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2011年12月

今年のベスト3 第1位 大坂の史跡探訪 第1弾 ~龍馬の足跡~完成

大阪史跡探訪本発刊

第1弾 ~龍馬の足跡~ 

大阪史跡探訪Vol.11 イベントテキストに使用 (2011.5.22)

2011年5月22日13時。長堀駅に30名を超える参加者をお迎えし、大阪史跡探訪Vol.11がスタートしました。

受付で「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」の製本されたテキストが皆さんに配付されました。いつもと違う感覚でした。不覚にも事前に送っていただおていたテキスト冊子を家に忘れてきたことに気づき、あわてて購入。

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参加者31名の受付が終わり、大阪市立図書館前で、挨拶とコースの概要を説明。

①最初は、とっておきのサプライズ。

同図書館に保管されている水帳の閲覧。

水帳とは何かを資料を使って説明。3グループに分けて図書館別室にて閲覧。

○「北鍋屋町水帳」

 勝 海舟寓居跡、大坂海軍塾、坂本龍馬が学んだ場所、勝 海舟・西郷吉之助初会見の場所である専稱寺の掲載されている箇所を紹介。

○「京橋弐街目」

 八軒家船宿。伏見の寺田屋と業務提携を結んでいた「堺屋源兵衛」と新選組常宿・お龍訪問の地「京屋忠兵衛」が掲載されている箇所を確認。特に「堺屋源兵衛」に記載されている「そのうち二間大道あり」も確認いただく。(この大道は高倉筋を指す)

 ※貴重な史料だけに手を震わせながら頁や貼り付け紙をめくりました。

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②土佐藩蔵屋敷跡

図書館の場所も土佐藩蔵屋敷跡に該当することを説明し、土佐稲荷神社に向かう。

そこでも十分時間をかけて史跡めぐり。

○加藤高明(内閣総理大臣 岩崎彌太郎の娘婿)の寄進した常夜燈。

○慶応三年十一月十五日に献納された常夜燈と寄進者について

 謎めいた常夜燈です。特に寄進した常夜燈は「○○年」か「○○年○月」しか示されていないのですが、これだけは龍馬暗殺の日に該当する日付まで記されていることです。近年では土佐藩の重役が寄進されていると唱えている方もおられ、追及していこうと思っています。

○土佐藩第8代藩主山内豊敷寄進の常夜燈

 この常夜燈には山内家の家紋が入っているので貴重な常夜燈です。

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○堺事件について

 堺事件の概要を説明。この境内でおみくじにより切腹者が選ばれたことを強調。

○赤穂藩勤王党など小さな藩の勤王の志士が潜伏していたことを説明。

 姫路藩の藩士で勤王派だった河合惣兵衛が捕らえられたのも土佐藩邸。

 それは参加者にそのご子孫の方がおられ、現場で教わり皆さんに披露。

○岩崎彌太郎舊邸跡

 石碑が移動しているが、実際の邸跡を説明。

 岩崎彌太郎と三菱について説明。

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○「竜馬がゆく」誕生の地

 司馬遼太郎さんが小説「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」を執筆された旧居をご案内。

 「竜馬がゆく」を読み、龍馬ファンになった方も多いことでしょう。

今年のBEST3 第2位 私の執筆した原稿が本になりました。

上町学 再発見・古都おおさか

 2009年9月15日、「陸奥一族とゆかりの絶景」というタイトルで執筆した内容が産経新聞夕刊で掲載されたのは随分昔のような気がします。

 東京出張の帰り新幹線の中で、多くの友人から携帯にメールが入りました。「おさやん! 新聞に載ってたよ!」

 新大阪に着いて真っ先に売店に新聞を買い、確かめたのを覚えています。体調は絶不調のときでしたが・・・

 学校法人追手門学院が取り組んでいた「上町学プロジェクト」。数多くの方々が執筆され、毎週火曜日の産経新聞夕刊に連載されていたものが今回「本」となって出版に至りました。

 私が書いた頃の「陸奥家墓所跡」は殆んどの方に知られず見過ごされる場所でしたが、昨年、O野さんが石碑と銘板を寄贈され、少しずつ知られるようになって来ました。

 この本には、お世話になっている職場の理事長をはじめ執行部・教授・職員の諸先輩が執筆されていて、それぞれの観点で書かれているところがおもしろいところです。

 そればかりか、私事でお世話になっている山根さんの執筆も掲載されています。

 発売:産経新聞出版 2000円

 発行:学校法人追手門学院

 「IMG.pdf」をダウンロード

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大阪南部史跡探訪Vol.2 その5

大阪南部史跡探訪Vol.2 その5

平成21年(2009)10月25日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪南部史跡探訪Vol.2」(参加者16名)を何回かに分けてアップいたします。

5回目は

・旧紀州街道

・旧新川家住宅

・吉田松陰宿泊の地 塩屋甚兵衛邸跡(久住清子邸)

・儒者 相馬九方住墓所(海渓寺)

・岸和田城

 幕末の岸和田藩

 岸和田だんじり祭り

・岸和田藩主岡部家御茶屋跡 五風荘

・岸城神社

・岸和田藩武家屋敷跡

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.2-2009-10-25-5.pdf」をダウンロード

「vol.2-2009-10-25-6.pdf」をダウンロード

今年のベスト3 番外編 e-よこ会主催の講演会

「東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期」講演

今年も「e-よこ会(東横堀川水辺再生協議会)」にお世話になることになりました。

日時:2011年6月4日(土) :13:30~16:30

テーマ:「東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期」

    坂本龍馬・新選組・天誅事件・大阪会議など、幕末期~明治期の東横堀川

  ・三休橋筋界隈ゆかりの人物・事件をご紹介いたします。

   特にあまり知られていない三休橋筋にあった専稱寺で行われた「勝 海舟

  ・西郷隆盛 初めての会談跡」を詳しく紹介します。

場所:日本基督教団浪花教会

参加費:500円

e-よこ会 東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期 講演を終えて

6月4日(土)大阪市中央区高麗橋2-6-2にある「浪花教会」において「東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期」というテーマで講演を行いました。

「e-よこ会」でのHPで講演内容をアップされました。

詳細はこちらです。

e-よこ会 東横堀川・三休橋筋界隈の幕末期・明治期③

講演会では伝えたかったことがすべて消化できませんでした。

「大阪会議」「大坂海軍塾」の大きな柱に、さまざまな横道・脱線。

次回からは欲張らず、優先順位の高いものから消化しようと思いました。

複数の方から写真を頂戴しましたので、披露したいと思います。

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今年のベスト3 3位 大坂の幕末を歩く

「大坂の幕末を歩く」を3コースでオーダーをあわせて10回開催しました。

毎回、私と奥野さんが新しいネタを披露し、毎回変化があるコース案内となり、ほぼ定員15名で実施する事ができました。

1.幕末 天満

 天満橋-現八軒家船着場-八軒家船着場跡石碑-三橋楼跡(大久保利通祝宴の地、木戸孝允主催囲碁の会開催地、大久保利通・木戸孝允会談の地)-坂本龍馬ゆかりに船宿堺屋源兵衛跡-新選組定宿京屋忠兵衛跡-紀州藩蔵屋敷跡--内山彦次郎暗殺の地-大阪銀座跡-高麗橋-山南敬助奮闘の地岩城升屋跡-平野屋五兵衛邸跡-大阪会議開催地花外楼-築地蟹島料亭跡(河井継之助宿泊の地竹式楼跡、清河八郎宿泊の地瓢箪屋跡)-大阪会議開催地専崎楼跡-池内大学暗殺の地-五代友厚像-北浜

詳細はこちら

2.幕末 北浜

 北浜-五代友厚像-鴻池屋邸宅跡-大阪慶應義塾跡-彦根藩蔵屋敷跡-盛岡藩蔵屋敷跡-新選組吉村貫一郎終焉の地-緒方洪庵像-適塾-愛珠幼稚園-銅座跡-除痘館跡-勤王僧月照生誕の地-勝 海舟寓居(専稱寺)跡-坂本龍馬訪問の地-大坂海軍塾跡-勝 海舟・西郷吉之助初会見の地-近藤長次郎挙式跡-楢崎龍武勇伝-北御堂-本町

詳細はこちら

案内の様子はこちら

3.幕末 夕陽丘

 松屋町-新選組ゆかりの地 ぜんざい屋事件跡-大利鼎吉終焉の地-土浦藩蔵屋敷跡-蘭医ボードウィン寓居跡-薩摩屋半兵衛墓所-坂本龍馬潜伏の地-英国公使ハリーパークス宿泊の地-アーネストサトウ宿泊の地-小松帯刀・西郷吉之助訪問の地-伊庭八郎宿泊の地-真言坂-天満八軒家船着場の常夜燈-井原西鶴像-水戸藩士川崎孫四郎自刃の地(桜田門外の大坂編)-土佐藩士(武市半平太の甥島村寿太郎ほか)墓所-源聖寺坂-新選組大坂旅宿跡-口縄坂-司馬遼太郎「燃えよ剣」舞台地-織田作之助文学碑-夕陽丘創名の地碑-陸奥宗光ほか陸奥家墓所跡-小松帯刀墓所跡-四天王寺夕陽丘

詳細はこちら

大阪南部史跡探訪Vol.2 その4

大阪南部史跡探訪Vol.2 その4

平成21年(2009)10月25日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪南部史跡探訪Vol.2」(参加者16名)を何回かに分けてアップいたします。

4回目は

・力自慢の石

・旧新川家住宅

・勝 海舟、頼 山陽訪問の地 岸 琴泉(長五郎)邸跡

・岸 琴泉 墓所 (正覚寺)

・儒者 相馬九方住居跡

・吉田松陰訪問の地 岸和田藩講習館跡

・岸和田城下の欄干橋

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.2-2009-10-25-4.pdf」をダウンロード

大阪南部史跡探訪Vol.2 その3

大阪南部史跡探訪Vol.2 その3

平成21年(2009)10月25日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪南部史跡探訪Vol.2」(参加者16名)を何回かに分けてアップいたします。

3回目は

・唐金家邸跡

・食野家墓所

・食野家邸跡

・いろは蔵

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.2-2009-10-25-3.pdf」をダウンロード

大阪南部史跡探訪Vol.2 その2

大阪南部史跡探訪Vol.2 その2

平成21年(2009)10月25日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪南部史跡探訪Vol.2」(参加者16名)を何回かに分けてアップいたします。

2回目は

・降井家書院

・吉田松陰訪問の地 中 左近 邸跡(中家)

・橋本宗吉 電気実験の地(中家)

・井原西鶴著「日本永代蔵」ゆかりの地 廻船業の街 佐野

・食野家と唐金家について

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.2-2009-10-25-2.pdf」をダウンロード

大阪南部史跡探訪Vol.2 その1

大阪南部史跡探訪Vol.2 その1

平成21年(2009)10月25日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪南部史跡探訪Vol.2」(参加者16名)を何回かに分けてアップいたします。

1回目は

・イベントコース

・イベントに関連する勝 海舟の行動

・イベントに関連する吉田松陰の行動

をご紹介します。

「vol.2-2009-10-25-1.pdf」をダウンロード

osayan クイズコーナー 8

osayan クイズコーナー 8

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回、第8問目は「竜馬がゆく」執筆の地 司馬遼太郎氏住居跡のマンモスアパートについてです。

「マンモスアパートには司馬さん以外にも著名人が住んでいました。

たくさんいらっしゃった中のうち次の中から該当する人は誰でしょう?

こちらをクリックしてください。

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009

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください。

第4問目は大塩平八郎についてです。

大塩平八郎は東町奉行所の与力でしたが辞職後、陽明学を教える塾を開きます。何という塾名でしょうか?

選択肢はこちらから

第5問目は大阪府知事についてです。

大阪府の初代知事は誰でしょう?

選択肢はこちらをクリックください。

第6問目は兵庫県の初代知事についてです。

兵庫県の初代知事は誰でしょう?

こちらをクリックしてください。

第7問目は、川口居留地に創設された学校についてです。

川口居留地で創設されていない学校名は次のうちどれでしょうか?

こちらをクリックしてください。

osayan クイズコーナー 7

osayan クイズコーナー 7

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回、第7問目は、川口居留地に創設された学校についてです。

川口居留地で創設されていない学校名は次のうちどれでしょうか?

こちらをクリックしてください。

<script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=871024&id=82514"></script>

Kawagutikyoryuuti1001

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください。

第4問目は大塩平八郎についてです。

大塩平八郎は東町奉行所の与力でしたが辞職後、陽明学を教える塾を開きます。何という塾名でしょうか?

選択肢はこちらから

第5問目は大阪府知事についてです。

大阪府の初代知事は誰でしょう?

選択肢はこちらをクリックください。

第6問目は兵庫県の初代知事についてです。

兵庫県の初代知事は誰でしょう?

こちらをクリックしてください。

osayan クイズコーナー 6

osayan クイズコーナー 6

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回、第6問目は兵庫県の初代知事についてです。

兵庫県の初代知事は誰でしょう?

こちらをクリックしてください。

<script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=871024&id=82513"></script>

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください。

第4問目は大塩平八郎についてです。

大塩平八郎は東町奉行所の与力でしたが辞職後、陽明学を教える塾を開きます。何という塾名でしょうか?

選択肢はこちらから

第5問目は大阪府知事についてです。

大阪府の初代知事は誰でしょう?

選択肢はこちらをクリックください。

osayan クイズコーナー 5

osayan クイズコーナー 5

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回は第5回目は大阪府知事についてです。

大阪府の初代知事は誰でしょう?

選択肢はこちらをクリックください。

<script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=871024&id=82512"></script>

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください。

第4回目は大塩平八郎についてです。

大塩平八郎は東町奉行所の与力でしたが辞職後、陽明学を教える塾を開きます。何という塾名でしょうか?

選択肢はこちらから

osayan クイズコーナー 4

osayan クイズコーナー 4

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回は第4回目は大塩平八郎についてです。

大塩平八郎は東町奉行所の与力でしたが辞職後、陽明学を教える塾を開きます。何という塾名でしょうか?

選択肢はこちらから

<script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=871024&id=82511"></script>

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください

大坂の史跡を訪ねて(連載46回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載46回目)

平成22年(2010)12月23日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第118号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載46回目)」をアップいたします。

・徳川慶喜休息の寺 唯松寺

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「46.pdf」をダウンロード

osayanの取材日記 宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 その2

宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 ②

前回の続きです。

いただいたヒントは『宇和島藩蔵屋敷の長屋門などが堺市内に移築された』ことを取り上げた新聞記事が見つかった事です。

昭和54年(1979)1月25日木曜日の朝日新聞(東京版)朝刊第22面。

この日は朝日新聞創刊100周年にあたります。(明治12年(1879)1月25日創刊第1号の発行)

朝日新聞創刊の地は、かつてご紹介しました。内容はこちら。

夏目漱石や石川啄木が朝日新聞社で働いていた事もご紹介しました。

宇和島藩の蔵屋敷があった場所に移転したときは、蔵屋敷の遺構を社屋として使っていました。

大阪で無料配布されている「月刊島民 中之島」のVol.39(2011年10月1日発行)には蔵屋敷の遺構=朝日新聞社の古写真が紹介されていました。

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さて、本題に戻ります。

昭和54年(1979)1月25日木曜日の朝日新聞(東京版)朝刊第22面。

そこには次のような文面が見られました。

「創刊百周年を迎える前日に飛ぶ込んだ思いがけないトピックに社員一同もびっくり。」

この記事には「現存している場所として堺市諏訪森町西三丁。」

と紹介し、遺構の持ち主と実際に住んでいる方の実名が紹介されています。

捕虜交換が済んだのちに、官舎は出版社に払い下げられ、更に昭和3年(1928)、現在の持ち主である方の手に渡ったこと等詳細な説明が書かれていました。

さて、現在個人宅なので長屋門遺構のある場所を明記するのは差し控えたいと思います。

しかし、新聞の内容を読んだうえで、現地周辺を歩きますとすぐにわかると思います。

私が、早朝、その場所の向かいにある家の方にお聞きしても「どこでしょうねぇ。初めて聞きました。」とおっしゃっていました。

周辺の方にも知られていない遺構。

多くの方に知っていただきたい反面、そこには住居としてお住みになる方がいらっしゃるのでそっとしておくほうが良いのか困惑します。

遺構の写真だけアップさせていただきます。

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その1

このブログの「検索フレーズランキング」に宇和島藩蔵屋敷が項目としてランキングに入っていました。

「宇和島藩蔵屋敷」で検索しますと、中之島にある朝日新聞大阪本社が明治初期、蔵屋敷の遺構を社屋として使用していた事がしるされていたほか、福岡藩蔵屋敷長屋門などが項目として上がりました。

そのなかで注目したのが、たった一つのブログのみ「宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構を訪れた。」という記載を見つけました。

明治30年代、現在の浜寺公園にあったロシア兵捕虜収容所の管理のために移築されたらしいとのことでした。

家の事情で午前中しか時間が開いていなかったのですが、早速、12月11日の日曜日、早朝、その現場付近を捜し歩きました。

朝の散歩をしている方、家の庭を掃除している方を見つけては「このあたりに宇和島藩蔵屋敷長屋門が移築されているのですが、どこにあるかご存じないでしょうか?」とお伺いしましたが、全員が「長年住んでるけど聞いた事無いなぁ~」でした。

それらしき家屋がありましたので、その向かいの方が、丁度外に出てこられ、同じ質問をしましたが、やはりご存知ありませんでした。

その後、朝日新聞社、堺市などに問い合わせをしましたが、わからないとのことでした。

しかしあるところに調べてもらい、1週間後にヒントとなるお答えをいただき、解決に至りました。

osayanの取材日記 宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 その1

宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構 ①

このブログの「検索フレーズランキング」に宇和島藩蔵屋敷が項目としてランキングに入っていました。

「宇和島藩蔵屋敷」で検索しますと、中之島にある朝日新聞大阪本社が明治初期、蔵屋敷の遺構を社屋として使用していた事がしるされていたほか、福岡藩蔵屋敷長屋門などが項目として上がりました。

そのなかで注目したのが、たった一つのブログのみ「宇和島藩蔵屋敷長屋門の遺構を訪れた。」という記載を見つけました。

明治30年代、現在の浜寺公園にあったロシア兵捕虜収容所の管理のために移築されたらしいとのことでした。

家の事情で午前中しか時間が開いていなかったのですが、早速、12月11日の日曜日、早朝、その現場付近を捜し歩きました。

朝の散歩をしている方、家の庭を掃除している方を見つけては「このあたりに宇和島藩蔵屋敷長屋門が移築されているのですが、どこにあるかご存じないでしょうか?」とお伺いしましたが、全員が「長年住んでるけど聞いた事無いなぁ~」でした。

それらしき家屋がありましたので、その向かいの方が、丁度外に出てこられ、同じ質問をしましたが、やはりご存知ありませんでした。

その後、朝日新聞社、堺市などに問い合わせをしましたが、わからないとのことでした。

しかしあるところに調べてもらい、1週間後にヒントとなるお答えをいただき、解決に至りました。

続きはその2でご紹介します。

捜し歩いているとこの附近は松の名所で知られており、「三光松跡」の石碑がありました。

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大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)

平成22年(2010)10月9日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第117号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載45回目)」をアップいたします。

・岩崎彌太郎ゆかりの地 岩崎彌太郎旧居跡

・勝 海舟の父 勝 小吉の来坂

・勝 小吉 訪問の地 御願塚村 代官 岡野新右衛門邸跡

・勝 小吉 訪問の地 能勢妙見山

・勝 小吉 訪問の地 多田権現、牛頭天王

  勝 海舟も御願塚村に訪問!

をご紹介します。詳細は下記

をクリックしてください。

「451.pdf」をダウンロード

「452.pdf」をダウンロード

osayanの取材日記 桂小五郎潜伏の地 出石

桂小五郎潜伏の地 出石

禁門の変で敗戦後、長州藩は朝敵に。京都で朝廷や各藩との折衝役だった桂小五郎も身の危険を感じ、京都から但馬へ身を隠しました。

特に出石城下町に居た期間が長く、出石の各所でその潜伏跡の石碑が建っています。

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大坂の史跡を訪ねて(連載44回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載44回目)

平成22年(2010)10月9日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第117号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載44回目)」をアップいたします。

・楢崎 龍 武勇伝の地「丼池(どぶいけ)」

・お龍の母 楢崎 貞 住居跡

・大久保利通揮毫による小楠公(楠木正行)墓碑

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「44.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載43回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載43回目)

平成22年(2010)3月21日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第115号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載43回目)」をアップいたします。

~坂本龍馬ゆかりの地 阿倍野、住吉周辺~

・脱藩前の来坂

・坂本龍馬宿泊の地 住吉大社「通夜堂」

・坂本龍馬訪問の地「阿部野古戦場」跡

・坂本龍馬訪問の地 北畠顕家墓所

・坂本龍馬宿泊の地 「三文字屋」跡

・土佐藩住吉陣屋跡

・土佐藩住吉陣屋ゆかりの遺跡 石垣

・土佐藩住吉陣屋ゆかりの遺跡 常夜燈

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「431.pdf」をダウンロード

「432.pdf」をダウンロード

osayanの取材日記 大久保利通「惜松碑」

大久保利通「惜松碑」

浜寺公園にはたくさんの松の木があります。

一時期伐採の計画がありましたが、この地を訪れた大久保利通は堺県知事の税所 篤に松の木は残すよう切望。それにより今日に至ります。

公園内には大久保利通が詠んだ句とともに「惜松碑」が明治31年に建てられました。

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osayanの取材日記 日露友好之像

日露友好之像

堺市浜寺公園内に小泉首相とロシアのプチャーチン大統領による両国友好之像や碑が建立されています。

日露戦争で日本軍によって捕虜となったロシア兵の収容所が、現在の浜寺公園にありました。

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大坂の史跡を訪ねて(連載42回目)

大坂の史跡を訪ねて(連載42回目)

平成22年(2010)1月11日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第114号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載42回目)」をアップいたします。

・近藤長次郎挙式場跡

・近藤長次郎の妻 お徳の実家 大和屋弥七跡

・大阪慶應義塾跡

・明治紀念標

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「42.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その4

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その4

平成21年(2009)10月4日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第113号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)」を4回に分けてアップいたします。

4回目は

・八軒家船着場 堺屋源兵衛跡

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「414.pdf」をダウンロード

osayan クイズコーナー 3

osayan クイズコーナー 3

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回は第3問目です。

靱公園についてです。

こちらをクリックください

<script type="text/javascript" charset="euc-jp" src="http://blog.with2.net/vote/form.php?sid=871024&id=81578"></script>

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その3

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その3

平成21年(2009)10月4日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第113号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)」を4回に分けてアップいたします。

3回目は

・八軒家船着場 新選組定宿 京屋忠兵衛跡

・楢崎 龍 ゆかりの地 京屋忠兵衛跡

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「413.pdf」をダウンロード

osayan クイズコーナー 2

osayan クイズコーナー 2

大阪史跡探訪Vol.9の25回目にて掲載したクイズに焦点をあてます。

今回は第2問目です。五代友厚についてです。

こちらをクリックください。

<過去問>

第1問目です。慶応3年12月7日についてです。

こちらをクリックしてください

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その2

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その2

平成21年(2009)10月4日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第113号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)」を4回に分けてアップいたします。

2回目は

・八軒家船着場に関連する現存の遺跡

・八軒家船着場の水帳絵図

・源 義経ゆかりの地 渡辺の津

・小楠公(楠木正行)義戦之跡

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「412.pdf」をダウンロード

osayan クイズコーナー 1

osayan クイズコーナー 1

大阪史跡探訪Vol.9の最後に問題を標記させていただきました。

その問題をクローズアップしたいと思います。

「vol.9(2009-4-12)25.pdf」をダウンロード

次の問題に対し選択肢から選んでください。(答えはひとつとは限りません)

第1問目です

こちらをクリックしてください

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その1

大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)その1

平成21年(2009)10月4日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第113号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載41回目)」を4回に分けてアップいたします。

1回目は

・復活した八軒家船着場

・川の駅

・八軒家船着場跡碑

・八軒家船着場に関連する現存の遺跡

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「411.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その3

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その3

平成21年(2009)6月7日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第112号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)」を3回に分けてアップいたします。

3回目は

・薩摩藩蔵屋敷(濱屋敷)跡

・薩摩屋半兵衛ゆかりの地 大目橋跡

・勝 海舟寓居(順正寺)跡周辺

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「403.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その2

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その2

平成21年(2009)6月7日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第112号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)」を3回に分けてアップいたします。

2回目は

・坂本龍馬ゆかりの地 土佐海援隊 大坂詰所(薩万)跡 推定地 の続き

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「402.pdf」をダウンロード

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その1

大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)その1

平成21年(2009)6月7日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第112号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載40回目)」を3回に分けてアップいたします。

1回目は

・坂本龍馬ゆかりの地 土佐海援隊 大坂詰所(薩万)跡 推定地

をご紹介します。詳細は下記をクリックしてください。

「401.pdf」をダウンロード

大阪検定連携事業 大阪史跡探訪Vol.9 その25

大阪史跡探訪Vol.9 その25

平成21年(2009)3月29日、大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.8」(参加者34名)のわずか2週間後、

4月12日に開催した大阪検定連携事業「大阪史跡探訪Vol.9」(参加者39名)を何回かに分けてアップいたします。

25回目は

・大阪史跡探訪Vol.9 実施にあたって

をご紹介します。

「vol.9(2009-4-12)25.pdf」をダウンロード

osayanの取材日記 大阪にある宇和島藩出身者の銅像

大阪にある宇和島藩出身者の銅像

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左:児島惟謙  右:土居通夫

osayanの取材日記 大阪城 多聞櫓・千貫櫓

大阪城 多聞櫓・千貫櫓

大阪城の入り口は4箇所あります。大手口、京橋口、青屋口、玉造口。

これらの入り口にはいずれも枡形の多聞櫓がありましたが、現在は大手口にしか残っていません。当時の造りを知る重要な史跡となっています。

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osayanの取材日記 大阪城 乾櫓

大阪城 乾櫓

乾櫓は大阪城の南西角にある櫓で、L字の形で1階と2階がいずれも同じ広さになっている珍しい造りになっていて重要文化財に指定されています。

「inuiyagura.pdf」をダウンロード

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osayanの取材日記 野口英世像

野口英世像

毎日、財布の中に入っているお札。

千円札に描かれている野口英世。

大阪府内に銅像があるのはご存知でしょうか?

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大阪検定連携事業 大阪史跡探訪Vol.9 その24

大阪史跡探訪Vol.9 その24

平成21年(2009)3月29日、大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.8」(参加者34名)のわずか2週間後、

4月12日に開催した大阪検定連携事業「大阪史跡探訪Vol.9」(参加者39名)を何回かに分けてアップいたします。

24回目は

・南御堂(東本願寺難波別院)

・討幕軍 薩摩藩屯所跡

・長州藩士切腹の地

・山口藩殉難招魂碑(大江護国神社)

・松尾芭蕉辞世の句碑

・此附近松尾芭蕉終焉の地

をご紹介します。

「vol.9(2009-4-12)-24.pdf」をダウンロード

大阪検定連携事業 大阪史跡探訪Vol.9 その23

大阪史跡探訪Vol.9 その23

平成21年(2009)3月29日、大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.8」(参加者34名)のわずか2週間後、

4月12日に開催した大阪検定連携事業「大阪史跡探訪Vol.9」(参加者39名)を何回かに分けてアップいたします。

23回目は

・近藤長次郎の妻 お徳の実家 大和屋弥七邸跡

・加賀屋徳兵衛邸跡

・北御堂(浄土真宗西本願寺津村別院)

・勝 海舟 姉小路公知卿謁見の地

・討幕征討将軍 仁和寺宮嘉彰親王 本営の地

・明治天皇 大阪行幸行在所の地

・朝鮮通信使宿泊の地

をご紹介します。

「vol.9(2009-4-12)-23.pdf」をダウンロード 詳細は下記をクリックしてください。

大阪検定連携事業 大阪史跡探訪Vol.9 その22

大阪史跡探訪Vol.9 その22

平成21年(2009)3月29日、大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.8」(参加者34名)のわずか2週間後、

4月12日に開催した大阪検定連携事業「大阪史跡探訪Vol.9」(参加者39名)を何回かに分けてアップいたします。

22回目は

・勝 海舟寓居(専稱寺)跡

・大坂海軍塾跡

・元治元年9月11日 勝 海舟・西郷吉之助会見の地

 その他専稱寺を訪問した人々

 桂小五郎

 松本良順

 安井九兵衛

 井上聞多

 山県半蔵(宍戸 環)

 吉井幸輔

 大島友之允

 青山小三郎

 中原猶介

 牛島五一郎

 今井 栄

 松平大隈守勘太郎(大坂西町奉行)

 伴 鉄太郎

 濱口 儀兵衛(梧陵)

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.9(2009-4-12)-22.pdf」をダウンロード

osayanの取材日記 旧第四師団司令庁舎跡

大阪城天守閣と共に建てられた旧第四師団司令庁舎

大阪城天守閣の復興80周年として、旧大阪市立博物館であるとともに旧第四師団司令庁舎の建物の中が特別公開されました。

建築費は大阪城天守閣よりも費用がかかりました。

「daiyonnsidannsireibutyousya.pdf」をダウンロード

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大阪検定連携事業 大阪史跡探訪Vol.9 その21

大阪史跡探訪Vol.9 その21

平成21年(2009)3月29日、大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.8」(参加者34名)のわずか2週間後、

4月12日に開催した大阪検定連携事業「大阪史跡探訪Vol.9」(参加者39名)を何回かに分けてアップいたします。

21回目は

・大手橋(旧名 思案橋)

・岸本瓦町邸

・船宿 河内屋与次兵衛跡

・伏見の坂本龍馬の定宿について

・泊園書院跡

・勤王僧 月照 生誕の地

をご紹介します。

詳細は下記をクリックしてください。

「vol.9(2009-4-12)-21.pdf」をダウンロード

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osayan

  • osayan: osayanのアルバム http://www.voiceblog.jp/y-osayan/

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