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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(12) 徳川家康築城の天守跡 ~大坂城に2つの天守閣が並び立つ~ 西の丸

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.Ⅱ レポート(12)

徳川家康築城の天守跡 ~大坂城に2つの天守閣が並び立つ~ 西の丸

 豊臣秀吉の死後、勢力を拡大してきた徳川家康は、慶長4年(1599)9月9日、豊臣秀頼に対し、重陽の節句のお祝いのため伏見から大坂城に入城する。

 この頃、北の政所(秀吉の正妻)は西の丸に居を移していたが、家康の来坂直後、西の丸を家康に明け渡し、京都の高台寺に移り住んだ。

 家康は節句の祝いが済んでも伏見に帰らず、西の丸に居座った。

 慶長5年(1600)2月から3月にかけて、家康は西の丸に天守閣の築城工事を開始。

 家康が2つ目の天守に居座ることで、豊臣の勢力と互角であることを天下に知らしめることを狙ったのではないかと思われる。

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 重要文化財に指定されている「大坂夏の陣図屏風」(大阪城天守閣蔵)に2つの天守が建っていた様子が描かれている。

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