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三橋楼 その5

三橋楼 その5

三橋楼から大阪ハリストス正教会に変わっていった経緯はすでに触れましたが、土地購入後、名義は大阪地籍台帳によると石町一丁目九番地・十番地は「日本ハリストス正教会維持財団エビスコフ・尼格頼(ニコライ)」となります。名義人の所在地は「東京市神田区東紅梅町が記載されています。

エビスコフ・ニコライ氏は幕末期(文久元年)に来日し、ロシア正教を広めた人で、日本ハリストス正教会の聖人として祀られています。

御茶ノ水駅の近くで東京都千代田区駿河台にある有名な「ニコライ堂(正式名称:東京復活大聖堂教会)」の建物は、明治24年(1891)2月に竣工されたものでした。皇居を見下ろすのは不敬だという右翼による妨害があったそうですが、信徒の沢辺琢磨(山本数馬)がこれに対応したそうです。

沢辺琢磨は知る人ぞ知る土佐藩郷士の出身の人で、坂本龍馬や武市半平太とは姻戚関係にあり、共に江戸で剣術修行に励んでいました。昨年の「龍馬伝」でも登場していましたね。ちょっとした過ちから切腹をしなければならないところを、龍馬が密かに逃がしたという話は有名です。

このニコライ堂の道を挟んで東隣に後藤象二郎が居を構えていました。その後、岩崎彌太郎の実弟 彌之助(正妻が後藤象二郎の長女 早苗)が居を構えました。

「三橋楼」をクローズアップするといろいろなつながりが見えてきました。

日本ハリストス正教会が編纂した書籍に「三橋楼」は、「天満橋」「天神橋」「難波橋」が三大橋、さらには北区の市街、北摂の山が眺望できる景勝地と紹介されています。

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