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豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート(1)

豊臣期の大坂を歩く 夏の陣vol.1 レポート

・木村長門守重成表忠碑 明治29年(1896)、大阪府知 西村捨三と侠客 小林佐兵衛によって建立。木村重成は、豊臣家の家臣としてよく働いた有名な武将。元和元年(161556日、大坂夏の陣により徳川家康と奮闘したが、河内若江の堤で討死。

 この石碑の石は、豊臣秀吉による大坂城築城の際、はるばる運んできた石で、安治川に沈んでいたのを小林佐兵衛が引き上げて寄付したもの。この時期、歌舞伎役者 市川新蔵が十代目市川団十郎を引き継ぐ間際に「眼疾」に犯され再起が心配される中、今生の思い出に「木村重成」を演じたいと申し出た。その願いが聞き入れられ見事に演じきっ た。

 その芝居を観に来ていた大阪府知事の西村捨三が感動し、建碑運動を起こし実現した。

<西村捨三> 6代大阪府知事。西村捨三は、天保14年(18437月 彦根藩作事奉行西村又次郎の三男として生まれた。明治22年(1889)、大阪府知事(大阪港の開港には永年尽力している)に就任。同24年(1891)から農商務次官等々を歴任。明治41年(1908114日に郷里彦根で逝去、享年66歳。従三位勲二等瑞宝章を賜る。大阪築港事務所初代所長の功績をたたえるため、昭和32年(1957)天保山公園(大阪市港区築港3)に銅像が建立された。

<小林左兵衛> 天保元年(1830)に生まれた。任侠の道に入ったが、明治6年(1873)、大阪消防「北大組」の請負人となり、300人の若い者を束ねて活躍する。

堂島の米市場の「差米」と市中各橋の掃除を仕切り収入を得ていたが、その収入で老人や幼児を引き取り世話をしていた。明治16年(1883)頃から大阪初の感化院を設立する池上雪枝に協力し、非行の少年少女の更生に尽力した。その後、「小林授産所」を設け、孤児や捨て子を養育した。

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