OSAYAN情報

フォト
無料ブログはココログ

« 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(10) | トップページ | 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12) »

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(11)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(11)

高麗橋

橋の名の由来は、古代に朝鮮半島諸国の使節を迎えた「高麗館(こまのむろつみ)」があったからという説と、豊臣秀吉の大坂町割りの際、この辺に朝鮮との交易の拠点があったという説など多数ある。
大坂冬の陣・夏の陣では、高麗橋をめぐる攻防戦は熾烈をきわめ、元和元年に大坂城が落城した時、この高麗橋の擬宝珠を徳川方の安藤右京進重長が持ちかえり、長く安藤家で所持していた。その後、大磯の吉田茂元首相邸に保管されていることが明らかになり、関係者と遺族の手によって、再び大阪に戻ってきた(1969年)。

Pict8390 Dsc002961 Dsc00355

« 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(10) | トップページ | 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12) »

大坂の史跡紹介」カテゴリの記事

e-よこ会(東横堀川水辺再生協議会)」カテゴリの記事

豊臣期の大坂を歩く」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(11):

« 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(10) | トップページ | 豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(12) »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

osayan

  • osayan: osayanのアルバム http://www.voiceblog.jp/y-osayan/

最近のトラックバック

カテゴリー

microad