豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(3)
豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(3)
大阪市中央公会堂 株仲買人 岩本榮之助(1877-1916)が大阪市に私財100万円の寄付によって大正7年(1918)に建てられた
(当時の100万円は現在の貨幣価値で30億円を超える)。
※大阪城天守閣復元費用47万円
岩本榮之助は、30歳で相場師として成功し、「商いで儲けさせてもらったのも人様のおかげ。大阪の街にみんなが楽しめる公共の場を作りたい」という思いで私財を寄贈した。公会堂建設中に、岩本は第一次世界大戦の影響で相場の深みにはまり大損害を被った。
当時の市長が、寄付金の返還を申し出たが、岩本は頑なに固辞し、公会堂の完成を見ないまま大正5年(1916)に自ら命を絶った。
享年39歳。その岩本榮之助の遺品が、中央公会堂の地下1階に展示されている。日本銀行大阪支店を設計した辰野金吾が、設計に関し相談を受け懸賞設計方式を採った。
地下1階、地上3階、2000名収容の大集会場、500名が一度に会食ができるホールが建てられた。市民の集会場として親しまれ、時にはロシア歌劇団の公演、ヘレン・ケラー(アメリカの盲(もう)聾唖(ろうあ)の著述家、社会福祉事業家)の講演会などが行われた。ここ何年間か改修工事をし、大阪を代表する建物として赤レンガの公会堂が甦った。
<ミネルヴァ・メルクリウス像> 昭和18年(1943)、公会堂に2つの像がある。商工業の町にふさわしくローマ神話の知恵と工芸の神「ミネルヴァ」と商売の神「メルクリウス」の像がある。一時戦争で供出されたが、平成14年(2002)8月に復元された。
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