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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(6)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(6)

大阪慶應義塾跡  中央区北浜2-5-23(小寺プラザビル) 緒方洪庵の適塾で塾頭を経験した福澤諭吉は、幕命により江戸へ出仕することになり、江戸築地鉄砲州の中津藩中屋敷にて蘭学塾を開いた。この塾が「慶應義塾」に発展する。慶応4年(1868)、塾名を慶應義塾と変更。全国各地からの入塾者が多くなり、諭吉の生誕の地でもあり学問を学んだ適塾がある地でもある大阪に「大阪慶應義塾」を開塾した。
「大阪慶應義塾」は明治6年(1873)11月1日、安堂寺橋通3丁目192番地の丸屋善藏の控えの家で開塾した。「丸屋」は後の「丸善」です。書店として開業したのは明治元年(1868)でした。明治7年6月に「丸屋」から小寺篤兵衛宅(現:北浜2-5-23)に移転した。創立150周年にあたる平成21年(2009)に大坂慶応義塾跡の石碑が建立された。

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