豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12)
豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12)
大阪銀座跡 -大阪にも銀座があった!-
高麗橋(東海道57次の起点)から徒歩2分の場所に「大阪銀座」が幕末期まで存在していました。銀座といえば東京をイメージしがちですが、大阪にもありました。
ガイドをした際、坂本龍馬の「銀座移転論」をご紹介しました。
坂本龍馬が後藤象二郎にあてた手紙は下記のとおりです。
龍馬は「大政奉還」が駄目だった場合の次の策を後藤象二郎に指示していました。
去ル頃御建言書ニ国躰を一定し政度ヲ一新シ云々の御論被行候時ハ、先ヅ将軍職云云の御論は兼而も承り候。此余幕中の人情に不被行もの一ケ条在之候。其儀は江戸の銀座を京師ニうつし候事なり。此一ケ条さへ行被候得バ、かへりて将軍職は其まゝにても、名ありて実なけれバ恐るゝにたらずと奉存候。此所に能ゝ眼を御そゝぎ被成、不行と御見とめ被成候時は、義論中ニ於て何か証とすべき事を御認被成、けして破談とはならざるうち御国より兵をめし、御自身は早々御引取老候様に御報じ可然奉存候。破談とならざる内ニ云云は、兵を用御座候。
謹言
十月
楳 拝首
後藤先生
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