薩摩藩 濱屋敷
薩摩藩 濱屋敷
一般には大坂には薩摩藩の蔵屋敷は上・中・下の三箇所の藩邸があったとされますが、実はもう一ヶ所濱屋敷がありました。
「濱屋敷」は以前から、水帳絵図で確認されていましたが、他の史料からも確認ができました。
薩摩藩家老調所広郷に関する史料には、江戸堀の調所の官宅に続いて「濱屋敷」という記載があることから、水帳絵図のとおり上屋敷の南むかえにあったと思われます。
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コメント
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はじめまして。東京在住の者です。母方先祖の薩摩藩の戦国時代から幕末までの史料をかき集め、ひも解いている者です。今週末(2014.2.14)、仕事で大阪へ参ります。仕事後に大阪の薩摩藩屋敷跡などを探索する手がかりとして、こちらのブログに本日(2014.2.9)出会いました。
東京ではなかなか大坂の古地図さえ書店で入手できず、困っておりましたところ貴重な情報を掲載していただけて感謝いたします。幕末の5代前の先祖は、長崎海軍伝習所へ薩摩藩筆頭で参加し、そこで勝海舟、通詞であり後に活版印刷の祖の本木昌造と出会っております。薩摩藩では西洋砲術のエキスパートとして、小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通、大山巌らと交流があり、五代友厚は後輩にあたります。
元治元年には摂海砲台築造のため、兵庫、大坂、京都へ訪れて仕事をしていた、その足跡を今回は探し歩いてみたいと思います。
何分、関西は土地勘がまったくなく、仕事が終わり次第、中之島にある図書館へ行って、情報を集め、また貴ブログを手がかりに歩く考えでおります。
手がかりになる情報をブログでご紹介くださったことへの、御礼申し上げます。
投稿: 木脇noひろみ | 2014年2月 9日 (日) 18時20分