遷都にともなって造営された孝徳天皇の朝廷の遺構(前期という)。
また、726年、聖武天皇が藤原宇合(ウマアイ)に任じて造営させた(後期という)遺跡がある。

 昭和28年(1953)大阪城外堀の南付近から鴟尾(しび)が発見された。

 このことがきっかけになり、山根徳太郎氏を指導者とする難波宮址顕彰会の努力により発掘・調査が進み、難波宮の遺構が次第に明らかになった。

 昭和29年(1954)、幻の都といわれてきた宮殿跡の発掘調査が、この地で本格的に開始。およそ半世紀にわたる調査や研究の結果、2時期の宮殿の遺跡が発掘された。

 <前期 難波宮>
 大化元年(645)におこった「大化の改新」以降、難波遷都を行った孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮(ナニワナガラトヨサキノミヤ)」にあたると考えられている。

 第36代の天皇である孝徳天皇から「天皇」と称され、それ以前は「大王(おおきみ)」と言われていた。

 唐の都長安を模して造営された日本初の宮殿に該当する。内裏や朝堂院が設けられ、西北部、つまり現在の大阪歴史博物館やNHKの場所あたりに「倉庫群」が設けられていた。

 日本書紀には「難波大蔵」(昔、「大蔵省」がありましたが由来はここからきている)と記載されている。

 また、宮殿造営前の5世紀後半に作られた倉庫(高床式倉庫)が16棟以上あったことも判明。

 規模は奈良の正倉院よりも大きいものだった。大阪歴史博物館の南に復元された「高床式倉庫」を見ることができる。

 <後期 難波宮>
 神亀3年(726)、聖武天皇によって造営が開始された「難波宮」。場所は前期とほぼ同じ。

 【5世紀後半の倉庫群】

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【大阪歴史博物館に見られる遺跡】

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